番外編 完璧すぎるデート①
夏の強い日差しに、城の白壁は眩い程に輝いていた。
緑は色濃く、大気は湿度を孕み、じんわりと肌にまとわりつく。
そろそろ庭のガゼボでのお茶会は厳しくなってきた。
向かいに座る姉エレノアは、隣国へ嫁いだ後も定期的に気軽に帰ってくる。
そしてこの茹だるような暑さの中でも額に汗のひとつも浮かべていない。相変わらずの完璧な淑女の姿に、思わず感心してしまう。
「夏のカーニバルに行ってらっしゃいな」
唐突に、エレノアがそう言った。
塔の上から見たことはある。
石畳の道を彩る華やかな装飾と、ランタンの明かり。
賑やかな音楽が風に乗って届くのを心待ちにして、窓を開けて外を眺めていた、幾夜もの日々。
見ているのが当たり前だったそこに、行くことが出来る。
それは胸の躍る提案だった。
あの黒い流れが世界に大きな傷をつけてから、もう一年以上経っている。
セラフィナにとっては、息つく間もない一年でもあった。
お祭りに行こうなんて思い浮かぶこともない程に。
「あ、もちろん一人ではダメよ、レオニスにエスコートしてもらって」
この夏が終われば二人の結婚式が行われる。
その準備もあって、レオニスは忙しそうに今も領地と王都を常に行き来している。
もちろんセラフィナも、王都での式やパーティーの準備に毎日目まぐるしく動き回っていた。
「レオニスはもう私の護衛騎士ではないから……」
レオニスの代わりについた護衛騎士達がいる。
一人で城下に行っても問題はないはずだ。
きょとんとした顔でエレノアの顔を見つめると、エレノアはわかりやすく大きなため息をついた。
「あのね、デートよ、デート!忙しいからって婚約者を放置しすぎるのはよくないわ!」
エレノアは力強くそう言うと、セラフィナの背後に向かって扇子を差した。
その先に視線を向けると、丁度薔薇の植え込みの陰から出てきたレオニスが、驚いたように目を瞬いている。
黒い衣に、夏の日差しが落ちている。
数日前まで王都に戻ることは難しいと聞いていたから、そこに彼の姿があるだけで、自然と頬が緩んでしまう。
「わかったわね?」
強く念を押されて、レオニスとセラフィナは慌てて首を縦に振った。
こうして二人は再会を喜ぶよりも前に、デートに行く日取りを決めさせられた。
「今から参りますか」と言ったレオニスは、信じられないと呆れたエレノアにすげなく切り捨てられる。
女性のドレス選びには時間がかかるものなのだと言われ、セラフィナとレオニスが城下に行くのは二日後に決まった。
「城下のお祭りは楽しいですよ」
髪を丁寧に梳き、涼しげなハーフアップになるように、侍女がサイドを編み上げてくれる。その優しい手にはもう、手袋は無い。
地肌に手櫛を通し、丁寧に髪をまとめると、今度は日焼け止めをしっかりと顔に塗りこまれた。
「姫殿下はお肌が白くていらっしゃるから、日焼けには気を付けてくださいませ」
二人がかりで身だしなみを整えられ、少し明るめの口紅を塗ってもらうと、鏡の前の自分はまるで自分ではないように輝いて見えた。
夏用のドレスは薄い素材で、鎖骨を綺麗に見せるように大きく開いた首元を、繊細なレースが柔らかく飾っている。
首元を隠さないですむドレスはこれ程涼しいものなのかと、初めて着たときの衝撃を改めて思い出した。
「去年かな、出来たカフェが大人気で、予約してないと難しいかもですが、そこに入れたら行っていただきたいです」
「あそこよね、角の青と金色の、ケーキが美味しいところ」
「元々、隣国の王宮パティシエが監修しているとかなんとかって噂よね」
侍女達は手慣れた手つきでセラフィナのドレスを着せ、靴を履かせ、アクセサリーをつけながら、今日の城下で行くべき場所をいくつも教えてくれた。
けれど、まだまだ城下の知識に乏しいセラフィナには、どこもたどり着ける自信が無い。
「行けたらお土産を買ってくるわね」
「わぁ!」
「嬉しいです、楽しみにしてます」
