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ハルモニア  作者: 岸部碧
第三章
17/28

 そっと、春の手が短剣から離れる。

 それと共に手のひらを貫くそれが青白い光を纏い、次の瞬間、那由多の手を赤い炎が包み込んだ。

「ひっ……!?」

 思わず引きそうになった腕を、春が強く掴む。手のひらに刺さっていた筈の短剣が炎へと姿を変え、那由多の手のひらを焼かんばかりに勢いよく燃え上がった。

 信じられない光景に今度こそ泣き叫びそうになって、那由多はふと気付く。

 炎は確かに手のひらを覆っているというのに、全くといって熱を感じない。そればかりか、本当に覆っているだけで皮膚が焼ける様子すらない。

 めらめらと燃える炎の中には、いつもと変わらない自分の手のひらがあった。

「……父親か」

 問い詰める事も忘れて瞠目する那由多の背後で、春がぽつりと呟く。

 そうして彼女の腕を掴んでいた手を離し、炎に触れようとした所で、那由多の手のひらを舐める炎が消えた。

 予想外の事態に咄嗟に春が手を引くと、パシャンッと足元の床が濡れた。弾かれたように目線を足元へ移せば、どこから降ってきたのかもわからない水が、フローリングに水溜りを作っている。

 最早言葉を発する事さえできない那由多。春は先程まで燃えていた筈の那由多の手からぽたぽたと水が滴っているのを見て、はあ、と溜息を吐き出した。

「なんだ、那由多も当たりか」

「え?」

 疑問符を連発する那由多をようやく解放し、春は水溜りに手を伸ばす。春の手が透明のそれに触れると、青白い光を発し短剣の姿に戻った。

 ぱちぱちと目を瞬かせる那由多を振り返り、春は短剣をかざす。

「これは『審判のつるぎ』っつって、異能者の一族は殆ど持ってる。対象者の体のどこかしかに刺して、能力を明らかにするんだ。殺傷能力もないから怪我しないし、異能者の子供は大抵やってる」

「……刺す前に言ってほしかった」

 淡々とした説明を聞き、那由多は恨めしそうに春を見ながらぼやいた。

 それも当然だ。本当に刺されてしまったのかと思うと怖かったし、その剣がまた不思議な現象を起こすものだから驚いたどころではない。

 悪い悪い、と形ばかりの謝罪を述べ、春は短剣を木の箱にしまった。

「能力を持たない奴が刺されれば短剣のまま、能力持ちはその能力にあてられて姿を変える」

「じゃあ……」

「那由多は母親の水を操る能力と、父親の炎を操る能力。どっちも受け継いだみたいだな」

 彼が言っていた『当たり』の意味をようやく理解して、那由多は小さく拳を握った。

 こうやって明確に自分に力があるとわかったのは嬉しいが、少しだけ怖くもある。

 しかし那由多は命を狙われているのだから、多少なりとも戦えなくてはならないだろう事も理解していた。だからその事についてはいいとして、気にかかるのは父親の事だった。

 春から聞かされた両親の話は少ない。恐らく彼も、人から聞かされた事しか知らないのだろう。

 それでも彼は、那由多の父親は魔族だと言った。炎を見ても驚かなかったのだから、父親が炎にまつわる魔族だと知っていた筈だ。

 那由多は小さな決心を固めて、散らかした荷物を再びダンボール箱に詰め込んでいる春を見つめた。

「アズマくん、私のお父さんって……どんな魔族なの?」

 ぴた、と彼の動きが止まる。

 まさか何か悪い事でも言ってしまったのだろうか、と一瞬不安が過ぎった。しかし気になる事には違いなく、今更撤回する気持ちもない。

 唾を飲んでただ答えを待っていると、ゆっくりと春が振り返った。

「……俺が知ってるのは、名前と能力。後は自分で調べた、一般的に知られている性質だけだ」

「性質……?」

「気性だな。親父もばーさんも会った事はない。伯母さんから名前だけを聞かされたらしい。多分直接会って生き残った奴もいないから、その性質が確かだとは言い切れない。だけど俺は本当だと思ってる。……それでも知りたいか?」

