第8章 救済の行列②
部屋へ戻ると、侍女たちはすでに支度を整えて待っていた。
今日の装いは、いつもの王女のものとは少し違っていた。
清浄を思わせる白を基調に、青銀の縁取り。
頭から薄布を垂らし、肌をなるべく見せない。
遠目には美しく、近くでは触れがたいものとして見えるように──そう意図されているのだと、説明されなくてもわかった。
まるで人ではなく、儀式に供されるもののようだと思う。
「きつくはございませんか」
侍女が最後の留め具を整えながら尋ねる。
「平気よ」
口にした声は、思ったより掠れていなかった。
昨夜はあまり眠れなかったが、それでも今朝は不思議と熱が少し引いている。
むしろ身体が軽いような、空っぽのような感覚だった。
こういう時はよくない。
自分でも知っている。
本当に楽になったのではなく、どこかが妙に研ぎ澄まされているだけだ。
指先は冷たかった。
胸の内側で魚がいつもより速く泳いでいる。
けれどそれを気にしている余裕はない。
「セラフィナ様」
扉の外からレオニスの声がした。
いつもより低い。
短いその一言だけで、彼もまた緊張しているのがわかる。
扉が開く。
黒い礼装に近い護衛装束を纏ったレオニスが、そこに立っていた。
王城に来たばかりの頃は、この人は黒ばかり似合うのだと思っていたが、今日はその黒がひどく鋭く見えた。
剣も帯びている。
けれど目立つのはむしろ、その剣を抜かせまいとするような張りつめ方だった。
「準備は整いました」
「そう」
「歩けますか」
「その問い、好きね」
「必要ですので」
セラフィナは薄く笑う。
そのまま一歩踏み出そうとしたところで、床がわずかに揺れた気がした。
違う。
揺れたのは自分の方だ。
次の瞬間にはもう、レオニスの手が肘を支えている。
「……だいじょうぶ」
「今のは大丈夫ではありません」
「今日は厳しいどころではないわね」
「今日だけではありません」
「そうだったかしら」
「ええ」
真顔で言われてしまい、少しだけ息が抜ける。
だが、その安心は扉の外へ出たところで薄れた。
白耀の塔の階段は、いつもより長く感じた。
侍女たちの視線。
下で待つ騎士たちの気配。
塔の外から流れ込んでくる、ざわめきにも似た人の熱。
普段なら塔の高窓越しにしか知らない外の音が、今日は壁の向こうではなく、すぐそこにある。
階下へ降りるにつれ、ざわめきが大きくなる。
「人の出す音って思っていたより煩いものなのね」
かつては憧れていたはずの人々のざわめきが、今はただ雑音のように耳へ刺さる。
言葉そのものはまだ聞き取れない。
けれどそれは歓声ではなかった。
期待と不安と、好奇心と、嫌悪。
そういうものが混じり合って渦を作っている音だった。
「塔の下に馬車を置いておけばいいものを」
レオニスの言葉に、その場にいた侍女たちも次々と頷く。
「いくら王都の民へのアピールだとしても、殿下のお身体が心配です」
「どうぞ、お気をつけて」
侍女達の声と共に、重たい扉がゆっくりと開いた。
塔の入口を出た瞬間、空気が変わる。
冷たい。
けれど塔の中の冷たさとは違う。
人の目に晒される冷たさだ。
城庭の中央には、白耀石を乗せた巨大な架台が据えられていた。
白木の上に銀の金具が渡され、その上を覆う薄布が朝の光を鈍く弾いている。
本来なら塔の頂にあるべきものが地上へ降ろされている光景は、どこか現実味が薄かった
白耀石を載せた輿の周囲には、王家の騎士だけでなく、聖環教会の者たちも控えていた。
白と金を基調にした法衣の列は、祈りの場に立つには相応しいはずなのに、今日のセラフィナにはひどく冷たく見えた。石を囲み、儀式を整え、出立を神意のように飾り立てるその様子は、旅立ちというより供物を送り出す準備に思えたからだ。
その列の中に、見覚えのある顔があった。
すぐには思い出せなかった。
けれど、目が合った瞬間にわかった。
白耀の塔にいた頃、ときおり長く留まって神話や聖人の話をしていた若い神父だった。
あの頃よりも衣は上等になっているように見えた。
淡い色の髪も、静かな微笑みも変わらない。ほかの聖職者たちのような露骨な怯えを顔に浮かべることもなく、ただ穏やかにこちらを見ている。
彼はセラフィナが気づいたことを察したのか、ほんのわずかに一礼した。
それだけだった。
名を呼ばれることも、言葉を向けられることもない。
それなのに、なぜか胸の奥が冷えた。
塔で聞かされた声が、ふいに蘇る。
──選ばれた者は、孤独を免れません。
──けれど、その苦しみにも意味はあるのです。
慰めのように聞こえたはずの言葉が、今は別のものに思えた。
意味があると言われるたび、自分は苦しんだままでいなければならないような気がしたことを、セラフィナは思い出していた。
「姫殿下」
横からかけられた低い声に、はっとする。
レオニスだった。
一瞬だけ足が止まっていたらしい。
「……知り合いですか」
「塔にいた頃、来ていた神父よ」
「そうですか」
それだけだった。
それだけなのに、セラフィナは少しだけ居心地が悪くなった。何かを咎められた気がして、それがなぜなのかわからなかった。
セラフィナは小さく首を振り、再び前を向く。
教会の列の中では、若い神父がもう視線を伏せていた。
まるで最初から、そこにいたことすら目立たせるつもりがないように




