番外編 完璧すぎるデート②
そのまま入り口から奥の個室に案内された。
個室の壁は一面窓だが、そこは大通り側ではなく中庭側を向いており、綺麗な噴水が涼し気に水をきらめかせている。
厚い壁に遮られた室内は、外の熱気が嘘のように静かだった。
窓辺から流れてくる水音が、火照った頬を少しずつ冷ましてくれる。
「わぁ」
店内の装飾は確かにこの国のものとは違う。これが隣国の様式なのだとしたら、これから姉が嫁ぐ先の文化なのだろう。
「こちらの店は、夏果実のタルトが評判です。セラフィナ様のお好きな桃も今が旬かと」
椅子を引きながらレオニスがそうセラフィナに説明してくれる。椅子を引く手つきも、店員へ短く礼を返す仕草も、少しも迷いがなかった。
レオニスは甘いものが苦手なはずなのに。
少し胸の奥がざわめく。
楽しい。
間違いなく、楽しいはずなのに。
その楽しさの端に、小さな棘のようなものが引っかかっていた。
給仕係が恭しく運んできた銀の盆の上には、色とりどりのタルトや焼き菓子が並んでいる。
その中から何を選ぶかと問われて、セラフィナは迷ってしまう。
城の中で食べる食事は自分で何かを選ぶことはほぼ無い。今までずっと与えられたものだけを受け取る生活が当たり前だったのだ。好きなものをと言われても、一つを選ぶのは難しい。
大好きな桃がふんだんに使われたタルトも美味しそうだが、濃いオレンジ色の柑橘がたっぷりとのったチーズケーキにも、たまらなく目を引かれる。
「セラフィナ様が桃のタルトにされるなら、私はこのチーズケーキにします。半分ずつ分けるのはどうでしょうか」
レオニスの提案にセラフィナがぱっと顔を上げると、レオニスはそんなセラフィナを見て、優しく目を細める。
「どうして、二つで迷ってることがわかったの?」
「セラフィナ様の好きなものを存じておりますので」
優しい声音でそんなことを言われる。それだけでセラフィナの頬は熱を集めてしまう。
紅茶のポットが運ばれ、少ししてケーキの皿が運ばれてきた。
運ばれてきた皿には、桃のタルトと柑橘のチーズケーキが、それぞれ半分ずつ美しく盛られていた。
まるで初めからそういう一皿だったみたいに。
その瞬間、胸の奥にまた、小さな棘が触れた。
あぁ……
こうして綺麗に取り分けてくれることを、レオニスは知っていたのね。
レオニスは、誰かとここへ来たことがあるのだろうか。
その誰かに、こんなふうに席を引いて、こんなふうにおすすめを教えて、こんなふうに自然とシェアしながら、穏やかな顔を向けたことがあるのだろうか。
そう思うだけで、どうしてこんなにも胸が苦しくなるのか、セラフィナにはわからない。
先ほどまであんなに眩しく見えていた桃のタルトも、今は少しだけ、遠いもののように見えた。
胸が苦しいせいで、お腹の中にケーキがうまく入っていかない。
少し食べては紅茶で流し込んでいると、レオニスがフォークを置いた。
「お口に合いませんか?」
セラフィナの食には以前から厳しい人だから、こうしてすぐ気付かれてしまう。
「いいえ、とても美味しいわ」
笑って答えるが、その返答にレオニスが満足していないのがわかった。
「帰りに、お土産を少し買っていきたいの。ここの焼き菓子を、お姉様や侍女たちにお土産に持って帰りたくて。いくつ買ったらいいかしらって、考えていたのよ」
少し早口になったことで、逆に言い訳めいてしまった。
「お疲れになられたのでしたら、すぐに教えてください」
その声音はいつも通り静かだった。
けれど、静かすぎるからこそ、セラフィナにはわかる。
心配されている。
そのことは嬉しいはずなのに、また胸の奥がちくりと痛んだ。
こんなふうに気づくことにも、慣れているのだろうか。
「本当に、大丈夫よ」
そう言うと、レオニスはそれ以上追及しなかった。
ただ、給仕係を呼び、紅茶のおかわりと、持ち帰り用の焼き菓子をいくつか頼んでくれる。
