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5話




数日後、実家から再び手紙が届いた。

どうやら伯爵家との縁談が向こうの都合で急遽取り下げられたらしい。

良い話だったからこそ両親のショックも大きく、何か失礼なことでもしたの?と少しのお小言も添えられていた。

確かにノルド様は貴族らしい人で、私の好きなタイプではなかった。

でも、初対面は無難に乗り切ったし、何も粗相はしていない、はずなんだけど。


心は全く傷まなかった。

それどころか胃の中の重いものがなくなって心なしか呼吸は楽になった気がする。

日常を手放す恐怖にも怯える必要がなくなった。

これからも私は勉強して裏庭でチョビと遊ぶ。

時々オスカーさんとお話しをする。

それが1番だ。

そう思う私にはやっぱり結婚は向いていないのかもしれない。


「縁談、無くなったんだって?」

「あれ?私言いましたっけ?」

「…なんとなくね」

「そんなにわかりやすかったですか?」

「さぁね?チョビ、お手できるか?お手」

みゃー


オスカーさんは話を逸らすようにチョビと遊び始めた。

最近こうしたことが増えた気がする。

距離感が近いくせに、肝心なところはいつものらりくらりとかわされる。

前まではそれでも彼のことを知りたいとか、気になるとかも思わなかったのに。

でもそれを確認する勇気はなかった。

最近の私は、少しだけおかしい。


「あ、これから少し忙しくなりそうで、暫くここに来れそうにないんだ。」

「そうですか」

「…それだけ?寂しいとか…」

「チョビのご飯はどうしましょうか?」

「えー…俺よりチョビのご飯が心配?」

「今はもうオスカーさんがご飯係ですよ。

ね、チョビ腹ペコになっちゃうよね?」

みゃあ


どうするの、と1人と1匹で詰め寄るとオスカーさんは後退りしながら、懐から取り出した袋をまとめて差し出した。

元より先に渡すつもりだったらしい。

最新技術で作られたという生餌ではなく乾燥した猫のフード。

一つ一つがクッキーのように可愛らしい形でその値段を聞いて驚いた。

平民の1ヶ月の生活費と変わらなかった。

そんな高価なものをペットでもない野良の猫にポンと渡してしまうなんて…。

やっぱりこの人は偉い人なんだ。

そう思ったら餌の袋を握る手に自然と力が入った。


「…オスカーさんのお金で食べるご飯は美味しいかにゃー?」

みゃぁ

「言い方…」


カリカリと音を立て美味しそうに食べている。

可愛い。


「一粒私も食べてみようかな…」

「え?猫の餌を?」

「味、気になりませんか?」

シャー!

「…怒らないでよ、取らないから」


不機嫌そうに揺れる尻尾。

手を伸ばしただけで全力の猫パンチをされる。

撫でさせてくれない…。

手持ち無沙汰になった私は、いつもならチョビしか見ないところをなんとなく気になってチラッとオスカーさんの方を見た。


「うまいかー?俺の金で食うメシはー?」

みゃあ

「そうかそうかー」


きゅん

…………きゅん?

なんだか胸が締め付けられたみたいだった。

男の人なのに可愛い。なんて…


「ん?どうした?」


やっぱり最近の私はなんだか変だ。

きっと全部この人のせい。

そんな甘く優しい瞳を向けられてドキドキしない女の子なんてきっといない。


「ロベリア?」


そもそもオスカーさんと私なんかでは身分が釣り合わない。

だから、これは、多分…


「…チョビ2号ってこと?」

「は?」

みゃ?


ほら、一緒に首傾げたらそっくり。

チョビにも可愛いって思うし、甘えるような目で見られたら心臓が締め付けられるような気持ちにもなる。

だからこれは…恋なんかじゃない。


「チョビ、お手。」

「俺はチョビじゃない。」


…こんな時間がいつまでも続けばいいのにな。

口に出しては絶対に言えないけど。


翌日から本当にオスカーさんは裏庭に現れることが無くなった。


1日目は特に何も思わなかった。

3日目はどこか物足りなく感じて。

1週間経つ頃には遠くから聞こえてきた男子生徒の声にもしかしたらを、期待して振り返ってしまった。


あれほど望んでいた1人と1匹の穏やかな時間のはずなのに。


「忙しいって言ってたけど…」

みゃ

「チョビ遊び相手いなくて寂しい?」

みゃあ…

「私?私は別に…そんなんじゃないけど」


気づけばオスカーさんのことを考えてしまっている自分が嫌で頭を振る。


「…ねぇ、チョビ知ってた?

