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不可思議事件録1 〜被害者の妻に憑依した男の贖罪と、都市を書き換える少年の『青き龍の設計図』〜  作者: たくみふじ
第三章 死の真相に近づく

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狂気の小部屋と迫る足音 ㈠

青き龍の少年と赤き龍の巫女。贖罪を越え、二人は都市の呪縛を書き換える!

 じりじりと肌を焼くような強烈な日差しが、小田原市内の閑静な住宅街に降り注いでいた。

 午前八時半。通勤や通学のピークを迎え、駅へと向かう人々の足早な靴音がアスファルトに響いている。その人の流れから少し外れた、大通りから一本路地に入った場所にある築浅(ちくあさ)の二階建てアパート「メゾン小田原」。その斜め向かいにある小さな児童公園の木陰から、友之たちは息を殺してアパートの入り口を見張っていた。

 ターゲットは、二階の角部屋、二〇一号室に住む工藤梓である。

 やがて、アパートの外階段をカンカンと硬い音を立てて下りてくる人影があった。

 黒いタイトスカートに、白いノースリーブのブラウス。肩まである黒髪をキッチリとまとめ、日傘を差した工藤梓の姿だった。彼女の表情は日傘の陰になってよく見えなかったが、その足取りには一切の迷いや感情の揺れが感じられず、まるでプログラムされた機械のように正確な歩調で駅の方角へと歩き去っていった。


「……行ったな」


 公園のジャングルジムの陰に隠れていた友之が、低く押し殺した声で呟いた。

 女性の体であるため、今日友之が着ているのは動きやすさを重視した黒のスキニーパンツと、目立たないグレーのTシャツである。隣では、香代子が緊張した面持ちで小さく頷いた。


「ええ。彼女の勤務先の始業時間は九時だから、これから駅に向かえばちょうど間に合う時間ね。でも、念のためあと十五分はここで待機しましょう。忘れ物をして戻ってくる可能性もあるわ」


 香代子の慎重な提案に、友之も同意した。

 彼らの作戦はこうだ。工藤梓が会社に出勤している日中の数時間を利用して、彼女の部屋に侵入し、友之の部屋に仕掛けられていたボイスレコーダー(あるいはその音声データ)を回収する。もし彼女がトリカブトを使って友之を殺害した証拠となる音声が残っていれば、それを警察に突きつけて再捜査を迫ることができるのだ。

 公園のベンチでは、良亮が首から双眼鏡を下げて座り、その横で竜子が赤い扇子でパタパタと涼をとっていた。


「坊主。お前と竜子ちゃんは、ここで見張りだ。もし工藤が戻ってきたり、警察や怪しい奴がアパートに近づいたりしたら、すぐに内海のスマホに電話しろ。いいな?」


 友之が念を押すように言うと、良亮は力強く頷いた。


「うん、任せて。おじさんたちも、絶対に気をつけてね。もし危ないと思ったら、すぐに逃げるんだよ」


「おーほっほっほっ! 万が一の時は、わたくしがこの扇子で風を起こし、目眩ましをして差し上げますわ! どうぞご武運を!」


 頼もしい子供たちの言葉に背中を押され、友之と香代子は立ち上がった。

 十五分が経過し、梓が戻ってくる気配がないことを確認すると、二人は公園を出て、周囲の目を気にしながら足早にアパートの外階段を上った。

 二〇一号室のドアの前に立つ。

 真新しい金属製のドアは、冷たく無機質な光を放っていた。


「……で、岩瀬くん。どうやって中に入るのよ? まさか窓ガラスを割るわけにはいかないわよ」


 香代子が周囲を警戒しながら小声で尋ねた。友之はドアノブをガチャガチャと回して施錠されていることを確認すると、ドアの横にあるガスメーターの収納ボックスへと手を伸ばした。


