第7章 可決①
評議会は、その日だけでは終わらなかった。
セラフィナを呼ぶことはもう無かったが、二度三度と回数を重ねていることは耳にしていた。
旧都の報せが上がるたびに、王城の空気は少しずつ乾いていく。
侍女たちは声を潜め、廊下を行き交う足音は早まり、白耀の塔へ運ばれてくる報告書の数も増えた。
どれも塔の上へ届く頃には整えられ、言葉はやんわりと薄められているはずなのに、それでも王都全体が何かに追い立てられている気配だけは消えなかった。
数日後、あらためて招集がかかった。
旧都に関する方針を、最終的に定めるための評議。
その場に、セラフィナも再び出るよう命じられた。
命じられた、と、そう思った。
誰もその言葉は使わない。
出席をお願いするとか、同席を願いたいとか、そういう柔らかな言い方はされている。
けれど、それは頼みではなく、決定だった。
その認識が胸に落ちた瞬間、何かが痛みと共にしこりを残す。覚悟とも諦めとも違う、もっと静かな何かが。
その朝、空は前よりもなお重かった。まるで処刑を待つ罪人の気分だ。セラフィナは憂鬱な気持ちを振り払えずに気怠い身体をソファに埋める。
塔の窓から見える黒い流れは、もはや細い筋ではなかった。
いくつもの黒が絡まり合い、塔へ向かう道筋そのものを塗りつぶすように集まってくる。
遠くで雷が鳴っているわけでもないのに、空気はいつ雨が落ちてもおかしくないほど湿っていた。
けれど実際には、ひと粒も落ちてこない。
雨になりきれないものが、空にも地にも溜まっている。
そんな感じがした。
「顔色が優れません」
ドレスの袖口を整えながら、侍女が小さく言った。
セラフィナは鏡の中の自分を見る。
頬紅で少し色を足してはいるが、それでも肌はひどく白い。
目の下の影も、昨日より濃い気がした。
「今日はこれでいいわ」
「ですが」
「大丈夫」
そう言い切ると、侍女はそれ以上何も言わなかった。
言えばセラフィナが余計に平気な振りをするだけだと、もう知っているのだろう。
本当は、朝から胸が重い。
咳は夜のうちに何度も出たし、誰にも見られていないが少し血が混じっていた。目が覚めてからも身体の芯に熱が残っている。
けれどそれを言ったところで、何が変わるわけでもない。
むしろ出席を止められたくなかった。
旧都の人々が苦しんでいる。
そのことを知ってなお、自分だけ塔の上で何も知らぬ顔をしているのは嫌だった。
役に立てるなら役に立ちたい。
たとえその役目が、自分を傷つけるものであったとしても。
「時間です」
扉の外から響いた声に、セラフィナは小さく息を吸う。
レオニスの声だった。
今日は扉が開いた瞬間から、彼の顔が少し硬かった。
もともと柔らかい表情をする人ではない。けれど今日のそれは、普段の無表情とは違う種類の緊張を含んでいる。
「歩けますか」
「ええ」
レオニスの顔の硬さが、朝からずっと気になっていた。自分の体調のせいなのか、今日という日のせいなのか、聞けないまま廊下へ出る。
「無理はなさらないでください」
「そう言われても、評議の途中でまた退出するわけにはいかないわ」
「そういう意味ではありません」
いつも通りの短い答え。
けれどそこに、妙に尖ったものがあるのを感じる。
セラフィナは立ち上がった。
案の定、視界がかすかに揺れる。
次の瞬間には、レオニスの手が肘の上を支えていた。
「……やっぱり」
「やっぱり、ではありません」
「少しだけよ」
「昨日もそう言われました」
言い返す余地もないほど、きっぱりとした声だった。
セラフィナは少しだけ唇を尖らせた。こういう時、この人は全く揺れない。困った様子もなければ、宥めようともしない。ただ事実だけを静かに置いていく。
「……無理をしているのではありません」
先に言うと、レオニスが僅かに目を向ける。
「無理ではないのです。本当に、少しだけ」
「少しだけ、を昨日も一昨日も繰り返されています」
