思い出の中にいて欲しい人
朝の訓練場は好きだ。
誰もいない静まりかえった訓練場の入り口で一礼して入って行く。
石で作られた床と壁を見渡しながら歩いていても、足音さえも消えていくようで、まるで石そのものが静寂を作り出しているような感覚になった。剣を構え遠くの小窓を見ると、朝焼けのオレンジ色に目を細め一言つぶやく。
「今日も鍛錬を頑張ります」
一定のリズムで空気を剣で切っていく。師匠のように毎日の日課になっていた上下素振りは、自分にとって集中力を養う為に最適な稽古になっていた。額からの汗で一度剣を置こうとすると横からの視線に気づいた。
「おはよう、ローウェルト嬢。早起きだね」
「……おはようございます。閣下」
予想もしていなかった人物がいて戸惑ってしまったせいで返事が少し遅れてしまった。
「いつもこんな早くから稽古しているんだね」
「はい」
「一緒に稽古してもいいかな?」
「素振りがあと五百回ほど残っていますので」
「え……」
「回数は少ないですけれど」
「少なくないよね、その回数。凄いね」
普通に話しかけてきたレイモンドに戸惑いはしたけれど、さっと汗を拭いて素振りを続けた。集中している間は余計な事を考えなくてすむし、顔を見ないでいられると思うと稽古に逃げたい気持ちが出てきてしまったから。
「ふう……」
「素振りの後は何?」
「えっと……。きたっ」
「きた?」
「リリーーーーーー」
「ふぐっ」
訓練場に向かって走って来る足音で誰なのか察して身構えたけれど、全速力で向かってきて抱きしめられる勢いにまた変な声が出ていた。
「おはよう、かわいいリリー。今日も頑張ってるね。素振り終わった? 俺と対戦しながら剣の練習でもする? 終わったら朝食も一緒に食べたいな」
「おはよう、ジェイ。ちょっと落ち着いて。朝から元気なのはいいことだけど、とりあえず離して」
抱きつかれてなおも離さないジェイを押しのけながら話す。
「んーしょうがないな」
渋々離したジェイに満面の笑顔のレイモンドが挨拶した。
「おはようございます。騎士団長」
「おはようございます、閣下。こんな朝早くから訓練場の見学ですか?」
「いや、鈍っている体を動かしながら剣の練習にきたんだ、まさかローウェルト嬢と話していて邪魔が入るとは思わなかったよ」
「それは残念でしたね。リリーはこれからこの私と練習するので」
「閣下とジェイで対戦しながら練習したら?」
二人ともやけにニコニコしながら話しているから仲が良いのかと思って提案してみたら、二人は急に嫌そうな顔になって私を見た。
「お二人が仲良さそうですので私ではなく是非二人でどうぞ。私は同僚と練習します。朝食は寄宿舎でとりますので、また次の機会にします。では、失礼いたします」
自分のペースを崩されそうな二人に挨拶してその場を去った。この国で会ってからよく話しかけてくるようになったレイモンドに度々戸惑ってしまい昔のように話す事ができない。
(話しかけてくれることなんてなかったのに……)
思い出に浸り実らなかった恋がまた大きくならないように、いつもより稽古する時間を長めにとったら、その日の朝食はビスケットと紅茶だけになってしまった。軽く済ませると今日の任務の確認をする為に同僚の元へ向かう。
街の賑わいの中、見逃さないように辺りを見渡しながら警備をして行くと中央広場まで来ていた。色とりどりの旗が飾られ女王の在位五十年の式典を心待ちにしているようだ。ここから同僚とは二手に分かれ街の警備にあたる。走り回る子供達に馬車に気をつけるように注意しながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「ローウェルト嬢」
振り返ると出来れば会いたくはない人がこちらに向かって来た。
「こんな所で会えるとは思わなかったよ」
「ごきげんよう、閣下」
「そろそろ昼食をとろうと思っていたんだが良かったら一緒にとらないか?」
「申し訳ありません。見てのとおり今は任務中ですのでまたの機会に。先を急ぎますので、では失礼します」
話しを長引かせないようにすぐに断りをいれ足早に去る。
(前は呼び止める事さえなかったのに……。一緒に昼食? お茶会でさえ断って来てはくれなかったのになんで?)
頭の中に煩わしい思いが入り、思考を鈍らせるだろう感情とどう向き合っていけばいいのか解らない気持ちからか、歩きながら何度もつきたくはないため息を吐いていた。
(しっかりしろ、リリア)
心の中で自分に言い聞かせて前を向くと、遠くに手を振る同僚がいる。気持ちを吹っ切ろうと全速力で走っていった。
式典に向けて盛り上がりを見せていた街に、懸念という出来事が起きたのは夜闇が濃くなったその日のことだった。




