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不可思議事件録1 〜被害者の妻に憑依した男の贖罪と、都市を書き換える少年の『青き龍の設計図』〜  作者: たくみふじ
第三章 死の真相に近づく

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録音データの闇と蘇る記憶 ㈡

青き龍の少年と赤き龍の巫女。贖罪を越え、二人は都市の呪縛を書き換える!

 インターネットカフェを出た一行は、()だるような熱気と喧騒に包まれた小田原の駅前通りを、足早に駆け抜けていた。

 ジリジリと肌を焦がすような八月の日差しが、友之たちの落とす濃い影をアスファルトに焼き付けている。行き交う人々の波を縫うようにして歩きながら、友之は何度も背後を振り返り、追跡者がいないかを神経質に確認した。

 ポケットの中には、工藤梓の殺人を決定づける音声データが入ったUSBメモリがある。そして箱根の実家には、トリカブトの成分が付着しているはずのまくらカバーが保管されている。この二つが揃えば、警察は動く。完全犯罪の目論見は崩れ去るのだ。

 しかし、友之の足取りはどこか重く、その横顔には深い苦悩の影が張り付いていた。

(あのバックパックの男……。俺と工藤が、雨の山道で()ねたあの男は、一体誰なんだ……?)

 フラッシュバックで蘇ったひき逃げの記憶。その重圧が、友之の胸を内側から激しく締め付けていた。

 友之はこれまで、自分は一方的に理不尽な殺意を向けられた完全なる「被害者」であると信じて疑わなかった。だが、もしあの記憶が真実であり、自分が工藤梓と共に他人の命を奪い、その死体を隠蔽した「共犯者」なのだとしたら。

 この奇妙なボディスワップ現象……自分が赤の他人である「越智涼子」の体に宿ったことすらも、ただの偶然ではなく、何か恐ろしい因果律の糸によって手繰り寄せられた結果なのではないかという、黒い疑念が頭をもたげ始めていた。

 天井付近を漂いながら、友之のその沈痛な様子を見下ろしていた涼子の魂は、痛ましそうに見えない眉を寄せた。

(岩瀬くん……。なんだかすごく顔色が悪いわ。私の体なんだから、あんまり無理しないでほしいんだけど……何か、とても恐ろしいことでも思い出してしまったのかしら)

 涼子は空中でギュッと両手を握りしめ、息子を守るように良亮の頭上をふわりと旋回(せんかい)した。

(それにしても、あの工藤って女……本当に恐ろしいわ。愛しているとか言いながら毒を盛るなんて、人間のすることじゃない。もし、私の大事な良亮にまで手を出そうとしたら、私、魂だけになっても絶対に許さないんだから!)


「岩瀬くん、急ぎましょう」


小田原駅の構内に入り、香代子が切符売り場の前で声をひそめて言った。


「まずは箱根湯本の実家に戻って、お母様からまくらカバーを受け取るわ。そして、地元の警察署じゃなくて、そのまま横浜の県警本部まで行くのよ。小田原の警察は一度『病死』で処理してるから、隠蔽体質でまともに取り合ってくれないかもしれない。確実に偉い人がいる大きな組織に、証拠を直接叩きつけるのよ!」


「ああ、そうだな。それが一番確実だ」


 友之は香代子の的確な判断に頷き、箱根登山鉄道のホームへと向かうエスカレーターに足を乗せた。

 改札を抜ける際、竜子が不意に立ち止まり、赤い扇子を鼻先まで持ち上げて周囲の空気をスッと嗅いだ。


「……おーほっほっほっ。どうやら、追っ手の気配は完全に途絶えたようですわ。工藤梓の放つ、あの腐臭のような黒い言霊の波長は、この駅周辺からは感じ取れませんの」


 竜子のその言葉に、良亮がホッと胸を撫で下ろした。


「よかった。工藤さん、まだ会社にいるのかな」


「そうね。きっとあの後、何食わぬ顔で会議に出ているんでしょうよ。自分の部屋に私たちが侵入したことにも気づかずにね」


 香代子は少しだけ勝ち誇ったように笑った。

 だが、友之の胸の奥で警鐘が鳴り止むことはなかった。あの執念深く狡猾(こうかつ)な女が、自分の最も重要な秘密を隠したアパートの防犯に、何のトラップも仕掛けていないはずがない。合い鍵の隠し場所があっさりと見つかったことすら、今思えば不自然に感じられた。

 箱根湯本行きの電車に乗り込み、ボックス席に腰を下ろす。

 平日の中途半端な時間帯ということもあり、車内はガラガラだった。カタン、コトンと規則正しいジョイント音を響かせながら、電車はゆっくりと箱根の山を登り始める。窓の外には、深い緑色の木々が次々と後ろへ流れていく。