数えていたのか、と思ったら、急に恥ずかしいような腹立たしいような気持ちが混じって、うまく顔が作れなかった。
「……やわらかく言っていただけませんか、少しは」
「難しいです」
即答だった。
それがおかしくて、息が少しだけ抜ける。怒る気力も失せてしまう。それでこそこの人だと思う。思うのに、胸の奥にはまだ、うまく名前のつけられない冷たさが残っていた。
「御身を大事にしてほしいだけです」
低い声が、静かに落ちた。
セラフィナは思わず足を止めかけた。
責めているのではない。苛立っているのでもない。ただ、言葉に嘘のない声だった。
レオニスの言葉に胸が揺さぶられる。セラフィナの浅慮など全て見破られているようで、口を噤むことしか出来なかった。
今日は何かが決まる。
そういう日だ。
二人は無言のまま足を進めた。
評議の間には、前回よりも多くの人が集まっていた。
教会の高位聖職者たちは変わらず白い法衣をまとい、書記官たちは既に筆記の準備を整えている。
貴族たちの顔にも、前回より露骨な切迫が浮かんでいた。
旧都の悪化が、もはや遠い土地の不幸では済まなくなっているのだと、その顔が物語っている。
セラフィナが席につくと、何人かの視線がすぐにこちらへ向いた。
探るような、量るような、ただ見ているだけとは言えない目。
それでも前回ほどの衝撃はなかった。
傷つきはした。
だが、もう知ってしまったから幾分楽だ。
この場で自分は、姫ではなく、人でもなく、“使える何か”として見られている。
その視線に慣れたくはないのに、慣れ始めている自分が少し怖かった。
慣れることと、受け入れることは違う。そう思いながら、うまく区別できない自分がいる。
議論は最初から結論へ向かっているようだった。
旧都は限界に近い。
封鎖の維持は難しい。
王都へ瘴気の流れが集中している。
このままでは他の街道筋へも悪影響が出る。
瘴気に触れた作物の育ちまで悪くなっている。
しかもその瘴気はこの王国内だけでなく、隣国を含むあらゆる地で発生しているというのだ。
聖環教会は、前回よりもはっきりと主張した。
「白耀石の巡回浄化を行うべきです」
穏やかな声だった。
だが、もう反論を受けることまで織り込んだ声でもあった。
「旧都を第一の地とし、その後は北西の村落、街道沿いの町へと順に」
地図の上に、白い指が滑る。
「石だけでは足りません」
続く声が、少し低くなる。
「姫君にも、同行いただくべきです」
セラフィナは膝の上で指先を重ねた。
手袋の下の指が、ひどく冷たくなっている。
わかっていたことだ。
前回の評議で、すでにそういう流れは見えていた。
それでも、実際に「同行いただくべき」と言葉にされると、胸のどこかがうまく息をしなくなる。
「王族が祈る姿が必要ならば、わたくしが共に参りますと何度も言っているでしょう」
エレノアの声に貴族達が今度は横に首を振る。
「エレノア様はもう輿入れが決まっていらっしゃる」
「それに末の姫君は、王都において石とともに均衡を保つ存在である」
「均衡を崩さぬためにも、石のそばにあるべきです」
「民心のためにも、姫君のお姿は必要でしょう」
言葉のどれもが丁寧で、静かで、正しそうに聞こえる。
けれどそのどれにも、セラフィナ自身の意志を問う気配はなかった。
同行いただく。
あるべきです。
必要でしょう。
そのすべてが、こちらの答えなど最初から決まっているような響きだった。
ちらりと横目で家族を見る。
国王である父はどうすべきか塾考するように、顔を曇らせ、沈黙している。
兄は冷えた目で教会の者達を見据え、姉は珍しく笑みを浮かべもせず、視線を膝に落としている。
母だけは微笑みを崩さない。
けれどその指先だけが、今日もわずかに硬く見えた。
家族が何も言えないでいることに、胸が痛む。
旧都を見捨てるのか。
王都だけを守るのか。
その非難が、そのまま父や兄へ向かうことくらい、セラフィナにもわかった。




