第6章 王宮評議会②
それでようやく、場が動いた。
セラフィナは立ち上がろうとして、また視界がふらつく。
だが今度は、ためらう前にレオニスが支えた。
黒い手袋越しの手が肘を支える。
評議の場にいる全員の目が、それを見ているのがわかった。
けれど今は、もう恥ずかしいとも思わなかった。
「……申し訳、ありません」
掠れた声でそう言うと、レオニスはごく小さく首を振る。
「歩けますか」
「ええ」
「ゆっくりで結構です」
その声だけが、他のどの声よりも信じられた。
評議の間を出る直前、セラフィナは一度だけ振り返った。
父は動かず、兄は顔を強張らせたままこちらを見ている。
王妃の微笑みは崩れていないのに、その目だけがひどく痛そうだった。
そして聖環教会の者たちは、もう次の言葉を探していた。
まるで何事もなかったかのように。
ぞっとする。
自分が咳き込んだことも、息が上がったことも、彼らにとってはただ“運用上の問題”に過ぎないのだろう。
その現実が、いまさらのように胸へ落ちた。
回廊へ出ると、ようやく息が少し通った。
冷たい空気を吸い込み、セラフィナは壁へもたれそうになるのをこらえる。
レオニスの手はまだ離れない。
「……ごめんなさい」
また同じことを言っていると、自分でもわかった。
けれどそれしか出てこなかった。
「何に対してですか」
「評議会を、止めてしまったわ」
「止まってなどいません」
その返答は冷静だった。
冷静なのに、怒りだけがまだ消えていない。
セラフィナはそっと彼を見る。
「怒っているのね」
レオニスは一瞬だけ黙った。
「……少し」
「珍しいわ」
「そうでしょうか」
「ええ。あなた、いつもはもっと……石みたいだもの」
その言い方が可笑しかったのか、レオニスはほんのわずかだけ目を細めた。
笑った、とまでは言えない。
けれど、少しだけ角がほどけた。
「怒ってくれて、嬉しかった」
言いながら、自分でも少し驚いた。こんなふうに素直に口にできたのは、たぶん今日が初めてだった。
自然とそう言葉にすると、彼はすぐには答えなかった。
回廊の窓の向こう、曇った空の下で、黒い流れはなお塔へ集まっている。
その気配を聞くように、レオニスは一度だけ視線を外へやった。
「……見ていられませんでした」
低い声だった。
何を、とは言わない。
それでもセラフィナにはわかった。
評議の場で、自分が人ではなく、石の付属品のように扱われていたことを。
あの柔らかい言葉のどれ一つにも、ほんとうの意味での敬意がなかったことを。
それを、彼は見ていられなかったのだ。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
苦しさとは少し違う熱だった。
「……ありがとう」
レオニスは答えなかった。
ただ支える手に、わずかに力がこもる。
それだけで、十分だった。
評議はまだ終わっていない。
旧都の報はこれからもっと重くなり、教会はきっと退かない。
白耀石も、自分も、何かに使われようとしている。
それでも、あの場でたった一人、怒ってくれた人がいた。
そのことが、今は不思議なくらい心強かった。
セラフィナはゆっくり息を吐く。
黒い流れはなお濃い。
空も重い。
何かが、確実に近づいてきている。
けれどその不穏さの中で、レオニスの手の感触だけが、奇妙なほど確かだった。
そのぬくもりが残っているはずなのに、その夜、セラフィナはなかなか眠ることができなかった。
評議会の席で交わされた言葉が、いまだ耳の奥に残っている。
白耀石をどう扱うか。瘴気の広がりをどう抑えるか。姫をどうするか。
皆、声を荒らげていたわけではない。むしろ静かに、理性的に、もっともらしい顔で話していた。
自分のことを話しているはずなのに、そこに自分はいない。
石。祈り。象徴。
必要なのはそういう言葉ばかりで、そこにいる一人の人間の息苦しさや、怖さや、寂しさは、無いものとされるのだと、あらためて思い知らされた。
それでも、自室へ戻ったときには笑みを浮かべてみせられた。
侍女たちにも、レオニスにも、大丈夫だと答えた。
「少し疲れただけです」
「休めば平気になります」
そう言った自分の声は、思っていたよりずっと自然だった。
だからたぶん、誰もすぐには疑わなかったのだろう。




