5.火花散る魔族議会
~魔族帝国・影の玉座~
転生から三日目の朝。
俺は、昨日作った黒曜パンケーキを食べながら情報を整理していた。
リリアが玉座の間に入ってきた。
「失礼します、陛下」
扉を開けたリリアは、玉座の前に広げられた無数の羊皮紙を見て、一瞬だけ目を止めた。
「……一晩中、書いていたのですか」
「整理が必要だった」
振り返らずに答えた。
「ところで用件はなんだ?」
「幹部側から、緊急の議会招集の打診が入っております。対応をどうなさいますか?」
緊急か、その理由がなんとなく分かる気はする。
「内容は?」
「フォートレス・ブラッドの件、および……昨日の陛下の発言について、です」
昨日の発言、命を差し出すと言った件だ。
「漏れたか」
「砦には多くの兵がおりました。早耳な者が、幹部連中の耳に入れたようです」
俺は玉座の肘掛けに肘を乗せ、軽く息を吐いた。
「……まぁそうなるな。どうせ後で文句を言われるなら、今のうちに揃ってぶつかっておいた方が楽だ。通せ」
リリアは小さく頷くと、すぐに俺を会議室へ案内した。
扉を開けた瞬間、すでに喧噪が耳を突いた。
「命を差し出す、だと?! 正気か!!」
低く響く怒声。
黒鉄の鎧をガチャガチャ鳴らしながら立ち上がったのは、顔が赤黒く染まっているダークドワーフだ。
リリアが俺の耳元で小さく囁く。
「戦闘部隊の将ヴォースキン、前魔王の強硬路線を支持していた男です。昨夜から怒り続けているようで……」
「魔王みずから命を人間に差し出すなど、魔族の歴史に前例がない! 砦まで捨てて! 恥だ! 屈辱だ!」
「まぁまぁ〜、そんな熱くなんないでよぉ」
軽い声が割り込む。
派手な赤と黒のドレスを翻し、甘い笑みを浮かべたサキュバスが、扇子で口元を隠しながら言った。
リリアが耳打ちする。
「サキュバスのリルムです。見た目は可愛らしいですが、帝国最大の娼館を束ねる女王。情報網も資金力も相当なものです」
リルムが肩をすくめて続ける。
「命を差し出すって言ったって、どうせ何か考えてんでしょ。魔王さまって顔がそういう顔じゃん」
「そういう問題ではない!」
「おいらは面白いと思うぜぇ」
椅子の上に片膝を立て、くるくると王冠を指で回しているゴブリンが、くっくっと喉を鳴らして笑う。
リリアが耳打ちする。
「ゴブリンを率いるジャレスです。戦い方が残虐で手に余るところがありました」
「人間が喜んで停戦に乗ってきたとして——その後どうなるか、おいら見てみたいんだよなぁ。魔王が死んだら、次は誰が頂点に来るんだろうなぁ」
にやにやと、品のない笑いが広がる。
隣のドラゴニュートが、黙ったまま腕を組んでいた。
リリアが小さく囁く。
「彼はシンラ。魔王城近くの砦を守っており、帝国内の実力では一番強いかもしれません」
「……命を差し出すと言ったことは聞いた」
シンラがゆっくりと口を開く。
「だが——砦を捨てたことの方が問題だ。あの砦は我ら魔族の防衛線だった。なぜ戦わず退いた」
「合理的判断だ。落ちる城に兵を残す意味はない」
「合理?」
ヴォースキンが怒鳴る。
「魔族に合理など要らん! 力で押し通すのが魔族だ! 前魔王様ならそうされた! 砦など捨てず、命など差し出さず、力でねじ伏せた!」
「前魔王様なら——こんな体たらくは絶対に見せなかった!」
ヴォースキンの怒声が、議場に反響する。
(……前魔王、か)
ヴォースキンが「前魔王様」と言うたびに、議場のいくつかの視線が微妙に動く。
同意するように頷く者。懐かしむように目を伏せる者。品定めするように俺を見る者。
(なるほど)
繋がった。即位したばかりの魔王。
先代の強硬路線を支持していた幹部たち。
「新米」という言葉が何度も飛び交う理由。
これは停戦への反発だけじゃない。
俺には——実績がない。
前任者の功績も、積み上げた信頼も、何もない状態で玉座に座っている。
地球でも似たような場面はあった。
前任の大物外交官の後を引き継いだ若手が、古参に総スカンを食らう光景。あの構図と同じだ。
つまり今の俺は、先代の遺産の上で仕事をしながら、先代と比べられ続けている。
「ならば問う・・・今、力で縛れているのか?」
「前魔王は力による支配を選んだ。だが結果はどうだ。戦線はボロボロ。魔石備蓄は減少。徴兵率は限界に近い。それでも"力"と言うなら——その失敗を、もう一度繰り返せ。それでも進むなら、俺は止めはしない」
視線がぶつかり合う。
「だが、その結果がどうなろうと——責は俺ではなく、進軍を選んだ者が負う」
ヴォースキンの拳が軋む音が聞こえた。
「……脅しか」
「確認だ。俺は王として、勝つ道を選ぶ義務がある」
