愛ゆえの叱責
まだ抱き合ったままだった。涙は少しずつ静まりつつあったが、それでもメイおばさんを離したくはなかった。昨日からの一連の出来事を経て、この腕の中にいることがどれほど安心できるか、身をもって知ったからだ。腕に触れる布の感触と、かすかに香る川の匂いが、まだ胸の奥に残っていた。
しばらくして、メイおばさんの腕がゆっくりと緩んだ。名残惜しさを感じながら、私も両手を離し、顔を上げて彼女を見つめる。微笑みはまだそこにあった。夕焼けの残光が横顔を淡く照らし、それだけで安心できるはずだった。だがそれも長くは続かなかった。
笑みが少しずつ消えていく。先ほどまで安堵と感動に満ちていた瞳が、私を落ち着かなくさせる色に変わっていった。疑われている。その予感に、背筋がひやりとした。続いて、その顔にかすかな怒りが滲み始める。眉間に浮かんだ皺、固く結ばれた唇、そのどれもが今までのメイおばさんとは違っていた。
さっきまでの安心感は、一瞬で恐怖へと塗り替えられる。喉の奥で唾を飲み込んだ。手のひらにじわりと汗がにじむのを感じながら、私は目を逸らせずにいた。
「ジア、どうしてこんなに遅く帰ってきたの。昨日から一度も戻ってこなかったのに」
低く抑えた声だった。それでいて、有無を言わさぬ強さがあった。私はとっさにうつむいた。膝の上に置いた自分の手が、小さく震えているのが見えた。
「……ただ、眠ってしまっただけなの、おばさん」
マンゴーの葉のことは、あえて言わなかった。それを口にしてしまったことも、意図して隠した。心臓が、いつもより速く胸を叩いているのが分かった。
メイおばさんの目が細くなる。私の顔を値踏みするような視線だった。その視線から逃げたくて、私はつい肩をすくめた。
「じゃあ、もうご飯は食べたの? 」
首を横に振る手が、緊張で震えた。
「ううん。昨日から何も食べてない」
少し間を置いてから、視線を逸らしたまま続ける。膝の上の手を、無意識にぎゅっと握りしめていた。
「最後に食べたのは、果樹園で見つけたマンゴーと、ほかの果物だけ。」
メイおばさんはすぐには答えなかった。視線が一段と鋭くなり、私はますます落ち着かなくなっていく。乾いた唇を、無意識に舐めた。沈黙が長く感じられ、風が吹き抜けるたびに草擦れの音だけが妙に大きく耳に響いた。
不意に両手が私の肩を強くつかんだ。
「あっ……! 」
驚きに体が跳ね、そのまま震えが止まらなくなる。恐る恐る顔を見上げると、そこにあったのは先ほどまでとはまるで違う表情だった。真剣で、恐ろしいほど鋭い。指先が肩に食い込むほどの力に、痛みよりも先に恐怖が走った。
「ジア。もう一度だけ聞くよ。本当に、今言った果物だけしか食べてないの」
わざと低く抑えられた声が、耳の奥にまで響いた。
体が凍りつく。額に汗がにじみ出た。頷きたかった。頷いて終わらせたかった。けれど喉が張りついたように、声はどこにも出てこない。肩を掴む手の熱さだけが、やけにはっきりと伝わってきた。
「本当に、ジア!?」
肩を掴む手は緩まない。指先の圧が、逃げ場のなさを物語っていた。答えられないまま、私はただ震え続けた。視界の端で、彼女の眉が一段と険しくなるのが見えた。
「おばさんに嘘をつかないで」
震えはさらに強くなった。認めたくない一心で耐えようとしたが、恐怖と罪悪感はすでに支えきれないほど重くなっていた。固く目を閉じる。まぶたの裏に、昨夜食べたあの葉の匂いがよみがえった気がした。
「ごめんなさい……! 」
声が裂けるように出た。堰を切ったように、あとの言葉が溢れ出す。
「ジアが悪かったの。マンゴーの木の葉っぱを食べたの」
涙があふれ、しゃくり上げながら慌てて言葉を継いだ。肩を掴む手の感触さえ、もう意識の外にあった。
「葉っぱの匂いがよくて……美味しそうだったから、つい食べてしまったの」
言い終えても目は開けられなかった。震えは治まらず、この告白のあとにさらに怒られるのではという恐怖で頭がいっぱいだった。冷たい汗が背中を伝い落ちるのを感じながら、私はただ次の言葉を待った。