話に花を咲かせていると、扉が二回、ノックされる。
「時間です」
扉を開けると、いつものようにレオニスが短い声で促してくる。
「もう、そんな時間?」
「はい」
懐かしい気がするその返答に、セラフィナは小さく笑うと、レオニスに手を差し出した。
もう、立ち上がってもめまいで倒れたりはしない。
レオニスは自然とセラフィナの手を取り、セラフィナはそのエスコートに身を任せて、城下へと向かった。
白耀の塔にいた頃は、城下町の賑わいなど遠くから眺めるだけだった。
何度も視察に行ったし、買い物にも出かけたけれど、祭りの賑わいは初めてだった。
まだ光が入っていないランタンは、夕方になって初めて明かりが灯るようだ。道々にはランタンと家紋の入った旗が飾られている。それらは人々の熱気の中で、まだその時を待つように小さく風に揺れていた。
「セラフィナ様、はぐれますので」
レオニスに掌を向けられ、一瞬戸惑いながらも、その掌に自分の掌をのせる。今日は手袋をしていない。ちょっと汗をかいているかも。
恥ずかしいけれど、あわさった掌の温度はちょうど同じくらいで、汗ばんだ肌の境目が曖昧になるような気がした。
道を埋め尽くすほどの人波を初めて目の当たりにしたとき、恥ずかしいなんて思っていたことが杞憂だったとセラフィナは感じた。
少し縋るようにぎゅっと指に力をこめると、その緊張を察したのかレオニスが薄く微笑む。
「大丈夫、はぐれませんよ」
「こんなに、人がいるなんて」
どうやって歩いたらいいのかすら、セラフィナにはわからない。
右を見ても左を見ても、人の波だった。
遠くで笛の音が鳴り、どこかの屋台から笑い声が弾ける。
馬車の車輪が石畳を叩く音も、店先で呼び込みをする声も、塔の上から聞いていたものよりずっと近く、身体の内側まで響いてくるようだった。
ぶつかりそう、そう思った瞬間、すっとレオニスが手を引く。まるでダンスのように、導かれるように動くと、人の波を抜けて歩くことが出来た。
楽しい。
レオニスは店先に何があるかを教えてくれる。セラフィナより高いその背丈なら、見えている世界もきっと広いのだろう。
焼き菓子の甘い匂いも、涼しげな硝子細工の店先も、日傘の下を行き交う人々の声も、全部が眩しい。
「こちらへ」
踊るように導かれるまま行った先には綺麗なカフェがあった。大通りの角に立つ、金色と水色の装飾が綺麗な店。ここが侍女の言っていた人気のカフェだとすぐにわかった。
入り口には長い列が出来ており、その列に並ぶのは少し躊躇してしまう。
「ここで少しお待ちください」
列の少し先の木陰にセラフィナを導くと、レオニスは入り口にいた店員に声をかける。それから少し話すと踵を返し、すぐにセラフィナの元へまっすぐに戻ってくる。
列に並んでいた女性たちがその姿を振り返り見つめていることに気付き、セラフィナはレオニスを改めて見つめた。
騎士の時よりも軽やかな服装だが、ちゃんと帯剣はしている。真っ黒な服が多いとは思っていたけれど、今日は白いシャツに黒い細身の装いで、いつもよりも涼し気だし爽やかに見える。
少し伸びた髪のせいで、レオニスをより神秘的に見せているのかもしれない。
「セラフィナ様」
呼びかけられ、女性たちの視線が一斉にセラフィナに集まるのを感じる。
恥ずかしい。
彼の隣に立つのが、こんな私でよいのだろうか。
塔の中にずっといたことも、栄養が偏っていたことも影響し、エレノアと違ってセラフィナの背は低いし、大人の女性の魅力には乏しいと知っている。
「レオニス、ここは予約しないとなかなか入れないって侍女が言っていたわ」
早くここから立ち去りたかった。
「ええ、参りましょう」
そう言うと、レオニスにエスコートされる。
ふいに、レオニスがわずかに歩く位置を変えた。
セラフィナの斜め後ろから、前へ。
人波から庇うためだと思ったけれど、その灰色の瞳が一瞬だけ通りの向こうへ鋭く向いたことには気づかなかった。