「窓は割らねえよ。あいつ、前に会社の飲み会で酔っ払った時に、自分の悪い癖をこぼしていたことがあってな。『よく鍵を失くして家に入れなくなるから、メーターボックスの裏に合い鍵を隠している』って言ってたんだ。用心深いのか間抜けなのか知らねえが、殺人犯のくせにそういうところは抜けてるんだよ」


 友之がメーターボックスの扉を開け、配管の裏側に手を突っ込んで手探りをする。

 数秒後、チャリンという小さな金属音とともに、友之の手には黒いマグネットケースが握られていた。


「ビンゴだ」


 ケースを開けると、中には銀色のディンプルキーが入っていた。

 香代子が息を呑む。まさか本当にこんな古典的な場所に合い鍵を隠しているとは。

 友之は鍵穴にキーを差し込み、静かに回した。カチャリという手応えとともに、重いドアがゆっくりと開く。


「お邪魔しますよ、殺人鬼さん」


 友之は低い声で呟き、香代子と共にドアの内側へと滑り込んだ。

 玄関に入った瞬間、むせ返るような強烈な匂いが二人の鼻を突いた。それは、甘ったるく、それでいてどこか薬品のようなツンとする不快な香水の匂いだった。香代子が思わず顔をしかめて口元を手で覆う。

 靴を脱いでリビングへと進むと、そこには異様な光景が広がっていた。

 二十八歳の女性が一人で暮らす部屋としては、あまりにも殺風景で、生活感が完全に欠落していたのだ。家具は最小限しかなく、テレビもソファもない。ただ、部屋の中央にぽつんと置かれたローテーブルと、壁際に設置された真っ白なスチールラックがあるだけだ。

 しかし、スチールラックの上に置かれているものを見て、友之と香代子は同時に背筋を凍らせた。


「……な、何よこれ。気持ち悪い……!」


 香代子が震える声で漏らした。

 スチールラックの一段が、まるで不気味な祭壇のように飾り付けられていたのだ。

 中央には、会社で隠し撮りされたと思われる友之の写真が、何十枚も隙間なくコルクボードにピンで留められている。笑顔の写真、真剣にパソコンに向かっている写真、そしてコーヒーを飲んでいる写真。どれもこれも、友之自身が撮られたことすら気づいていない、無防備な瞬間のものばかりだ。

 さらに、写真の周囲には、友之が会社で捨てたはずの折れたボールペン、飲みかけのペットボトルのキャップ、そして友之が吸っていた煙草の吸い殻が、透明なガラスケースに入れられて恭しく並べられていた。

(ひっ……! なにこれ、完全にストーカーじゃない! 岩瀬くん、こんな女に狙われてたの!?)

 天井付近に浮かんでいた涼子の魂が、あまりの気味悪さに悲鳴を上げて天井の隅で縮こまった。

 友之自身も、自分の吸い殻がガラスケースに入れられているのを見て、強烈な吐き気を催していた。


「……あいつ、俺のことをただ慕ってたわけじゃない。完全に異常な執着だ。俺を独占するために、俺の命すら自分のものにしたかったんだ」


 友之は震える声で呟き、目を背けるようにしてスチールラックから離れた。


「探そう。あいつの異常性は十分すぎるほど分かった。だが、俺たちが必要なのはあいつの性癖の証拠じゃなく、殺人の証拠だ。ボイスレコーダーか、そのデータが入ったパソコンがどこかにあるはずだ」