その数も、種類も、少しも迷わなかった。
お姉様には甘さの控えめなもの。
侍女たちには、分けやすい小さな焼き菓子。
日持ちのするものを選んだ方がいい、とまで教えてくれる。
買った品は、このまま城へ届けてもらえるよう手配してくれた。
そのあまりに淀みない段取りに、セラフィナの胸の奥で、また小さな棘が触れた。
優しい。
とても、優しい。
けれどその優しさが、今だけ私のために用意されたものではないような気がして、セラフィナは膝の上でそっと指を握った。
カフェを出ると、今度は近くの露天を少しだけ見て回った。
日差しは強いが、このあたりの露天は大きな枝葉が陰を作っており、歩いていると風が心地良い。
「日陰は少し過ごしやすいですね」
セラフィナがそういうと、レオニスが空を見上げる。
「瘴気の影響でこの辺りの木もかなり枯れていたのですが、やっとランタンを飾れるくらいには回復したようですね」
あの時、女神に頼んだ願い通り、自然はゆっくりと回復に向かっている。
壊れた建物や石畳は、人の手で直していかなければならないが、それでも、人の手ではどうにもならなかった黒い傷跡は、もうほとんど世界から消えつつあった。
「よかったです」
自然と漏れたその言葉に、レオニスは返事をせず、そのままつないだ手の指先に軽く力を込めた。
その温かさに、胸の奥が少しだけ震える。
泣きたいわけではなくて、悲しいわけでもない。
ただ、あの日は黒く濁って見えた世界が、今はこうして夏の日差しの中で、少しずつ息を吹き返している。
そのことが、うまく言葉にならなかった。
セラフィナは誤魔化すように視線を逸らした。
その時、木漏れ日の下できらりと光るものが目に入る。
「……あれは?」
露店の軒先に、色とりどりの硝子細工が並んでいた。
小さな鳥、花、魚、雫の形をした飾り。
陽を受けて透けるそれらは、まるで水の中に沈めた宝石のように涼しげだった。
「硝子細工ですね。このあたりの祭りでは、昔からよく売られています」
レオニスがそう言って、自然にセラフィナをその店の方へ導いた。
店先に並んでいたのは、髪飾りや耳飾り、胸元に留める小さなブローチ、それと小さな動物を模した置物だった。
まず目に入った、繊細な形をしたブローチは、透明度の高い灰色で、まるで雨に濡れたようなレオニスの瞳を思い起こさせる。
手に取って少し眺めて、それを元の場所に置いた。
その隣に、青と緑のあいだの色をした、小さな硝子の兎の置物がある。
「……まるで海の色みたい」
そう呟くと、レオニスの視線がその兎へ落ちた。
「セラフィナ様の瞳の色に似ています」
あまりにもまっすぐに言われて、セラフィナは返す言葉に詰まった。
「まあ、旦那様。お上手ですこと」
店主の女性が楽しそうに笑った。それから兎の置物と同じ色の髪飾りをいくつか並べて見せてくる。
「お嬢様の髪なら、こちらの色がよく映えますよ。銀の髪に、青緑の硝子。夏らしくて、とてもお似合いになると思います」
「旦那様では……」
言いかけて、セラフィナは口を閉じた。
まだ婚約者だ。
けれど、そう呼ばれたことが嫌ではなくて、むしろ頬が熱くなる。
「では、こちらを」
レオニスの視線は一度、兎にも落ちた。けれど彼が選んだのは、店主の並べた髪飾りの方だった。
「レオニス、でも」
「今日の記念に」
そう言いながら、髪に飾りをつけてくれる。レオニスの指先が、そっと耳の横の髪を掬う。
触れられたわけではないのに、指先の気配だけで頬が熱くなった。
その距離がくすぐったくて恥ずかしくて。
嬉しい。
嬉しいのに。
こんな風に贈り物を選ぶことにも慣れているのだろうか。
支払いを済ませたレオニスの手には、いつの間にか小さな包みがひとつ増えていた。
「レオニスもなにか買ったの?」
「はい」
短い返事に、何を買ったのか聞くことが出来なかった。
誰に、買ったの?
そんなことさえ、口にするのは憚られて。




