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ハルモニア  作者: 岸部碧
第四章
18/28

伝書鳩の見解

 闇。街を闇が包んでいる。

 しかし街は民家や店の明かりで満たされ、完全な闇に閉ざされる事はない。

 その人影は漆黒の瓦屋根の上に佇み、静かに足元の街を見下ろしていた。

「……ちっぽけだとは思わないか。怪力や高等な魔術を使う魔族、それらを押さえ込む事が可能な異能者。そのどちらよりも貧弱な人間が、こうやって威張り腐っている」

 ぽつりと落ちた呟きは独り言のようにも思えたが、彼の背後にはまた違う人影があった。

 画用紙に針で穴を開けたような程度の星が瞬く空から降り立ったその少年は、呆れたように僅かに目を細める。

「巡回終了しましたー。遅れてすみませんー」

「……ん。お疲れツバメ君」

「それってー、誰の言葉ですー?」

 振り返りもしない彼の背中に向かって、ツバメは小さく肩を竦めた。

「また何かお小言言われたんですかー。自分にそんな事言われてもー、慰めたりしませんよー。むしろ迷惑なんでー泣きつくなら奥様でも坊ちゃんでも、お好きに選んで余所行ってくださいー」

「……ツバメ君はアキラさんと春君が慰めてくれると思うの?」

「いいえー全くー。直接会えない春様はともかくー、光様なら殴りかねないかとー」

 広げていた白い翼が閉じ、それすらも羽根となって消え失せる。

 ツバメは軽くスーツを直しながら、項垂れる主人に目を向けた。

「嫌なら嫌って言ってやればいいんですー。そんなんだからー、光様達に根性なしって言われるんですよー」

「……知ってるけどさあ、仕方ないじゃないか。僕は当主なんだから、姉さんに笑われないようにしなきゃ死んだ時に殺されちゃう」

「ほんとー、どうしようもないシスコンですねー。死んだのにまた殺されそうな姉を、そこまで慕えるキモさは尊敬しますよー」

「どういう訳か僕の周りはみんな毒舌家だからね、慣れちゃった」

 ハハ、と笑みを零す主人にツバメは首を傾げる。

 自分は思った事を言ったまで。本来の主従関係ならばそれも憚られる事なのだが、この主は特別だ。

 彼は主従でありながら対等を望む。決して対等にはなれないと理解しているからこそ、彼は誰かと対等である事を望んでいる。

 ツバメは、そう遠くない昔を思い浮かべた。

 鳩ヶ谷の一族は代々、この水無月の家に仕えてきた。それは産まれる前から決められた事であり、守らなければならない事。

 それに辟易している者もいる事にはいるが、少なくともツバメ自身は苦ではなかった。まだようやく十歳になったばかりの所為かもしれないが、それでもよかった。

 嫌気がさす事がないのは、この主人のお陰だと充分に理解しているからだ。

「もう先代もいない事ですしー、久遠様は久遠様のやりたい事をやればいいんですよー」

 はあ、と溜息を吐くツバメに彼が僅かに振り返る。

 久遠は僅かに驚いたような顔をして、ツバメを見つめたままぱちぱちと瞬きをした。

「……僕、やりたい事やってるつもりなんだけど」

「まだまだですよー。やると決めたなら、全力でやってくれないとー。光様も春様も、父も苛々してましたー。久遠様は女々しいからー、すぐ先代に怯えるでしょー」

 抑揚のない声がグサリと胸に刺さって、久遠は苦笑するしかない。

 乾いた笑みを貼り付けた主人を冷めた瞳で見つめ、ツバメはもう一度溜息を吐いた。

「久遠様に必要なのは、決断。後はどうとでもなりますー」

「……なるかな?」

「なりますよー。仕方ないから自分達がやってあげますー。人間も魔族も異能者も関係ありませんー。久遠様が命じれば、自分達がどうとでも捻じ伏せますー」

 無機質で無感情な声が闇に落ちる。

 しかしそれを発するツバメの瞳には、しっかりと彼の感情が込められていた。

「“嫌な事は嫌”なんてー幼稚園児でも言えるんですよー。失いたくないならそう言ってくださいー。じゃないとー、遥様に殺される前に春様に殺されちゃいますよー」

「……春君、ね。そうだね。もう後戻りはきかないし、僕も頑張らないと殺されちゃうね」

 小さく小さく、久遠は笑う。

 今まで多くのものを奪ってきた自分が再び失う事を恐れているなど、他の一族に知られれば笑われてしまうだろう。しかし少なくとも自分を慕ってくれている者、家族や仲間は少しも笑わない。その事に自分でも驚くほど安堵している。

 そんな主を見つめて、ツバメは僅かに肩を竦めた。

「……遥様と久遠様ってー、確かあんまり似てないんですよねー?」

「え? まあ、そうだけど……それがどうかしたの?」

「春様に荷物をお届けした時、那由多様にもお会いしたんですけどー」

「ええ!? 何それ、聞いてないよ!?」

「あー、父には言ったんですけどねー? 絶対久遠様がウザいから端折はしょったんですー」

 思わずツバメに詰め寄った久遠だったが、やはり抑揚のない声にがっくりと肩を落とす。しかしそれもほんの少しの間で、すぐに顔を上げてじっと彼を見つめた。

 その菫色の瞳が先を促しているのがわかり、ツバメは内心溜息を吐く。

「遥様にお会いした事ないからわかりませんけどー、多分、那由多様は久遠様に似てますー」

「ほ、本当?」

「ビクビクしてる所とかー? 自分相手に、春様の後ろにずっと隠れてましたー。あと、阿呆っぽい所もそっくりー。ほんと、氷取沢のお婆様はどういう教育をしたんですかねー?」

 それを聞いた久遠は、自分が若干貶されている事も忘れてぱちくりと大きく瞬きをする。

「……そっか、あの時のまま育ってくれたんだ。師匠には感謝しないとな」

 思い浮かぶのは、うだるように暑い夏の日々。幼い息子と駆け回っていた小さな少女に思いを馳せて、その笑みに遠き日の姉を重ねた。

12月29日 誤字訂正

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