「ええ、分かったわ。私はクローゼットの中を見る。岩瀬くんは机の周りをお願い」


 二人は手分けして、部屋の中の探索を開始した。

 友之はローテーブルの下や、備え付けの小さな棚の引き出しを次々と開けていった。しかし、どこにもボイスレコーダーらしきものは見当たらない。

 ふと、部屋の奥の寝室の方から、香代子の押し殺したような声が聞こえた。


「岩瀬くん! こっちに来て!」


 友之が慌てて寝室へ駆け込むと、香代子がベッドの下から引っ張り出した黒いアタッシュケースの前でしゃがみ込んでいた。


「これ、鍵はかかってないみたい。開けるわよ」


 香代子がカチャリと金具を外し、アタッシュケースの蓋を開けた。

 中に入っていたのは、黒いノートパソコンと、数本のUSBメモリ。そして、友之の記憶にある、室外機の裏に仕掛けられていた黒い三角タップ型の盗聴器そのものだった。


「あった! 盗聴器だ! おそらく、録音データはこのパソコンの中か、USBメモリにコピーされてるはずよ!」


 香代子が興奮した面持ちでノートパソコンを取り出し、ベッドの上に広げて電源ボタンを押した。

 数秒後、画面が明るくなり、パスワードの入力画面が表示された。


「……パスワードがかかってるわ。どうしよう、これじゃ中身が見られない」


「貸してみろ」


 友之がパソコンの前に座り、キーボードに手を置いた。

 工藤梓の異常な執着心を考えれば、パスワードは複雑なものではないかもしれない。いや、むしろ彼女にとって最も重要で、絶対に忘れない数字が設定されている可能性が高い。


「俺の誕生日だ」


 友之は迷うことなく、自分の誕生日である『0521』と、社員番号の『7743』を組み合わせた数字を打ち込んだ。

 エンターキーを叩く。

 画面がフリーズしたかのように数秒間止まり、そして……カチッという音とともに、デスクトップ画面が開いた。


「……開いた。本当に岩瀬くんの誕生日だったのね。執念深すぎて寒気がするわ」


 香代子が腕をさすりながら言った。

 友之は急いでマウスパッドを操作し、デスクトップ上にポツンと置かれていた『音声データ』という名前のフォルダを開いた。

 そこには、日付順に整理された大量の音声ファイルが並んでいた。友之の生活音を録音したおぞましい記録の山だ。友之はその中から、彼が殺害された日の日付である『〇七二〇』と名付けられたファイルを見つけ出した。


「これだ。七月二十日のデータだ。これをUSBメモリにコピーして持ち帰る!」


 友之は香代子が持参していた空のUSBメモリをパソコンの側面に差し込み、該当のファイルをドラッグ&ドロップした。

 画面にプログレスバーが表示され、緑色のゲージがゆっくりと進み始める。

『コピー中……残り2分』


「早く、早く終われ……」


 友之は画面を睨みつけながら、祈るように呟いた。

 部屋の中に、パソコンのファンの音だけが虚しく響いている。

 しかし、その時だった。


 ブブブッ、ブブブッ!


 香代子のポケットに入っていたスマートフォンが、マナーモードの激しい振動音を立て始めた。

 香代子は弾かれたようにスマホを取り出し、画面を見た。良亮からの着信だ。

 通話ボタンを押し、耳に当てる。


「良亮くん!? どうしたの!?」


『おばちゃん、逃げて! 工藤さんが、会社の方から戻ってきてる! もうアパートのすぐ近くまで来てるよ!』


 良亮の切羽詰まった声が、スピーカー越しに寝室に響き渡った。

 香代子と友之の顔から、一気に血の気が引いた。


「戻ってきてる!? なんでよ、まだ出勤したばかりじゃない!」


『分からない! 何か忘れ物でもしたみたいに、すごく早歩きでこっちに向かってる! おばちゃんたち、早く外に出て!』


 友之がパソコンの画面を見る。

 プログレスバーは、まだ80%を指したまま、じりじりとしか進んでいなかった。

『コピー中……残り30秒』


「くそっ! 間に合わねえ!」


 友之はギリッと奥歯を噛み締めた。外階段をカンカンと上ってくる、硬いヒールの足音が、アパートの外から微かに聞こえ始めていた。

 狂気の小部屋の主が、予想外の帰還を果たそうとしている。友之と香代子は、絶体絶命の窮地に立たされていた。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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