「……なあ、内海」


 友之は窓の外の景色を見つめたまま、ポツリと口を開いた。


「もし、俺が……ただの被害者じゃなくて、とんでもない罪を犯した悪党だったとしたら、あんたはどうする?」


「え?」


 唐突な友之の問いかけに、香代子は目を丸くした。


「何よ急に。岩瀬くんが悪党って……借金でも踏み倒したの?」


「いや、そんな可愛いもんじゃない。もっと……取り返しのつかないような、真っ黒な罪だ。もしそうだとしたら、あんたは俺を見捨てるか?」


 友之のその深刻な横顔を見て、香代子は少しだけ戸惑ったが、すぐにフッと柔らかく微笑んだ。


「馬鹿ね。私が岩瀬くんのことを見捨てるわけないじゃない」


「内海……」


「だって、あんたはお姉ちゃんの体の中に入ってるのよ! あんたを見捨てたら、お姉ちゃんの体ごと警察に捕まっちゃうか、あの殺人鬼に殺されちゃうじゃないの! どんな罪を犯していようと、まずは自分の体に戻ってから、自分の責任でちゃんと罪を償いなさいよ!」


 香代子の容赦のない、しかし強固な信頼に満ちた言葉に、友之は思わず吹き出してしまった。


「ははっ……違いない。俺が腹を切る時は、ちゃんと自分の体で切らなきゃな」


「そうよ。それに……」


 香代子は、少しだけ頬を朱に染めて、窓の外へ視線を逸らした。


「私が好きだった岩瀬くんは、不器用で損ばかりしてるけど、絶対に人の道を外れるような本当の悪人じゃないって……そう信じてるから」


 その真っ直ぐな言葉が、友之の冷え切っていた心を温かく包み込んだ。

 過去に何があったとしても、逃げてはいけない。自分の犯した罪と向き合い、工藤梓の狂気に終止符を打つ。それが、この不思議な家族を守り、涼子に体を返すための唯一の道なのだ。

 電車が、強羅方面へと続くスイッチバックの駅に差し掛かった、その時だった。

 ブブブッ、ブブブッ。

 香代子のバッグの中で、スマートフォンが激しく震え始めた。

 香代子はバッグを開け、画面に表示された発信者の名前を見て、不思議そうに首を傾げた。


「……岩瀬くんのお母様からだわ」


「お袋から?」


 友之が身を乗り出す。香代子は通話ボタンを押し、耳に当てた。


「もしもし、美智子おば様ですか? 今、小田原から箱根に向かって電車に乗って……」


 しかし、香代子の言葉は途中でピタリと止まった。

 彼女の顔から、サァッと血の気が引き、瞳孔(どうこう)が恐怖で大きく見開かれる。


「……え?」


 香代子の震える手からスマートフォンが滑り落ちそうになり、友之が咄嗟にそれを奪い取って自分の耳に当てた。


「もしもし! お袋か!? どうした!」


 スピーカーの向こう側から聞こえてきたのは、美智子の声ではなかった。


『……ふふっ。見つけましたわよ、泥棒さん』


 それは、(ひど)く冷たく、そして甘ったるい、工藤梓の声だった。


「工藤……!! お前、どこにいる!」


 友之が涼子の声帯から絞り出すようにして叫ぶと、電話の向こうで梓の軽やかな笑い声が響いた。


『あら、随分と私の声に似た女の方ですのね。岩瀬お母様は今、私と一緒に美味しいお茶をいただいておりますの。……私の部屋、ずいぶんと荒らしてくださったみたいで。パソコンのデータ、持ち出しましたわね?』


 友之の全身の毛穴が、一気に粟立った。

 梓は、自分のアパートに侵入されたことに気づいたのだ。おそらく、パソコンにログインされた時点で、彼女のスマートフォンに通知が行くようなトラップでも仕掛けられていたのだろう。


「お袋に手を出すな!!」


『手なんて出しませんわ。だって、友之さんの大切なお母様ですもの。……でも、あなたが持ち出したその「嘘のデータ」と、お母様が持っている「汚い布切れ」。あれが警察の手に渡るのは、私、少し困るんです』


 梓の声が、急激に低く、ドス黒い殺意を帯びたものへと変わった。


『今すぐ、箱根の岩瀬家まで持ってきなさい。もし警察に連絡したり、誰かに話したりすれば……お母様の飲んでいるお茶の中に、私特製の「蜜」を数滴、落とさなければならなくなりますわ』


「やめろ……!! ふざけるな!!」


『待っていますわよ。可愛い泥棒さん』


 ツーツーという無機質な電子音が、絶望の宣告のように友之の耳に響いた。

 スマートフォンを握りしめたまま、友之は激しい怒りと恐怖で全身をワナワナと震わせた。


「岩瀬くん……! どういうこと!? あの女、お母様を……!」


 香代子が半狂乱になって尋ねる。良亮も竜子も、友之のただならぬ様子に息を呑んでいた。

 天井の涼子も、(嫌っ! 美智子お母様が危ないわ!)と悲鳴を上げている。


「……箱根の実家だ。あいつは、お袋を人質に取りやがった」


 友之の瞳に、決して退くことのできない凄絶な覚悟の火が灯った。

 証拠を手に入れたと思った矢先、最悪の形で裏をかかれた。敵は、友之の最大の弱点である「母親」という急所を的確に突いてきたのだ。

 電車は、鬱蒼(うっそう)と茂る箱根の深い山の中へと、まるで彼らを冥界へと誘うかのように、静かに、そして着実に進んでいく。

 殺人鬼が待ち受ける実家での、血塗られた最終決戦の幕が、今静かに上がろうとしていた。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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