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不可思議事件録1 〜被害者の妻に憑依した男の贖罪と、都市を書き換える少年の『青き龍の設計図』〜  作者: たくみふじ
第一章 肉体と魂の乖離(かいり)

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おーほっほっほっ! と笑う少女 ㈡

青き龍の少年と赤き龍の巫女。贖罪を越え、二人は都市の呪縛を書き換える!

 二時間目の体育の授業は、容赦ない夏の日差しが照りつける校庭で行われた。

 良亮にとって、この時間はまさに公開処刑に等しかった。更衣室で着替えた彼の体操着は、どう好意的に見ても見事な桜色に染まっていた。友之が赤いタオルと一緒に乱暴に洗濯機に放り込んだ結果である。良亮はため息をつきながら、なるべく目立たないようにうつむき加減で校庭の端へと歩を進めた。

 しかし、子供の目は残酷なほど鋭い。整列の声がかかるや否や、クラスで一番のガキ大将である健太が、良亮の体操着を指差して大きな声を上げた。


「おい、見ろよ! 越智の体操着、ピンク色になってるぜ! なんだよそれ、女の子みたいじゃんか!」


 健太の大きな声に、周囲の児童たちが一斉に良亮の方を振り向いた。


「ほんとだ! ピンクだ!」


「越智くん、女の子のお洋服間違えて着てきちゃったの?」


「あはははは! ピンクの体操着なんて変なの!」


 無邪気で、だからこそ容赦のない嘲笑(ちょうしょう)の波が、良亮を取り囲むように広がっていく。良亮はギュッと唇を噛み締め、小さな両手をきつく握りしめた。

 言い訳をしたところで、誰も信じてはくれないだろう。「家にいるおじさんが洗濯を失敗したんだ」などと言えば、かえって変な噂が立つだけだ。大好きなママの体を守るためにも、家庭の異常な状況を悟られるわけにはいかない。

 良亮はジッと足元の砂を見つめ、ひたすらに嵐が過ぎ去るのを耐え忍ぼうとした。

(僕が我慢すればいいんだ。こんなの、ママがいなくなっちゃった悲しさに比べたら、全然痛くも痒くもない……)

 しかし、良亮の周囲の空気は、にわかに異様な気配を帯び始めていた。

 子供たちの悪意のない、しかし鋭い刃のようなからかいの言葉。それらが持つマイナスの感情エネルギーが「言霊ことだま」となり、良亮の周囲の磁場を微かに歪ませ始めたのだ。風もないのに、校庭の砂がザワザワと不気味な音を立てて渦を巻き始め、良亮の足元で小さなつむじ風を形成していく。空気が急に重く、息苦しくなり、周囲の温度が数度下がったような錯覚に陥る。

 良亮の背後に寄り添うように浮かんでいた涼子の魂は、息子のピンチに半狂乱になっていた。


「やめて! 良亮を笑わないで! 良亮は何も悪くないの! 悪いのは適当に洗濯したあの岩瀬くんなんだから! お願い、誰かこの子を助けて!」


 涼子は空中で必死に叫びながら、良亮を嘲笑(あざわら)う子供たちを追い払おうと見えない両腕を振り回した。しかし、霊体の彼女には何の物理的な力もなく、渦巻く砂埃(すなぼこり)を止めることすらできない。ただただ、傷つく息子の背中を見つめて涙を流すことしかできなかった。

 つむじ風は次第に勢いを増し、良亮の顔に砂を叩きつけようとした、まさにその時だった。


「おーほっほっほっ!」


 夏の空気を切り裂くような、高く澄んだ、そして圧倒的な自信に満ちた笑い声が校庭に響き渡った。

 全員の視線が声の主へと向く。

 そこに立っていたのは、転校生の門前竜子だった。彼女は他の児童と同じように白い体操着と紺色のブルマ姿に着替えていたが、その手にはなぜか、教室内で持っていた真っ赤な扇子がしっかりと握られていた。


「皆様、何と見苦しいこと。その程度のことで殿方を嘲笑うなど、はしたないにも程がありますわ!」


 竜子は(りん)とした声で言い放つと、迷うことなく渦巻くつむじ風の中心、良亮の目の前へと進み出た。

 そして、バサッ! と鋭い音を立てて赤い扇子を広げた。

 竜子が広げた赤い扇子は、ただの小道具ではなかった。それは空気の振動や、人々の発するマイナスの「言霊」を調律するための「指揮棒」としての役割を持つ、彼女の特殊な神器の一つだった。

 竜子は優雅な手つきで、まるで目に見えない乱れた糸をほどくように、空中で扇子を何度か(ひるがえ)した。


(ゆが)みし磁場よ、わたくしの扇に従い、本来のことわりへと整列なさいませ!」


 扇子から微かな赤い光の軌跡が走ったかと思うと、良亮を包み込もうとしていた重い空気とつむじ風が、まるで嘘のようにフッと消え去った。校庭には再び、元のジリジリとした夏の暑さと穏やかな風が戻ってきた。