だが、しばらく経っても叱責は飛んでこなかった。肩をつかむ力が、少しずつ緩んでいく。
「ジア、目を開けて」
まだ開ける勇気は出なかった。まぶたの向こうで、彼女がどんな顔をしているのか想像するだけで足がすくんだ。
「正直に言ってくれたから、罰は軽くしてあげる」
その言葉に背中を押されるように、私はゆっくりとまぶたを持ち上げた。メイおばさんは変わらず目の前にいたが、その眼差しはもう先ほどの鋭さを失っていた。
頭を下げたまま、震えていた体が少しずつ落ち着きを取り戻していく。頬にはまだ涙が伝っていて、手の甲でそれを拭った。荒くなっていた呼吸も、ようやく整い始めていた。勇気を振り絞って尋ねる。
「おばさん……どうしてジアがマンゴーの葉を食べたって分かったの……? 」
メイおばさんは静かに私を見つめ返した。夕暮れの光が、彼女の疲れた横顔をさらに深く見せていた。
「おばさんは薬剤師なの。薬や病気に関わる仕事を長くしてきたから、体に影響を与える植物のことはよく分かる。だから、マンゴーの葉を不用意に口にしたら、どんな作用が出るかも知っていたのよ」
淡々とした口調だったが、そこには確かな重みがあった。まだ小さくしゃくり上げながら、私はゆっくり顔を上げた。涙で滲む視界の中、メイおばさんの表情が再び柔らかくなっていくのが見える。
手が伸びて、頬の涙をそっと拭った。ざらついた指先の感触が、なぜか懐かしく感じられた。
「もういいから。泣かないで」
落ち着こうと努めても、胸の奥に居座る罪悪感は消えなかった。メイおばさんは息を吸い込み、静かに告げる。
「でも、罰は受けてもらうからね」
再びうつむいた私に、彼女はゆっくりと言葉を続けた。
「しばらくの間、外出は禁止。この花畑から出てはいけない。期間はあとでおばさんが決める」
ゆっくりと頷く。反論する余地はどこにもなかった。
「罰を受けている間、花畑でしっかり反省しなさい。今まで自分がしてきた困ったこと、特におばさんを心配させたことを、よく考えるのよ。」
黙ったままの私の頭を、メイおばさんの手が優しく撫でた。その手つきは、叱っている最中とは思えないほど優しかった。
「おばさんが怒ってるのは、あなたを愛していないからじゃないの」
ゆっくりと顔を上げる。彼女の瞳には、怒りではなく別の何かが揺れていた。
「おばさんが怒ってるのは、あなたがおばさんをひどく心配させたから。一日中どこにいるか分からなくて、何が起きたのかも分からなかった。それに、自分の体がどうなるかも考えずに、危ないことをしてしまったから」
再び込み上げる罪悪感に、頭を下げる。喉の奥が熱く締めつけられた。
「ごめんなさい、おばさん」
自分の手をぎゅっと握りしめた。爪が掌に食い込むほどの力だった。
「心配させるつもりはなかったの」
涙がまた頬を伝う。
「それに、あの葉っぱが危ないなんて、思ってもみなかった」
再び泣き出した私を見て、メイおばさんは黙り込んだ。怒りはもうどこにも残っていなかった。静かに息を吐き、そしてもう一度、私を抱き寄せた。彼女の腕からは、まだ川の水の匂いがかすかに漂っていた。
すぐに腕を回して抱き返した。肩口に顔を埋め、こらえきれずに声が漏れる。
「おばさん」
涙が再びあふれ出す。
「ごめんなさい」
腕にさらに力を込めた。震える背中に、彼女の手のひらの温もりが伝わってくる。
「心配かけて、ごめんなさい」
腕の中で声を上げて泣いた。抑えていたものが、また一気に崩れていく。
「ちゃんと考えずに、勝手なことしてごめんなさい」
もう叱る言葉は返ってこなかった。ただ背中を優しく撫でながら、抱きしめ続けてくれる。夕風が二人の間を静かに通り抜けていった。
腕の中で、私は思う存分泣いた。心配させたことも、間違いを犯したことも、痛いほど分かっている。叱られ、罰を受けたとしても、それは愛されていないからではないのだと、今は分かる。むしろ、深く愛されているからこそだった。
けれど、優しく背中を撫でるメイおばさんの視線が、ふと肩越しに森の方へ流れたことに、私は気づかなかった。




