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12話




唖然とする私の手を取ると彼は入ってきたバルコニーのドアから会場の方へエスコートをした。

歩くたびにざわめきが起きて、自然と人が避けて道ができていく。

皆が彼の正体をわかっているという何よりの証拠だった。


「…あの」

「お手を、レディ」


仮面越しにハチミツ色と目が合う。

その人は間違いなくオスカーさんだった。


頭の中がまだ混乱していた。

なんでこんなところに?とか

なんで私とダンスを?とか

他の人と違ってやっぱりかっこいい。とか


差し出された手にそっと添えるとオスカーさんは視線をオーケストラに向けた。

一瞬、会場の音が全部消えた。

誰かの息を呑む音が聞こえてしまうほどに。


オーケストラの指揮者がスッと指揮棒を構え、演奏者たちがワルツを奏で始める。


前に後ろに、左に右に、くるりと一回転。

楽しいなんて感じられない。

そんな戸惑いを隠せない私を彼はダンスの中でぐいっと引き寄せた。


「…今はダンスに集中」

「は、はい…」


腰に添えられた手が優しい。

先程の男性のように無理に振り回されることはない。

すごく、踊りやすい。

でも目の前にいるのがオスカーさんだと思うと失敗もできないと足元ばかりに自然と目が行ってしまう。


「…顔あげて」

「でも…」

「大丈夫、ちゃんとリードするし、足を踏んでも問題ないよ。」

「そんな…無茶な」

「…俺が、信じられない?」


ドキッと心臓が高鳴る。

何もかも見透かされるような瞳だった。


そうじゃない、信じたい。

信じたいのに。怖い。

勇気が出ない。人の目が怖い。


周りの人に相応しくないと笑われたら?

オスカーさんに迷惑をかけてしまったら?


傷つけてしまっているとわかっているのに、私の中のそんな情けない部分がブレーキをかけて前に進めない。

私にできたのは小さく首を振ることだけ。


「俺の目を見て。逃げないで。」


腰を引かれて鼻と鼻がつきそうな距離。

ダンスの中のほんの一瞬のことなのに、嫌でもその瞳と目が合う。

縋るようなその瞳から目が離せなくなった。


会場の雑音が遠くなる。

私の目の前にはオスカーさんだけ。

世界に2人きりになったみたいだった。


「っあ…」


オスカーさんに夢中になっていたら足元が疎かになって躓いた。


頭の中はもう真っ白だった。


転ぶ、ごめんなさい、迷惑が、そんな思考が一気に押し寄せて覚悟して目を瞑った。

それなのに、そんな私の思いごとオスカーさんの力強い手が受け止めて転ぶことはなかった。


周りからどう見えているかはわからない。

でも女性の黄色い声が会場に響いた。


「ほら、大丈夫だったろ?」

「…ありがとうございます」


そして曲が終わると会場が拍手に包まれた。

私はそのまま一礼をして離れようと思った。

でも、離れようと手を引いてもびくともしない。


「オスカーさん?」


終わったから離して。という言葉を遮るようにオスカーさんが再び私の腰に手を添えた。


「…ロベリアは俺の覚悟をまだわかってないみたいだから。」


曲が終わっても離れない私たちにオーケストラや周りの人たちの戸惑う空気を感じる。

オスカーさんはもう一度オーケストラに視線を向けていた。


まさか、と思った。


だめ、止まって。そんな私の思いを無視するように二曲目が流れ始める。


会場が今日1番にどよめいた。


抵抗しようにも腕を強く引かれてそれもできない。

続けて2度のダンスをするのは婚約者や親族の証である。

そんなの貴族の誰もが知ってることだ。

王太子のオスカーさんが知らないわけがない。


「オスカーさん、離してっ」

「離さない。」

「どうして…っ皆見てます。」

「それが何?」

「何って…」

「言いたいやつには言わせておけばいいだろ。」


そういう問題じゃない。

今日の出来事は間違いなく社交界で噂になるだろう。

皆が私のことを調べて、たかが男爵家の令嬢と知ればどうなるかなんて想像に容易い。

オスカーさんもご家族やアンジェリカ様やエリアナ様の公爵家や侯爵家から責められることになる。

事はそんなに簡単な話じゃない。


「元はと言えばロベリアが悪いんだよ?」

「え?」

「俺に黙って仮面舞踏会なんかに参加して。」

「それは…」

「わかってる。

実家に言われて仕方なく、だろ?

