番外編 完璧すぎるデート⑤
セラフィナは、自分が何を言ったのか遅れて理解し、頬が熱くなる。
「貴女に私の色をまとわせたかったのです」
レオニスはそういうと、セラフィナの頬に零れた一滴を指先で拭う。
その言葉の意味を測りかねていると、レオニスは手のひらの上の硝子細工を包み直しながら、静かに目を伏せる。
「貴女を見ている者が、多かったので」
思いがけない言葉に、セラフィナは瞬きをする。睫毛でこらえていた涙が、さらに一つ、二つと頬を伝った。
「わたしを?」
「はい」
レオニスの声は静かだった。
けれど、いつもより少しだけ低い。
「カフェでも、劇場でも。通りでも」
「それは……気のせいではありませんか?」
「気のせいではありません」
あまりにきっぱりと言われて、セラフィナは言葉を失った。
レオニスは夕日に染まる街へ視線を向けたまま、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「あなたが誰かの目に留まるのは、当然のことです」
「当然……?」
「はい」
レオニスは短く答えた。
それから、言いにくそうに一度だけ口を閉ざす。
「ですが、面白くはありませんでした」
面白くない。
その言葉が、胸の奥で小さく跳ねた。
今日一日、自分の中にあった痛み。
レオニスを見ている女性たちの視線が嫌だったこと。
彼の優しい手が触れる相手が、自分だけであればいいのにと思ったこと。
誰かと同じ場所を歩いたのかもしれないと考えるだけで、ケーキの甘ささえ遠くなったこと。
それらが、ひとつの形を持って胸の内に浮かび上がる。
「それは……」
声が小さく震えた。
「嫉妬、ですか?」
レオニスが、ゆっくりとこちらを見る。
その灰色の瞳が、夕日の光を受けて静かに揺れていた。
「……そうですね」
低い声で、レオニスは認めた。
嫉妬。
知っている言葉だった。
物語の中で読んだこともある。
けれど、それがこんなふうに胸の奥を痛ませるものだとは知らなかった。
誰かを責めたいわけではない。
レオニスを疑いたいわけでもない。
ただ、彼の隣にいるのが自分だけであってほしい。
彼の優しい手が触れる相手も、彼が一番に思い出す一日も、自分であってほしい。
そんな、少し恥ずかしくて、少し勝手で傲慢な願い。
「……私も」
口にした途端、頬が熱くなる。
「私も、今日、一緒……でした」
レオニスは何も言わなかった。
ただ、セラフィナの言葉を待つように、静かに見つめている。
「あなたを見ている方がいるのが、嫌でした。あなたが誰かとこういうふうに過ごしたことがあるのかもしれないと思うと、胸が苦しくて」
言えば言うほど、恥ずかしさで目を合わせられなくなる。
「あなたの優しい手が触れる相手が、私だけならいいのにって……思ってしまったの」
最後の言葉は、風に消えそうなほど小さかった。
レオニスは、少しだけ息を呑んだようだった。
それから、セラフィナの手を取る。
昼間とは違う。
人混みではぐれないためではなく、今ここにいることを確かめるような触れ方だった。
「私が、触れたいと思うのは、貴女だけです」
セラフィナは顔を上げる。
「明日も、その先も」
レオニスの指先が、セラフィナの手を包み込む。その熱が伝わってくるだけで、胸の内に刺さっていた棘が、ほどけるように消えていく。
「それは変わりません」
まっすぐなその灰色の瞳に捕らえられたように、セラフィナは動けなくなってしまう。
「今日が、私にとって一番楽しかったかと聞かれましたね」
手を離さないまま、レオニスが囁くように言う。
「はい」
「今のところは」
「今のところ?」
「これから、あなたと過ごす日が増えるので」
静かな声で、彼は続けた。
「一番は、何度でも変わると思います」
この人は、舞台の騎士のように、甘く飾り立てた言葉を口にしない。
けれど、だからこそ、その静かな声で告げられる言葉が嘘ではないのだとわかる。
セラフィナの胸は、嬉しさで弾けてしまいそうだった。
胸が高鳴って、世界がまるではじめて色付いたように鮮やかに見える気がする。
「セラフィナ様は楽しめましたか?」
セラフィナは嬉しさと恥ずかしさで夕日より赤くなる。
「……はい」
「それなら、よかった」
「でも、レオニス」
「はい」
「次は……姉様の予定表ではなく、あなたの行きたいところに行きたいです」
レオニスは少し考えた。
「では、次は港の方へ」
「港?」
「夏の終わりに、夜市が出ます。……あなたにお見せしたい灯りがあります」
いつもよりも熱の籠る視線に、なぜか舞台の上の口づけを、ふと思い出した。
けれどレオニスが口づけたのは、唇ではなかった。
そっと持ち上げられたセラフィナの手の甲に、礼儀正しく、けれど胸が苦しくなるほど優しい口づけが落ちる。
「次も、必ず」
柔らかな感触と熱が、ずっと手の甲に残るようだ。
その短い約束に、セラフィナは言葉も出せず、何度も小さく頷いた。
次も。
そんな小さな約束が、何より嬉しい。
塔の上から眺めるだけだった灯りの中へ、次はまた、この人と歩いていける。
レオニスの言葉の通りに、きっとこの気持ちは、これから何度でも新しくなっていく。
そんな予感がした。
優しく微笑むレオニスの後ろで、一番星が小さく輝いた。
もう、遠くから眺めるだけの光ではなかった。
二人の何気ない日常が書きたかったのですが、嫉妬回になりました。




