その12 雑音と雑念の負の相関
僕はあの信号機のことを考えていた。
僕の人生の時間の一部を、毎朝無駄にしているあの信号機だ。
車の通行量など殆ど無いに等しいくせに、車優先の信号制御をしているあの信号機だ。
他の人にすれば、信号待ちで無駄にされる数分は、他愛もない、許容できる些細なことなのだと思う。
だがどうだろう。
年単位で考えてみたら。
合理的な理由が不在のまま、毎朝3分を無駄にされている僕は、一年間で18時間15分を無駄にしている事になる。
そしてどうだろう。
これは僕一人ではないだろう。
例えば、日本の人口の四分の一の約3千万人の規模で考えてみたら。
一年間で、約5億4,750万時間が無駄にされている。
更にこれを、時給2,000円で金額換算してみる。
なんと、約1兆950億円の損失だ。
これは、日本の超大型公共事業、大きな自治体の年間予算に匹敵する額だ。
国家規模で考えれば、膨大な損失ではないだろうか。
確か、「セブン」という映画で、シリアル・キラーがこんなことを言っていた気がする。
人々は「過ち」の多くを許容することに慣れきってしまっている。
だが、私は自分の行いで、それが間違いであることを知らしめるのだ。
そうだ、やはりーー
見過ごせない。
他のメンバーは議論をしていた。
皆の声が僕にとってのある種の環境音になっていく。
僕は昔から静寂が苦手だ。
そして、一人で黙々と何かに集中することが苦手でもある。
僕は、少し騒ついているくらいの環境にいた方が、少しは何かに集中できる。
これは、ある種のメンタルの症状かと思ってAIに聞いてみた。
AIはこう答えた。
医学・心理学的に説明できる現象です。
ただし、「静寂が苦手で雑音がある方が集中できる」こと自体は病気や症状とは限りません。
よく知られている説明の一つが、脳の覚醒水準(arousal level)です。
つまり、僕の場合は、静かすぎる環境では、パフォーマンスの高さに関わる緊張・興奮状態のレベルが下がってしまい、注意が内側へ向いて、別のことを考えるようになるらしい。
この丁度良い騒めきの中で、さて、これから“僕がすべき行い”を考えてみようか――
という時に、邪魔が入った。
誰かが僕の名前を呼ぶ声に気付いてしまったんだ。




