その15 カルパッチョと人称代名詞
「うん、美味かった。さすが金かけているだけあるわ」
甲高くて、よく響く声だ。
井上ヒロミは、ヨーグルトのスプーンを紙ナプキンの上に置いた。
ヨーグルトを食べ終えたという事は、全て食べ終えた、ということだ。
今のところ、井上ヒロミとは僕の中ではそういう人間だった。
その声に釣られたのか、さっきまで箸の止まっていた他のメンバー達も箸を動かし始める。
ブース内に音が戻り始めた。
僕は、ローストビーフを数切れ食べただけで、前菜にも箸を付けていない。
水を飲もうとした瞬間、井上ヒロミが僕の方に体を向けた。
「自分の人称代名詞を言わない人ですね」
僕は少し驚いて、グラスを持った手を止めた。
「え?」
「自分の人称代名詞を言わない人は、次の三つに分類できます」
僕は井上ヒロミに顔を向ける。
「簡単に言うと――
自己主張を控えたい人間、
警戒心が強い人間、
客観性を重視している人間」
井上ヒロミは、その幼顔を少し傾ける。
「あなたはどれだろう…まだ、見えないな。それより、川口さんがあなたを見ていますよ」
そう言うと、井上ヒロミは体の向きを戻した。
僕が川口ミノリに視線を向けると、彼女はすかさず視線を下げた。
何か僕に言いたい事があるのか?
だったら言えばいいのに。
それより…自分の人称代名詞を言わない…つまり、僕は話す時に「私は」とか「僕は」と言わない…そういうことか?
意識したことも認識したこともなかった。
でも、それが一体何なんだ?
僕は前菜に箸を付けた。
美味い。
貝だ…ホタテか?
このオイルは、オリーブオイル。
何かの水菜が乗っている。
スパイシーなレモン風味。
「この帆立のカルパッチョ、チョー美味しい!」
川口ミノリの声だ。
ヘェ~、コレが帆立のカルパッチョなんだ。
今度は僕が体を井上ヒロミに向けた。
「"金がかかっている"って、何故分かるんですか?」
今度は井上ヒロミが言った。
「え?」
「ゲストフロアの内装や、この料理を見た時にそう言ってましたよね」
「ああ⋯」
井上ヒロミは、ゆっくりと僕に向き合うように体の向きを変えた。
よく見ると、その顔は幼顔じゃなかったんだ。