 紫の瞳は真剣な色を帯び、まっすぐに那由多を見つめる。

 そこで、那由多は思い出した。異能者と魔族の関係を。

 春は異能者だ。恐らく魔族を快く思っていない。そんな彼がこうやって確認してくるという事は、ただでさえ恐ろしい魔族の中でも恐れられているのだろう。

 別に父親がどんなヒトか知らなくても困りはしない。今まで何も知らずに生きてきたのだから、能力の使い方さえ覚えればいい。那由多にはまだ、知らないままでいられる選択肢が残されている。

 那由多はきつく拳を握り締め、春を見つめ返した。

「――知りたい。どんな事でもいい、二人の事を知りたい」

 吐き出したのは、本心だった。

 嘘を吐いて聞かずに済む道を選ぶ事もできたが、それを望んではいない。

 僅かに見開いた瞳を見据え、那由多ははっきりと言葉を紡いだ。

「お父さんとお母さんは愛し合って、私を産んでくれた。二人は私を守ってくれた。でも私が二人の為にできる事って、二人を知る事しかないから」

 姿も知らない両親は、確かに愛し合っていたのだろう。そうでなければ、自分の命を捨ててまで子供を守ろうとする筈がない。

 どんな人間だろうと魔族だろうと、自分の両親には変わりないのだ。

 だから知りたい。少しでも多くの事を知りたかった。

 お願い、と切なく揺れる紫苑の瞳に、春は小さく息を吐いた。


「――お前の父親は、『イフリート』」


「……イフリート……?」

「ジンの一種で所謂魔人だ。……ランプの精って言や、わかりやすいか?」

 フローリングの上にどかりと座った春が、僅かに眉を寄せる。

 倣うように那由多も彼の前に腰を下ろし、静かに耳を傾けた。

「色々と能力を持ってるらしいけど、特に炎を自在に操る者として有名だ。ジンの中にも階級があって、五つの階級の内上から二番目に位置する大物。性格は獰猛かつ短気、厳つい顔をした巨人だと言われてる」

 淡々としていながら、所々に春の苛立ちが透けているようで那由多は身をかたくした。ふと思い浮かんだ疑問にすら気付かないふりをして、グシャリと前髪をかき上げる春を見つめる。

 初めて聞いた父親の話というにはあまりにも殺伐としていて、実感が湧かない。しかも凶暴だといわれている魔族を、何故母が愛したのかもわからない。

 母の遥も異能者であり、魔族を狩っていた筈だ。イフリートも何故、遥を愛したのか。

 疑問は次々に浮かぶが、どれも春に答えられるものではないだろう。それを充分理解していた那由多は、そっと息を吐き出した。

 父親は魔人のナンバーツーで、母親は水を操るいくつかの一族のトップに立つ程の人物。

 只でさえ異能者と魔族は互いを嫌悪しあっているのに、それだけの実力者同士が子供を作ったとなれば、殺されてしまっても仕方がないのかもしれない。

 どんな両親でも仕方がないの一言で片付けるのは嫌だったが、それぞれの仲間は信頼を裏切られた気持ちで一杯だったのだろう。

 それを考えて鬱然としてしまうと、春が盛大に溜息を吐いた。

「お前が何気にしてんのかだいたいわかるけど、他人は他人だろ。いちいち気にしてたらやってらんねーよ」

「……でも」

 情けなく眉尻を下げた那由多の言葉を遮るように、パンッと春が手を叩く。

 それに一瞬びくりとした那由多は目を丸くし、ニイッと笑う彼を見つめた。

「水無月遥もイフリートも、他が何と言おうと自分で決めた道を進んで果てた。なら、その娘のお前はどうする?」

 力強い紫の瞳が那由多を射抜く。

 自分で決めた道。脳内でゆっくりとその言葉を反芻し、考える。

 中学生の時と今も変わらず、将来やりたい事も何もないまま、進みたい道はまだ思いつかない。

 それでも、このまま終わりになんてしたくはなかった。

「私は生きたい。お父さんとお母さん、お祖母ちゃんが守ってくれた命だもん。私の命まで、他人に決めさせない」

 ついさっきまで頼りなく揺れていた瞳に宿る光は強く、春はふっと笑みを零す。

 春としても、生きる気力のない人間を守ろうとは思わない。それがいくら、血の繋がった従妹であってもだ。

 そんな生温い繋がりなど、この世界では容易く切れてしまうのだから。

「上等だ」

 ぐしゃりと色素の薄い髪を掻き混ぜると、那由多は嬉しそうに頬を綻ばせた。

12月29日 誤字訂正

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