6話
朝起きて、今日の天気はなんだろう、とか。
授業中、早く昼休みにならないかな、とか。
帰り道に、チョビ可愛かったな、とか。
毎日大体考えていることは一緒。
だけどふと気づいた時にオスカーさんのことを考えてしまう瞬間が増えている。
元気にしてるかな、とか。
忙しそうだけど無理してないかな、とか。
オスカーさんが裏庭を訪れなくなって2週間が経っていた。
今日も来ないのだろうか。
そう思っていたらガゼボの柱に頭を預け、眉間に皺を寄せたまま目を閉じている人がいた。
足元でチョビが慣れたように丸くなっている。
「あ…ロベリア…?」
「…オスカーさん」
ここ最近、裏庭だけじゃなく、学園でも見かけることがなかった人。
隣国トラブルの対応に追われて学園自体を休んでいると噂で聞いていたけど。
なんでここにいるんだろう?
前より濃くなった目の下の隈。
いつもの爽やかさのかけらもない無精髭。
乱れた髪にとりあえず羽織ったみたいな制服。
久しぶりに見る彼はくたびれたおじさんみたいになっていた。
こんな姿を貴族の女子生徒達が見たら発狂するんじゃないだろうか。
「…眠れてないんですか?」
「まぁね…」
話す気力もなさそうだった。
そのまま再び目を閉じてしまった。
首の位置が定まらないのか何度も柱に頭を擦り付けている。
ぶつける度に眉間の皺が増えるのがなんだか哀れに思えてそっと隣に座った。
「んぇ?何?」
「…仕方ないので。」
「は?」
「いつものチョビの餌のお礼ですよ。」
グラグラしている頭を引き寄せて私の膝の上に落とした。
多分、柱よりは柔らかいはずだ。
「え?ロベリア…?」
「…少しでも、休んでください。」
目を白黒してこちらを見るオスカーさんの目に手を当てて視界を閉ざす。
あまりまじまじと見られても恥ずかしいし。
少しの間戸惑っている空気は感じたけれど、やがて静かな寝息が聞こえてきた。
みゃー?
「しー。静かにね、チョビ」
そっと労るように頭を撫でる。
ふわふわのチョビとちがうサラリとした毛質。
癖毛の私よりもサラサラで羨ましい。
無防備で子供みたいな寝顔。
オスカーさんの顔をこんなに近くで改めて見るのは初めてだった。
伏せられた長いまつ毛。
シミひとつないスベスベな肌。
スッと通った鼻に薄い唇。
見れば見るほど整ってる。
「これじゃ女子が黙ってないのもわかる。」
どのくらいそうしていただろう。
昼休み終了を告げるチャイムはとうの昔に鳴っていた。
でも、穏やかな寝息が聞こえるうちは、その場を動きたくなかった。
この人に少しでも休んでほしくて。
側を離れがたくて。
それに、授業をサボるなんて初めてかもしれない。
なんだか不良になった気分だ。
初めて考える言い訳に少しだけワクワクした。
…やっぱり無難に保健室かな?
そんなことを考えていたら突然ガバッとオスカーさんが体を起こした。
いきなりのことにびっくりしてチョビは飛び上がって逃げていってしまった。
「っ寝てた!」
「っ…びっくりした…」
「ロベリア…え?ロベリア?なんで?夢?」
「…まだ寝ぼけてますか?」
「え…?」
私を見て、私の膝を見て、もう一度私を見て
わかりやすく視線が動く。
状況を理解すると顔を手で覆って天を仰いでしまった。
こんなに余裕のない姿を見るのも初めてだ。
それだけ実務が大変ということなのかな。
「少しは休めましたか?」
「…休めた。ものすごく休めた。」
「それならよかった。」
足は痺れたけどその甲斐があったと言うもの。
でもなんて言ったらいいのかはわからなくて。
お互い視線は逸らしたまま。
少し気まずい空気が流れた。
みゃー?
