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不可思議事件録1 〜被害者の妻に憑依した男の贖罪と、都市を書き換える少年の『青き龍の設計図』〜  作者: たくみふじ
第三章 死の真相に近づく

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見えざる殺意と赤い扇子 ㈢

青き龍の少年と赤き龍の巫女。贖罪を越え、二人は都市の呪縛を書き換える!

 純喫茶の薄暗いボックス席に、重い沈黙が落ちた。

 トリカブトという猛毒を使った、二十四時間の時間差を利用した完全犯罪。工藤梓の恐るべき計画の全貌が少しずつ見え始めてきたものの、依然として最大の謎が彼らの前に立ちはだかっていた。


「……トリカブトを使った毒殺だということは、状況的にほぼ間違いないと思うわ。でも、どうやって彼女は密室だった岩瀬くんの部屋に入ったの? そして、どうやって猛毒を飲ませたっていうのよ」


 香代子がアイスコーヒーのグラスについた水滴を指でなぞりながら、核心を突く疑問を口にした。


「合い鍵だよ」


 友之は低く、確信を持った声で答えた。


「それ以外に考えられない。俺が熱で寝込んでいる間に、あいつは自分が密かに作っていた合い鍵を使って玄関を開けたんだ。俺は一人暮らしで、鍵を机の上に置きっぱなしにしてシャワーを浴びたり、酔っ払って寝てしまうこともあった。あいつなら、俺の隙を突いて鍵の型を取ることくらい簡単にできたはずだ」


 合い鍵による不法侵入。ストーカーの常套手段とも言えるその行為に、香代子は嫌悪感に顔を歪めた。


「でも、おじさん」


 良亮が、子供ならではの素朴な疑問を投げかけた。


「工藤さんは、どうしておじさんが風邪で寝込んでいるって分かったの? 会社をお休みするってメールをしたのは、十九日の朝だったんでしょ? なのに、工藤さんはおじさんが『無防備に寝ている』タイミングを正確に狙って部屋に入ってきた。それって、ちょっと変じゃない?」


 その鋭い指摘に、友之はハッとして目を見開いた。

 確かにそうだ。単に会社を休んだという事実だけでは、家でぐっすりと眠り込んでいるのか、それとも起きてテレビを見ているのか、あるいは病院へ行っているのかは分からないはずだ。もし合い鍵で侵入した時に友之が起きていれば、彼女の計画は全て水の泡となる。確実な殺意を持って部屋に侵入するには、友之が「絶対に抵抗できない状態」であることを、事前に知る必要があったのだ。


「……あいつは、俺の部屋の中の様子を監視していた?」


 友之が呟いた瞬間、過去の些細な記憶の断片が、脳内で次々と繋がり始めた。


「思い出したぞ……。工藤の奴、俺のプライベートな予定を異常なほど正確に把握していたことがあった。俺が休みの日に家でどのテレビ番組を見ていたかとか、夜何時まで起きているかとか、不自然に話の辻褄が合うことが何度もあったんだ。俺はてっきり、俺のSNSのログイン時間や、生活のパターンから推測してるんだと思ってたけど……」


「違うわね」


 香代子が青ざめた顔で断言した。


「岩瀬くん、あなたの部屋、盗聴されてたんじゃない?」


 盗聴。

 その言葉が響いた瞬間、友之は背筋に氷を押し当てられたような悪寒を感じた。

 自分の最も無防備なプライベート空間であるアパートの部屋に、常に工藤梓の「耳」が潜んでいたのだとしたら。日々の生活音、電話の会話、そして高熱にうなされて苦しそうに呼吸する音まで、全て彼女に筒抜けだったということになる。


「……間違いない。それなら全ての辻褄が合う。あいつは盗聴器を使って、俺が熱で完全に意識を失っているタイミングを見計らって、部屋に侵入したんだ」


 友之はギリッと歯ぎしりをした。


「でも、盗聴器なんてどうやって仕掛けるの? 部屋の中に隠すの?」


 良亮が尋ねると、友之は首を横に振った。


「いや、部屋の中とは限らない。俺は結構神経質な方だから、部屋の中に変な物が置かれていたらすぐに気づくはずだ。それに、あいつは定期的に電池を交換したり、データを回収したりする必要があったはず。だとすれば……外部から簡単にアクセスできて、俺が絶対に気づかない場所だ」


 友之は記憶の中にある自分のアパートの見取り図を思い浮かべた。

 二階の角部屋。ベランダの外には、エアコンの室外機が置かれている。

 その時、友之の脳裏に、ある光景がフラッシュバックした。数ヶ月前、ベランダで煙草を吸っていた時、エアコンの室外機の裏側に、見慣れない黒い小さなプラスチックの塊がくっついているのを見た記憶だ。その時は「業者が忘れた部品か何かだろう」と気にも留めなかったが、今思えばあれは……。


「……三角タップ型の盗聴器」


 友之がぽつりと呟いた。


「コンセントの延長コードのタップに偽装したタイプの盗聴器があるって、前にテレビで見たことがある。俺の部屋の室外機の裏には、外部電源用の防水コンセントがあった。あいつはそこに盗聴器を仕掛けていたんだ。ベランダなら、俺の不在時に外の非常階段からよじ登って、簡単に設置や回収ができる!」


