俺だって必死だったんだからな……
「狐拳っていうの……? 確かそんな話、あったような気がするのよね」
唐突に会話に参加してきたのは、霧ヶ峰だ。
「ほう。ではその答えを知っているとでも言うのか?」
挑発的な視線を送ってくる鷹司の傍らで、御影は「狐拳とは何だ?」と訊く。
「ほら、じゃんけんじゃないけど、あるじゃない。キツネ、猟師、鉄砲で三すくみ」
「猟師はキツネに化かされるから、キツネの方が強い……あ、でもそれだと鉄砲より猟師の方が強いか」
随分あっさりと回答が出たな――と思ったが、どうやらこの議論、そこまで一筋縄ではいかないらしく、聖花と御影が言う。
「でも、猟師の鉄砲は暴発することもあるよね」
「刀が人の心を、良くも悪くも変えてしまうことだって……」
「見たか霧ヶ峰眩香」
頭を悩ませる二人と、「三すくみと言えば、私は中学時代に地元のカルチャーセンターでサンスクリット語を教えていたことがあるわ」と大ぼらを吹く甲賀沼をよそに、霧ヶ峰を嘲笑するような視線を浴びせかける鷹司。
「貴様の結論は、拙速に過ぎるのだよ」
「いちいち言い方がイラつくわねあんたは……!」
「そう赤くなるな、猿でもあるまいし」
尤も貴様は大して変わらんかもしれんがな――と、余計なことを付け加える鷹司。
ここまで言われて、素直に引き下がれる霧ヶ峰ではない。
「鷹司知紗季……!」
「おいおい……」
これどうやって収拾付けるんだよ――。
しかも言い出しっぺの甲賀沼は、大ぼらを吹くだけ吹いてどっか行ってるし――。
しかも甲賀沼を探していて今気づいたが、紗那が廊下からこっち見てるし――。
「なあ、杉内――」
「何だよ黒瀬、それともあれかこの状況を何とかしてくれるって……」
「いや……それとは関係ないんだが」
黒瀬は、そう言って真剣な表情で切り出す。
「席替え、また延期になるといいな」
そうだ――。
席替え。
体育祭が始まる前、あの蜥蜴女――賀茂川楓子が唐突に「体育祭が終わったら席替えをします」と言い出し、それ以来目立った動きはない。
今現在、甲賀沼と鷹司という、性格には難があるが一応見ているだけの分にはトップクラスの美少女二人に囲まれている黒瀬からすれば、席替えをするという宣言は地獄の響きだろう。
「まあ、あいつも忘れてんじゃねえの」
「だな」
いや――覚えていたけれど、面倒だからやらなかった、という可能性もあるか。
でもどちらにしても、しばらくは席替えはないだろう。
と言うわけで。
あの一件以来、特に大きな出来事もなく、俺の高校生活は比較的平穏に過ぎて――。
「IQで思い出したけど、そういえば再来週から中間試験じゃない!?」
――とはいかないようで。
「私としたことが……! この私としたことが、中間試験を忘れるなんて……!」
いや――霧ヶ峰の気持ちもよく分かる。
あれだけいろいろ――俺が出来損ないのカレーを食わせられたり、俺が高熱を出して倒れたり、俺が女装して騎馬戦に出させられたり――あって、中間試験の存在を覚えていられる方が俺にとっては不思議だ。
尤も、霧ヶ峰も去年の期末までは、俺にとっては不思議な人間の部類に含まれていたわけだが。
ただ彼女はこのことにいたくプライドを傷つけられたらしい。
奨学生だからと言うのもあるだろう。
でも、それ以前に霧ヶ峰は秀才集まる生徒会の副会長でもある。
そして――。
そんな霧ヶ峰の机に手をつき、膝を震わせている聖花。
「嘘……でしょ……」
いや――気持ちは分かる。
でも嘘ではない。
「何ッ! 嘘だったのか!?」
一人、コントのような返しをする御影。
まあでも――。
おそらくこの寮の人間、誰一人としてまともに勉強なんてしていない――というか、今までできなかったわけで。
それもこれも、紗那が思いつきであんなことを言い出したせいだ。
「それが青春の輝きなのです!」と言われてしまっては、言い返しようもないけれど。
俺は、廊下の方に視線を移す――。
いない。
授業なので教室に帰ったか、あるいは試験と言う言葉が耳に入って逃げ出したか。
多分後者だろう。
ただ――。
紗那、なんだかんだ言って俺より数段は頭いいし、勉強も出来るんだよな――。
俺と四六時中一緒にいるとしても、成績には自然、差が出るわけで。
ここはひとつ、俺も気を引き締めて行かないと――。
何せ、鬼門院の家の金で行かせてもらった学校だ。
留年なんてしたら、親類に合わせる顔がない。
黒瀬の机に視線を移す――。
「なあ、杉内――」
「何だよ黒瀬」
「席替え、また延期になるといいな」
分かりやすい思考停止だ――。
そんなわけで――。
今まで料理対決や騎馬戦にうつつを抜かして、勉学が疎かになっていた俺たちだったが、この時期になれば否応なく勉強をさせられるわけで。
こんな言葉にまとめると、ただ遊んでいるようにしか聞こえないが。
「俺だって必死だったんだからな……」
俺は、誰に言うともなくそう呟いた。