議場が再びざわめく。
その時。
円卓の端に座っていた巨躯の獣人が、ゆっくりと立ち上がった。
灰色の毛並みに赤い瞳、首に掛けた巨大な戦斧。
牙を剥き出しにした狼頭の男——
リリアが慌てて耳打ちする。
「グルムです。ガルド将軍の遠縁にあたります。獣人族の中では過激な独立派で……自分の実力への過信が強い御仁です」
グルムは腕を組んだまま、品定めするように俺を見下ろした。
「……はっ」
鼻で笑った。
「見れば見るほど、たいした器じゃねぇな。魔王ってのはもっとこう——圧ってもんがあるだろ。お前からはそれが感じられない」
ヴォースキンやシンラとは違う。
この男の目には、怒りすらない。
ただの、軽蔑だ。
「砦を捨てて、命を差し出すって? 笑わせんな。俺が前魔王様に仕えてた頃はな、そんな腑抜けたことを言い出す奴は即座に粛清されてたぞ。それが魔族ってもんだ」
「ガルドのやつも最近おかしかったが——まぁ、帝国の犬になるとそうなるんだろうな。お前みたいな新米に従ってりゃ、そりゃ傷も負う」
獣人族の将への言葉とは思えない冷たさだな。
「俺はな、ずっと思ってたんだよ。獣人が帝国とつるむ必要なんてない、ってな。俺たちだけで十分やっていける。魔族なんかに頭下げなくても、人間なんかに媚売らなくても」
「だから言っておく。お前が人間に命差し出して、ペコペコ頭下げて、それで戦争終わりましたーとかほざくくらいなら——俺がその前に殺してやる。魔王が人間に跪く姿なんぞ、見たくもない。それがせめてもの慈悲だ」
にやりと、牙を見せた。
「どうせお前には無理だろうけどな。新米には荷が重い仕事ってもんがある。引退して、俺に席を譲ってもいいんだぞ?」
議場に、妙な沈黙が落ちた。
ヴォースキンでさえ、少し引いた顔をしている。
「……一つだけ聞く」
「あん?」
「獣人だけで独り立ちしたとして——魔族が消えた後、聖王国が次に狙うのはどこだと思う」
グルムが、一瞬だけ黙った。
「……獣人なめんなよ。そんくらい」
「わかってるなら、話は早い」
静かに続けた。
「今は座っていろ。お前の番はまだ来ていない」
グルムの顔が、赤くなった。
「……あ? 今、俺に座れって言ったか?」
「言った」
グルムが戦斧に手をかけた瞬間——
リリアが無言で前に出た。
グルムの手が、止まる。
リルムが扇子で口を隠しながら、小さく笑った。
「……覚えておけよ、新米魔王。いつかそのでかい口、後悔させてやる」
捨て台詞を吐いて、どかりと椅子に座り直した。
リリアが議会の強制終了を告げる。
重臣たちが苛立った様子で退室していった後、玉座の間に俺だけが残る。
「……魔王さまぁ〜」
甘い香りが漂ってきて、リルムが近づいてくる。
「停戦とかさぁ〜、あたし嫌いじゃないよ? 戦争長引くと客単価落ちるし」
彼女は俺の顔を覗き込むように身を寄せた。
「……でもさ。命を差し出すって——本当に何か考えてるんでしょ?」
俺は沈黙する。
「安心して。あたし、もう動いてるから」
「……何をだ?」
「聖王国の商人三人、うちの常連。近いうちに、ちょっと深い話する予定なの。情報、いるでしょ? 魔王さま」
「その代わり〜」
リルムが俺の腕に腕を絡めてくる。
「今度、うちの高級娼館に遊び来てよ? 特別室、空けとくからさ♡」
甘い香りが濃くなる。
その瞬間——
玉座の間の空気が、わずかに冷えた。
「……陛下はお疲れです」
静かな声。
リリアが一歩前に出て、リルムの前に立った。
微笑んでいるが、目は全く笑っていない。
「長時間の接触は、お控えください」
温度のない丁寧語。
リルムは一瞬だけ目を細め、すぐにくすりと笑った。
「こわ。吸血鬼って空気冷やすの得意なんだっけ?」
二人の間を見比べた。
「リルム」
視線を腕に落とす。
「提案は聞く。だが正式に上げろ。リリアを通せ」
リルムがゆっくりと腕を離した。
「はーい、魔王さま。じゃあ"仕事"としてお誘いするね?」
くるりと背を向け、去り際に振り返る。
「でもさ」
微笑む。
「今の魔王さま、前よりずっと面白いよ?」
リリアの視線が、ほんのわずかにこちらへ向いた。
リルムが去り、静寂が戻る。
リリアが小さな声で、むっとして言った。
「陛下、まさかとは思いますが行きませんよね? ……こんな時に」
なんだかリリアの様子が妙に刺々しいような……。
気のせいだろうと目を細めた。
だが、あのリルムというサキュバス。
(……観察力も胆力も揃っている)
(あの交渉に使える)
俺は静かに息を吐き、玉座に深く腰を沈めた。
この世界の政治は、予想以上に面倒くさい。
だが——面倒くさい分だけ、動かせるものも多い。




