第5話 その違和感をアリスは否定しない
衣装部屋。
無数のドレスが静かに揺れている。
アリスはその中を歩きながら、適当に布を指でなぞった。
「ねぇ」
肩に乗る猫が尻尾を揺らす。
「なんだい」
「なんで私は王子に不敬だって言われなかったの?」
手を止める。
「状況的に考えれば、私の方が不敬だしさ」
猫は少しだけ笑う。
「さっきも言ったけど、僕たちは物語の人物じゃないからね」
「僕たちへの認識は少しズレるんだ」
「ズレる?」
「怒りとか、愛情とか」
「そういう強い感情は向かない」
アリスは少しだけ考える。
「都合がいいってことね」
「嫌?」
少しの間。
アリスは肩をすくめた。
「ううん」
「最低なことにさ」
「自分にとってのご都合展開は、嫌いになれないんだよね」
小さく苦笑する。
猫がにっこりと笑う。
「ならよかった」
「さ、次へ進もう?」
「はいはい」
扉を開ける。
⸻
森。
湿った土の匂い。
木々の隙間から光が差す。
アリスの手には、いつの間にかバスケット。
中には猫が丸まっている。
服は変わっていた。
青い頭巾。
「ねえチェシャ、この服が変わるのってなんの意味があるの?」
「その場に合った役割だよ」
「なにそれ」
小さく笑う。
⸻
その時。
赤い頭巾の少女が現れる。
鼻歌混じりに歩いている。
こちらに気づく。
「こんにちは!あなたもおつかい中?」
「まあ、そんなところ」
「私はね、お菓子とぶどう酒をお婆さんに届けるの!」
「きっと元気になるって、お母さんが」
「そっか」
少しだけ頷く。
「私も同じ方向だし、一緒に行ってもいい?」
「うん!」
⸻
二人で歩く森の中。
柔らかな会話。
母のこと。
祖母のこと。
頼まれたこと。
アリスはある程度、納得していた。
孫が来れば元気になる。
まあ、それはそうだ。
⸻
しばらくして。
現れる。
二本足で立つ、大きな狼。
「やあ赤ずきん、お出かけかい?」
「狼さんこんにちは!お婆さんのウチにお菓子とぶどう酒を持っていくの!」
「それはとっても偉いね」
少しの間。
「そうだ、お花をたくさん摘んでいったらどうだい?」
「きっとお婆さんも喜ぶよ」
「お花?」
「うん、あっちの池の方に咲いていたよ」
「わかった!お花いっぱい摘んでいく!」
「うん、大事に摘んでいくんだよ」
赤ずきんは迷いなく歩き出す。
アリスも続く。
すれ違いざまに、小さく呟く。
「……へんなの」
⸻
池。
水面が静かに揺れる。
赤ずきんは鼻歌を歌いながら花を摘む。
丁寧に。
楽しそうに。
「ねぇ、そのお花はなんて名前?」
「うーん、わかんない!後でお婆さんに聞いてみる」
「そっか」
少しだけしゃがむ。
「私も手伝うよ」
⸻
その瞬間。
水面がわずかに歪む。
足元が崩れる。
落ちる。
水。
冷たい。
沈む。
深く。
深く。
意識が途切れる。
⸻
目を開ける。
衣装部屋。
「起きたみたいだね」
「……あれ、私」
「池に落ちたから」
「赤ずきんは?」
「お婆さんの家に向かい始めたよ」
「そう…」
少しの沈黙。
「違和感あった?」
アリスは頷く。
「うん」
「赤ずきんはおかしいよ」
「森で会った狼を簡単に信用してる」
猫は軽く言う。
「それは赤ずきんがまだ幼くて世間知らずだからだよ」
「それに狼は優しかったでしょ?」
「まあ、たしかに」
少しだけ考える。
「それにしても警戒心が無さすぎるけど」
「それと狼も変だよ」
「狼も?」
「うん」
淡々と続ける。
「食べるなら今食べた方がいい」
「お婆さんより断然楽だし」
猫が少しだけ目を細める。
「食べたことあるの?」
「そういうわけじゃないけど…」
⸻
少しの沈黙。
猫が、にやりと笑う。
「それじゃ、否定する?」
アリスは迷わない。
小さく頷く。
⸻
扉を開ける。
光に包まれる。
⸻
そこは、部屋だった。
薄暗い。
古いベッド。
閉ざされた空気。
赤ずきんは、すでにいる。
ベッドの前。
「おばあさん?」
優しく声をかける。
⸻
ベッドの中。
“おばあさん”。
だが。
青い頭巾を被ったアリスには、違って見える。
⸻
何も知らない赤ずきん。
お婆さんに変装している狼。
⸻
アリスにとっては、
すでに歪んでいる。




