第57話 その肯定をラブは叫ぶ
森。
静か。
風も止んでいる。
さっきまでの歪みが、
嘘みたいに消えている。
アリスは立っている。
剣はもうない。
肩の上には、
チェシャ猫。
「チェシャ」
短く呼ぶ。
「さっきのは何?」
チェシャ猫が目を細める。
「さっきの?」
アリスは言う。
「トランプ」
間。
「ああ」
軽く頷く。
「あれは“不思議の国”のトランプ兵だね」
アリスの目がわずかに動く。
「不思議の国?」
「チェシャの?」
チェシャ猫は笑う。
「うん」
「どうやら」
少しだけ楽しそうに。
「いくつもの物語を歪ませたおかげで」
「不思議の国が重なってきてるみたいだ」
風が吹く。
空気が、
少しだけ変わる。
アリスは静かに聞く。
「それって……どうなるの?」
チェシャ猫は肩をすくめる。
「近いってことだよ」
「帰る場所にね」
アリスは一瞬だけ黙る。
それから、
小さく頷く。
「……なら、もう少しだね」
前を見る。
何もない空間。
そこに。
扉が現れる。
ゆっくりと。
静かに。
アリスは歩き出す。
迷いなく。
手を伸ばす。
そのとき。
「……待って」
声。
後ろから。
アリスの手が止まる。
振り返る。
ラブ。
立っている。
俯いたまま。
アリスは少しだけ柔らかく言う。
「ラブ」
「一緒に――」
ラブが首を振る。
「違うの……」
声が震えている。
顔は見えない。
「なんで……」
一歩、
踏み出す。
「なんで、あれを」
そこで少し詰まる。
でも、
言い切る。
「壊しちゃったの?」
アリスは少し黙る。
考える。
短く。
それから。
「……壊れてたから」
静かに言う。
「最初から」
ラブが顔を上げる。
涙が溜まっている。
「でも!」
初めて、
声を張る。
「幸せだったかもしれないじゃん!」
アリスは揺れない。
「かもしれない、でしょ」
一歩、
踏み出す。
「嘘で作ったものなら」
「私は認めない」
ラブの目から、
涙がこぼれる。
「依存したっていいじゃん!」
さらに強く。
「寂しかったんだよ!?」
「一緒にいたかったんだよ!?」
アリスの眉がわずかに動く。
でも、
引かない。
「だからって」
短く返す。
「作り物で埋めていいわけじゃない」
「乗り越えるべきでしょ」
ラブが息を呑む。
肩が震える。
「……冷たいよ」
小さく。
でも、
はっきりと。
「アリスちゃん」
アリスの表情がわずかに揺れる。
「ラブ……?」
「どうしたの」
その瞬間。
ぽたり、と。
涙が地面に落ちる。
音。
ひび。
アリスの前の扉が、
崩れる。
音もなく。
同時に。
足元。
亀裂。
広がる。
地面が、
割れる。
「……うそ」
アリスの身体が傾く。
崩れる。
落ちる。
咄嗟に、
手を伸ばす。
縁を掴む。
ぶら下がる。
「チェシャ!」
焦り。
初めて。
「これって――」
チェシャ猫が空を見上げる。
匂いを嗅ぐように。
「この空気」
「この匂い」
にやりと笑う。
「うーん、懐かしい」
アリスが叫ぶ。
「ちょっと助け――」
その瞬間。
掴んでいた場所が、
崩れる。
指が滑る。
離れる。
落ちる。
奈落へ。
音もなく。
消える。
ラブは立っている。
動かない。
ただ、
見ている。
自分の涙で壊れたみたいに、
裂けた世界を。
それから。
崩れる。
膝から。
泣く。
声もなく。
ただ、
涙だけが落ちる。
その周り。
空間が歪む。
木がねじれる。
道が消える。
空が、
反転する。
トランプが舞う。
赤。
黒。
笑い声。
どこからか。
ラブは顔を上げる。
涙のまま。
その世界を見る。
「……ここ」
小さく呟く。
「私が……?」
続かない。
言葉にならない。
世界が、
変わる。
不思議の国へ。