オスカーさんってこの国の王子様なんだよ」

みゃー?


初めは、本当に知らなかった。

でも、どんどん距離が近くなるうちに、せめて家名くらいは…と彼のことを調べた。

それは予想よりずっと早く簡単に手に入った。

当たり前だ。

だって彼はこの国の王太子だったのだから。

確かに教科書に載っていた陛下に似てはいたけど。

まさか本当に王太子殿下ほどの方がこんな薄暗い裏庭に一人でやってきて、猫と戯れているとはだれも思わないだろう。


王族ともなれば忙しいのは当たり前。

敬うべきか、頭を下げるべきか、悩んで、悩んで、私は何も知らないふりをした。


裏庭にきていたオスカーさんは所作に気品はあるけど王族の威厳的な雰囲気のない1人の男の人だったから。


チョビと戯れる時間が、少しでも癒しになればいい。そう思って。

規模は違えど私も同じだったし。


「お前は自由でいいにゃー」

みゃー?


身分も人付き合いも関係ない。

お腹が空いたらご飯を食べて、眠い時は寝て、遊びたい時は遊ぶ。

まぁ、ダニがいて痒いにゃーみたいな悩みはあるのかも知れないけど。


オスカーさんの卒業に向けて最近はさらに婚約者選びが加速しているみたいだ。

アンジェリカ派閥とエリアナ派閥でなんだか学校の女子生徒たちはギスギスしていた。怖い。

私にも派閥に入らないかと声をかけてくる女子生徒はいたけれど、私が将来適当なところに就職すると知ったらそれも無くなった。

社交界に進出しないなら意味がないということなのだろうか。

女子生徒は私とオスカーさんに繋がりがあるとは疑うそぶりもなかった。

客観的に見たらそれが、普通。

私はしがない男爵家の、それも次女だから。


オスカーさんが本当に約束通り今まで学校中の生徒の目を潜り抜けてここに来ていたんだと思うと少しだけおかしかった。

天井に張り付いたり、壁に擬態したりして。


…彼なら本当にやっているかもしれない。


購買に売っている新聞を読んだら、最近は隣国とトラブルが起きてるらしい。

詳しい理由の記事はなかったけど、物流が滞った影響で、物価が上昇していると大々的な記事になっていた。

国民の不満の声が事細かに書かれていた。


『王族は何してるんだ』

『生活が苦しい』

『仕事はクビになりました』

『高い税を納めてるのに』

言葉で言うだけなら簡単だ。


学園の食堂で遠目に見た彼は笑顔を浮かべていたけど目元にはうっすら隈があった。

きっと様々な問題を解決するために寝る間も惜しんで頑張っているのだと思う。

その頑張りを表に出すことは決してないけれど。

婚約者候補のお二人はそれに気がつく様子もなく自分をアピールしてばかり。

彼だって同じ人間で、疲れもするし、しんどい思いもするのに、どうして自分のことばかりなんだろう?


もし私が身分のある令嬢だったら…

婚約者候補になれたら何か違ったのだろうか。

一緒に悩んで、寄り添って、支えられたのだろうか。


…わからない。

私を見て欲しいと願ってしまうかも知れない。


彼が疲れているのがわかるのに、攻撃されるのが怖いから黙って見ているだけ。

自分のことばかりなのは私も一緒だった。


「はぁ…」

みゃー?


近づく度に、どうすることもできない現状を思い知らされる。

住む世界の違う人。

彼がここに来なくなったら簡単に私たちの関係なんて無くなってしまう。

期待するだけ悲しくなる。

私は、これでいい。このままでいい。


「これ以上は、踏み込んじゃだめ」


自分に言い聞かせるように呟いた言葉は裏庭に静かに響いた。






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