でも、それだけじゃない。

君は一度俺から距離を取ろうとした。

酷いなー。俺は夢を夢で終わらせないってちゃんと言ったのに。」

「……ごめんなさい」

「わかるよ、君の考える事は。

男爵令嬢が王太子妃になるなんて現実的じゃないことも。

俺のことを心配して思ってくれているのも。

でも、ロベリアの気持ちは?」

「っ…」


言葉が出なかった。

ダンスはまだ続いている。

会場の音のせいで私たちが今どんな話をしてるかなんて周りには聞こえないだろう。


「………私は」


諦めるしかないって、私は何度も何度も自分に言い聞かせてる。今も。

気持ちだけじゃどうしようもないって。


でも、オスカーさんのハチミツ色の瞳がそんな建前を甘く溶かしてしまう。


今なら、きっと誰も聞こえない。

今だけはきっとオーケストラの演奏が私の声を隠してくれる。


本当は…


私を見つめるその瞳が好き。

私の名前を呼ぶ低い声が好き。

チョビと遊ぶ男の子みたいな顔が好き。

優しいところが好き。

頑張り屋さんなところが好き。

意気地なしな私を引っ張ってくれる力強い腕が好き。

王子だからじゃない。

裏庭で一緒に過ごすあの時間が好き。


「…貴方が、好きです。オスカーさん。」

「…ははっ…やっと、聞けた。」


コツンと額がくっつく。

仮面の向こう側で泣きそうな、嬉しそうな表情をしているのが見えた。


それは、きっと私にだけ。


音楽が終わる。

拍手は起きなかった。

代わりにざわめきだけが広がる。

『あのご令嬢は誰だ?』

『まさか二曲続けて踊るなんて。』

口々に皆がそう言ってるのが耳に入ってきた。


なんて言い訳をしよう。

どうやって言い逃れをしよう。

もうこのまま逃げてしまう方が…


「また逃げようとしてるだろ。」

「え?」

「いくよ。」

「え?え?」


ジロジロと値踏みするような大衆の視線。

でも誰もオスカーさんには何も言えず、やっぱり人混みが自然と開けていく。

オスカーさんは給仕に何かを二、三伝えると、私の手を引いて、知らない廊下を超えたどこかの部屋へと連れてきた。


「ソファ座ってていいよ。」


言われるがまま部屋の中心に置かれたソファに腰掛けたら、想像以上に、わけがわからないくらいフワフワしていて戸惑う。

そんな私をくすくす笑いながらオスカーさんは仮面をゆっくりと外した。

そのままネクタイを緩める骨ばった手が妙に目を引いて小さく息を呑む。


なんだか、いけないものを見てる気分だった。


「ロベリアも仮面、外して。顔が見たい。」

「は、はい…」


仮面を外すと狭かった視界がクリアになった。

部屋に入った瞬間はあまり気にならなかったけど部屋全体が見えるようになるとあちらもこちらも高級そうな装飾品ばかりで勝手に体が縮こまった。


「…お腹空いてるだろ?

さっき給仕に食事を持ってくるように言ったから食べながら話をしよう。」

「そんなの!」


いらないと言おうとしてお腹がキュウと音を立てた。


「ほら」


恥ずかしくて穴があったら入りたくなった。

穴なんてないから顔を手で隠すことしかできないけど。


ドアの方からカチャカチャとカトラリーの揺れる音がしてあっという間にソファの前のテーブルには美味しそうな料理達が並べられていく。

会場で食べたいと思っていた鯛のカルパッチョもあった。


「…ロベリアって魚好きだよね」

「…まぁ、肉よりは」

「てっきりチョビの好物だと思ってたのに。」


そんな話をしながらシャンパンを差し出され、促させるまま手に取った。

コンッと音がしてグラスとグラスがぶつかる


「乾杯」

「か、かんぱい…」


ほんのり甘いスパークリングが緊張で乾いた喉を潤した。


「…………。」

「…………。」


沈黙。

いつもならチョビが声を上げてくれるのにそれもないから気まずい空気を払拭できない。


…何から、話せばいいんだろう。


2度ダンスを踊るなんて何を考えてるの、と怒るべきなのか、

ここに黙って来たことを謝るべきなのか、

それとも…


「…さっきの、本当?」

「え?」

「俺のこと好きって…」

「っ…」


迷子の子供みたいな表情だった。

それを見て気がついた。

悩んでいたのは私だけじゃないってこと。

オスカーさんだって、むしろオスカーさんの方が王族として悩むことも多かったはず。

それでも彼は私のそばにいてくれた。

迎えにも来てくれた。

皆に反対されるとわかっていても世間に私との関係を知らしめてくれた。

そこにはきっと色々な葛藤もあったし不安もあっただろう。

それなのに私は気づかないで、ずっと周囲のことばかりを気にしていた。

本当はオスカーさんのくれる全てが嬉しいと思っていたのに。


「…好きですよ、オスカーさん。」

「もう一回」

「好き」

「…嘘じゃない?」

「嘘じゃないです。」


オスカーさんの膝に置かれた手が震えていた。

たまらず私はそれに重ねる。

どうすればこの人を幸せにできるのだろう。

安心させてあげられるのだろう。

何を返してあげられるのだろう。

私にはそんな権力も地位もない。


でも彼は私を望んでくれていた。

私も彼を望んでいる。

現実だけがずっと厳しいままだけど。


「…俺もわかっているんだ。

ロベリアを選ぶということがどういうことか。

きっと君を傷つけてしまうのも。

それでも、俺は君を望んでしまう。

…嫌なら、突き飛ばして逃げてほしい。」

「……嫌じゃないですよ」

「…きっとこれが最後だよ?」


色々考えた。手放そうともした。

でもできなかった。

結局どうしたってオスカーさんのことが好きだって気づいたらどうしようもなかった。

この気持ちに逃げる場所なんてどこにもない。

辛い現実があっても、この人の側にいたい気持ちの方がずっと強いから。

だからもう一度言葉にする覚悟を決めた。


「…好きです。オスカーさん」


近づく距離を静かに受け入れた。

…キスの味は、わからなかった。






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