表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/17

第6章 王宮評議会②

 それでようやく、場が動いた。

 セラフィナは立ち上がろうとして、また視界がふらつく。

 だが今度は、ためらう前にレオニスが支えた。

 黒い手袋越しの手が肘を支える。

 評議の場にいる全員の目が、それを見ているのがわかった。

 けれど今は、もう恥ずかしいとも思わなかった。


「……申し訳、ありません」


 掠れた声でそう言うと、レオニスはごく小さく首を振る。


「歩けますか」

「ええ」

「ゆっくりで結構です」


 その声だけが、他のどの声よりも信じられた。


 評議の間を出る直前、セラフィナは一度だけ振り返った。

 父は動かず、兄は顔を強張らせたままこちらを見ている。

 王妃の微笑みは崩れていないのに、その目だけがひどく痛そうだった。


 そして聖環教会の者たちは、もう次の言葉を探していた。

 まるで何事もなかったかのように。

 ぞっとする。

 自分が咳き込んだことも、息が上がったことも、彼らにとってはただ“運用上の問題”に過ぎないのだろう。

 その現実が、いまさらのように胸へ落ちた。


 回廊へ出ると、ようやく息が少し通った。

 冷たい空気を吸い込み、セラフィナは壁へもたれそうになるのをこらえる。


 レオニスの手はまだ離れない。


「……ごめんなさい」


 また同じことを言っていると、自分でもわかった。

 けれどそれしか出てこなかった。


「何に対してですか」

「評議会を、止めてしまったわ」

「止まってなどいません」


 その返答は冷静だった。

 冷静なのに、怒りだけがまだ消えていない。

 セラフィナはそっと彼を見る。


「怒っているのね」


 レオニスは一瞬だけ黙った。


「……少し」

「珍しいわ」

「そうでしょうか」

「ええ。あなた、いつもはもっと……石みたいだもの」


 その言い方が可笑しかったのか、レオニスはほんのわずかだけ目を細めた。

 笑った、とまでは言えない。

 けれど、少しだけ角がほどけた。


「怒ってくれて、嬉しかった」


 言いながら、自分でも少し驚いた。こんなふうに素直に口にできたのは、たぶん今日が初めてだった。


 自然とそう言葉にすると、彼はすぐには答えなかった。

 回廊の窓の向こう、曇った空の下で、黒い流れはなお塔へ集まっている。

 その気配を聞くように、レオニスは一度だけ視線を外へやった。


「……見ていられませんでした」


 低い声だった。

 何を、とは言わない。

 それでもセラフィナにはわかった。

 評議の場で、自分が人ではなく、石の付属品のように扱われていたことを。

 あの柔らかい言葉のどれ一つにも、ほんとうの意味での敬意がなかったことを。

 それを、彼は見ていられなかったのだ。


 胸の奥が、じわりと熱くなる。

 苦しさとは少し違う熱だった。


「……ありがとう」


 レオニスは答えなかった。

 ただ支える手に、わずかに力がこもる。

 それだけで、十分だった。


 評議はまだ終わっていない。

 旧都の報はこれからもっと重くなり、教会はきっと退かない。

 白耀石も、自分も、何かに使われようとしている。

 それでも、あの場でたった一人、怒ってくれた人がいた。

 そのことが、今は不思議なくらい心強かった。

 セラフィナはゆっくり息を吐く。


 黒い流れはなお濃い。

 空も重い。

 何かが、確実に近づいてきている。

 けれどその不穏さの中で、レオニスの手の感触だけが、奇妙なほど確かだった。


 そのぬくもりが残っているはずなのに、その夜、セラフィナはなかなか眠ることができなかった。


 評議会の席で交わされた言葉が、いまだ耳の奥に残っている。

 白耀石をどう扱うか。瘴気の広がりをどう抑えるか。姫をどうするか。

 皆、声を荒らげていたわけではない。むしろ静かに、理性的に、もっともらしい顔で話していた。

 自分のことを話しているはずなのに、そこに自分はいない。

 石。祈り。象徴。

 必要なのはそういう言葉ばかりで、そこにいる一人の人間の息苦しさや、怖さや、寂しさは、無いものとされるのだと、あらためて思い知らされた。


 それでも、自室へ戻ったときには笑みを浮かべてみせられた。

 侍女たちにも、レオニスにも、大丈夫だと答えた。


「少し疲れただけです」

「休めば平気になります」


 そう言った自分の声は、思っていたよりずっと自然だった。

 だからたぶん、誰もすぐには疑わなかったのだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