「あ、チョビ。」
やっぱりチョビは救世主だ。
猫に空気が気まずいとかそんなことは関係ないのかもしれない。
逃げた先から恐る恐る戻ってきてオスカーさんに気がつくと会えて嬉しいのかゴロゴロと喉を鳴らして足元に擦り寄って甘えていた。
チョビも寂しかったんだろう。
「久しぶりだなチョビ。デカくなったか?」
みゃ
「お手、覚えましたよ」
「天才か?」
みゃぁお…
そんな話をするうちに気まずさは自然となくなっていく。
たった2週間なのにすごく懐かしく感じる穏やかな時間だった。
「…ロベリア、あの、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。」
「…でもこういうことをしちゃダメだ。」
「チョビには?」
「チョビはいいけど。」
「オスカーさんには?」
「俺は…俺もいいけど。」
「ふふっ」
みゃー!
少し意地悪な質問だったかもしれない。
思わず笑い声が溢れると恨みがましく睨まれてしまった。
「…忙しそうですね」
「…あぁ」
会話が続かない。
前まで自然だったのにこの2週間で喋り方を忘れてしまったみたいだった。
「あの」
「あのさ」
みゃ?
「お先にどうぞ」
「いやロベリアから…」
また沈黙。
みゃぁ
何やってるんだとばかりにチョビが声をあげて、私は背中を押されるように口を開いた。
「…私、お金も身分もないですけど
…話を聞く、くらいならできますから。」
だから話せ、とは言わない。
きっと私では彼と同じものを同じように背負ってあげることはできないから。
言いたければ言えばいい。
言いたくないならそれ以上聞くこともしない。
ただ、少し心配してるってことを、知ってもらいたいと思って言ったこと。
それが通じたかはわからないけどオスカーさんは静かに口を開いた。
「…もし、もしも信頼してる人に裏切られていると思ったらロベリアならどうする?」
真剣な目だった。
私なら…か。
少し考えてみる。
もし、オスカーさんが私を裏切っていたら。
そんなことを考えたくはないけど。
でもきっと、オスカーさんなら…
「…私ならまず相手に何か理由があるんじゃないかって思います。」
「え?」
「優しい嘘という言葉があるように、もしかしたら私を守るためとか、どうしても大切なもののためにそうするしかないのかもしれないって。」
「……。」
「聞いても答えてくれないなら、きっと言えない理由があって。
言ってくれるのを待つか、待てないなら直接私なら理由を調べてしまうかも。」
綺麗事かもしれない。
自惚れかもしれない。
傷つくかもしれない。
でもそれならそれでいい。
疑い続ける方が辛いし、きっとしんどいから。
「…真実を知るのが怖くないのか?
もし本当に裏切られていたら、喧嘩になる。」
「…怖いですけど、信頼してる人なら私は最後まで信じたいですね。」
正解なんてわからないし、私が考えてるよりもずっと答えは難しいことなのかもしれない。
足元のチョビの背を撫でて抱き上げた。
「…人間はめんどくさいにゃー」
みゃー
「簡単なことも深読みして複雑に考えるにゃー」
みゃ
「もしオイラに喧嘩を売る奴がいたらこの必殺猫パンチでやっつけて子分にしてやるのにゃ」
みゃおん
「ははっ…そうだな」
疲れが完全に消えたわけじゃない。
でもオスカーさんの表情は幾分明るくなったように思ってホッと息をついた。
そっと伸ばされた手が私の頭を優しく撫でた。
優しくて甘くて溶けてしまいそうなハチミツ色の瞳と目が合って耐えられなくなって先に俯いたのは私。
「…私はチョビじゃないです。」
「知ってるよ」
撫でられた場所がじんわりと熱を持っていつまでも消えてくれない。
こんな気持ちになるなら、ずっと眠っていて欲しかった。
本当にずるい人。
踏み込めないのに、叶わないとわかってるのに
それでもいいと思わせてくる。
「…もう少しここにいたいけど抜け出してきたから戻らないと怒られそうだ。」
「…そうですか」
「そんなに寂しそうな顔しないでよ
もう少しで型がつきそうだからさ。」
「べつに、そんな顔してないです。
…無理はしないでくださいね」
「うん、疲れた時はまた膝貸してよ」
「…考えておきます」
この人を好きにならないためにはどうしたらいいんだろう。
考えてもその答えはわからなかった。