「それよ!」


 香代子が興奮して身を乗り出した。


「もしその盗聴器が、音がある時だけ録音するボイスレコーダーの機能を持ったものだとしたら! 工藤梓が岩瀬くんの部屋に侵入して、殺害に及んだ時の『音』も、そのデータに残っているかもしれないわ!」


 殺害の決定的瞬間を記録した音声データ。

 それがあれば、警察の「病死」という判断を覆し、彼女の犯行を完全に立証することができる。


「だが、待てよ」友之は冷静に反論した。「もしあいつが俺を殺すために部屋に入ったのなら、証拠を残さないために、殺害の直前に盗聴器を外すか、録音を止めるはずだ。そんな間抜けな証拠を残したままにするか?」


「そこですわ」


 竜子が、アイスココアのグラスを置いて静かに口を挟んだ。


「人間というものは、想定外の事態に直面した時、必ず何らかの(ほころ)びを見せるものです。もし彼女が、岩瀬様を殺害したその瞬間に、あるいはその直後に、盗聴器を回収『できない』理由があったのだとしたら?」


 回収できない理由。

 友之は必死に記憶を掘り起こした。十九日の夜から二十日にかけて、何かアパートの周辺で変わったことはなかっただろうか。高熱でうなされていた友之自身には記憶がないが、もし何か騒ぎがあったとすれば……。


「……お袋だ。お袋が言ってたかもしれない」


 友之は目を丸くして言った。


「実家で聞いたんだ。二十日の夕方、俺のアパートのすぐ近くで、小規模なボヤ騒ぎがあったって。消防車も出動して、近所の連中がみんな外に出て野次馬をしてたらしい。……もし工藤が俺を殺害した後、盗聴器を回収しようとしてベランダに出ようとした時に、そのボヤ騒ぎが起きていたら? 外には大勢の野次馬がいて、ベランダに出れば確実に誰かに目撃されてしまう。だからあいつは、盗聴器の回収を諦めて、合い鍵で玄関から逃げるようにして立ち去ったんだ!」


 全てのパズルのピースが、恐ろしいほどの精度でカチリと音を立ててはまった。

 工藤梓は、盗聴器の音声データを回収し損ねている。

 そして、そのデータには、彼女が友之の部屋に侵入し、トリカブトの毒を使って殺害に及んだ決定的な音声が残されているはずだ。


「……あの女、俺を線路に突き落として、鉄パイプを落としてまで俺たちを消そうとした。それはつまり、俺たちがその『証拠』に辿り着くことを何よりも恐れているからだ」


 友之の言葉に、香代子も深く頷いた。


「ええ。彼女は自分が完全犯罪を成し遂げたと確信している反面、あの盗聴器のデータという爆弾を抱えて、気が気じゃなかったはずよ。岩瀬くんのアパートはもう引き払われているけど、あの盗聴器は回収したのかしら?」


「いや、あいつは回収したくてもできなかったはずだ。お袋が俺の死後にすぐにアパートの引き払いの手配をして、業者が頻繁に出入りしていた。あいつがこっそりベランダに忍び込む隙はなかっただろう。そしてその後、盗聴器自体はどうなったか分からないが……もし彼女が回収できていないのだとすれば、焦って自分の手元に証拠を取り戻そうとしているはずだ」


 友之は拳をテーブルに強く押し当てた。


「あの録音データが残っているボイスレコーダー……。工藤梓の住んでいるアパートに、それが隠されている可能性が高い」


 敵の懐に飛び込み、証拠を奪い取る。

 それは、見えない殺人鬼のテリトリーに自ら足を踏み入れるという、極めて危険な賭けだった。一歩間違えれば、今度こそ命を落とすことになる。

 しかし、彼らに迷いはなかった。警察が動かない以上、自分たちの手で真実を白日に晒すしかないのだ。


「工藤のアパートの住所は分かるわ。会社の社員名簿を見たことがあるから、大体の場所は覚えている」


 友之が言うと、香代子はバッグの中から地図アプリを開いた。


「よし。明日は工藤梓が会社に出勤している隙を狙って、彼女のアパートに潜入するわよ。岩瀬くん、覚悟はできてる?」


「当たり前だ。俺を殺した女の部屋だぞ。どんな手を使ってでも、証拠を見つけ出してやる」


 良亮も、スケッチブックを抱きしめながら力強く言った。


「僕も行く! 外で見張りをしてるよ。竜子ちゃんと一緒に、怪しい人が来ないか見張ってるから!」


「おーほっほっほっ! そういうことでしたら、わたくしの赤い扇子が再び火を噴きますわよ! 悪しき者の巣窟(そうくつ)に、神罰を下して差し上げますわ!」


 純喫茶の薄暗い空間で、奇妙な捜査チームの決意は鋼のように固まった。

 天井付近に浮かぶ涼子の魂は、彼らの勇気ある決断に深く感動しつつも、母親としての心配で胸が張り裂けそうになっていた。

(みんな、お願いだから無茶はしないで……! 特に岩瀬くん、私の体で危ない橋を渡るんだから、絶対に怪我だけはしないでね!)

 彼女の魂の祈りが届いたのか、友之は自分の胸――涼子の胸――にそっと手を当て、静かに深呼吸をした。

 完全犯罪を企てた女との、最終決戦の火蓋が切られようとしている。

 工藤梓のアパートに隠された、殺意の録音データ。それを手に入れることができるのか。それとも、冷酷な罠に嵌められてしまうのか。

 彼らの長く、そして熱い夏休みの戦いは、いよいよ最大の山場を迎えようとしていた。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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