 健太をはじめとするクラスメイトたちは、何が起きたのか全く理解できず、ただ口をポカンと開けて竜子を見つめている。

 竜子は扇子をパチンと閉じ、良亮を庇うようにして子供たちに向き直った。


「よろしいですか、皆様。色は単なる光の波長に過ぎませんわ。それをどう捉えるかは心のあり方次第。ピンク色を(まと)って堂々としている越智さんの方が、よほど精神的に立派な殿方ですわよ!  些末(さまつ)なことで群れて騒ぐなど、教養の無さを露呈しているようなものですわ」


 八歳の子供に対してはあまりにも難解で、そして威圧感たっぷりの「お嬢様ことば」による説教。しかし、その声に込められた不思議な言霊の力と、竜子自身の堂々たる佇まいに圧倒され、からかっていた子供たちはすっかり気圧(けお)されてしまった。


「な、なんだよあいつ。すっげえ迫力……」


「ご、ごめん、越智くん……」


 健太たちは気まずそうに視線を泳がせると、そそくさと校庭の反対側へと走って逃げていった。

 騒ぎが収まり、体育の小林先生が遅れて校庭に姿を現すと、クラスはすでに何事もなかったかのように整列を始めていた。

 良亮は、自分の目の前に立つ小柄な少女の背中を見つめ、小さく息を吐き出した。


「……ありがとう、門前さん。助けてくれて」


 良亮がお礼を言うと、竜子は振り返り、扇子を口元に当ててにっこりと微笑んだ。


「お礼など不要ですわ。わたくしはただ、乱れた言霊の波長を調律しただけ。それに、わたくしのことは『竜子』とお呼びなさいな。どうやら私たち、少なからずご縁があるようですから」


 竜子はそう言うと、良亮の少し上、何もない虚空を見つめて深く頷いた。


「お母様も、もうご安心なさって。この竜子が、越智さんのことはしっかりとお守りいたしますわ」


 その言葉を聞いた瞬間、天井付近を漂っていた涼子の魂は、両手で顔を覆い、声なき号泣を漏らした。

(ありがとう……! 本当に、本当にありがとう、竜子ちゃん! この子のことを、どうか助けてあげて……!)

 涼子は空中で何度も何度も、竜子に向かって深々と頭を下げた。竜子は誰にも見えないその感謝の礼を、静かな微笑みをもって受け止めていた。

 良亮は、竜子が虚空に向かって話しかけるのを見て、自分の母親の魂が本当にそこに存在しているのだと確信した。姿は見えなくても、声は聞こえなくても、ママは僕を見守ってくれている。その事実が、良亮の冷え切っていた心をじんわりと温かく包み込んでいくのを感じた。


「ねえ、竜子ちゃん」


 良亮は、無意識のうちに竜子のことを名前で呼んでいた。


「竜子ちゃんは、ママの姿が見えるの? 僕の家で今、何が起きてるか……分かるの?」


 竜子は閉じた扇子で自分の(あご)を軽く叩き、少しだけ真剣な表情になって良亮の顔を覗き込んだ。


「ええ。あなたの周囲には、霊的な因果の糸が複雑に絡み合っておりますわ。特にご自宅の方角から、本来あるべきではない魂の『ズレ』のようなものを感じますの。おそらく、あなたのお母様のお体に、別の何者かが入り込んでいるのでしょう?」


 良亮は目を丸くした。誰にも言っていない秘密を、今日会ったばかりの転校生にいとも簡単に見抜かれてしまったのだ。


「すごい……。全部その通りだよ。ママの体の中に、おじさんが入っちゃってるんだ。僕、どうしていいか分からなくて……」


 良亮の悲痛な告白を聞き、竜子は力強く頷いた。


「お任せなさいな! わたくしは河崎神社の神職の家系で修養を積む身。迷える魂を導き、邪悪な歪みを正すことこそがわたくしの使命ですわ。放課後、あなたのご自宅へ伺わせていただきます。わたくしが、あなたの抱える不可思議な事象を解決するお手伝いをして差し上げますわ!」


 おーほっほっほっ! と、再び校庭に竜子の高らかな笑い声が響き渡る。

 不思議な力を持つお嬢様、門前竜子。彼女の登場によって、良亮を取り巻く状況は大きく動き出そうとしていた。母の体を乗っ取った岩瀬友之の正体と、その背後に隠された「死の謎」。そして、河崎の街に渦巻くもっと巨大な闇へと続く扉が、二人の小さな手によって今、開かれようとしていたのである。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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