6.国王と師匠
~聖王国王都・城門前~
王都の城門が見えた頃、レオンは馬の速度を落とした。
「……帰ってきた」
誰に言うわけでもなく、呟く。
隣でミリアが小さく息を吐いた。
「生きて帰れたわね。毎回ひやひやするんだけど」
「俺はいつも生きて帰る」
「その自信がひやひやするって言ってるの」
後方でボルグが大斧を肩に担ぎ直しながら、鼻を鳴らした。
「王都の飯は不味い。早く故郷に帰りたいぞ、俺は」
「帰れないでしょ、まだ」
エレナが静かに言う。
「……魔王との件が、片付くまでは」
四人がそれぞれの表情で城門をくぐった瞬間——
城壁の陰から、低い声が落ちてきた。
「遅かったな」
全員が同時に振り返った。
石造りの柱に背を預け、腕を組んで立っている男。
三十そこそこに見えるが、目だけが場違いに老け、武人のような立ち姿の文官がいた。
「師匠!」
レオンが真っ先に駆け寄った。
「お久しぶりです、師匠! ご無事でしたか」
クロードは無表情のまま、レオンの肩に一瞬だけ手を置いた。
「お前も元気そうでなによりだ」
ミリアが小声でボルグに耳打ちする。
「……あの人、誰?」
「知らん。レオンが師匠と呼んだが」
「師匠って——レオンに師匠がいたの?」
エレナが目を丸くして、小声で続ける。
「聞いたことがありませんでした……」
ミリアが恐る恐る声をかけた。
「あの……失礼ですが、レオンの師匠って、レオンより強いんですか?」
「聖剣がなければ、俺が負ける」
レオンが静かに答えた。
三人が、同時に息を飲んだ。
「…………え?」
「嘘でしょ」
「レオンが、負ける?」
「聖剣がなければ、という話だ」
レオンは当然のように言った。
「師匠に剣を教わった。今でも素の剣技なら師匠の方が上だ。俺が勝てるようになったのは聖剣を手にしてからだ」
三人がクロードの背中を、改めて見た。
文官風の細い体。目立たない立ち姿。
だがその背中が、どこか——近づきがたい空気を纏っていた。
クロードはすでに歩き始めていた。
「魔王が停戦交渉を持ちかけてきたな。しかも、命を差し出すと言った」
三人が、同時に足を止めた。
ミリアの目が丸くなる。
「……なんで知ってるの? まだ報告もしてないのに」
ボルグが眉間に皺を寄せる。
「盗み聞きか?」
クロードは振り返らない。
ただ、歩き続ける。
「……師匠」
レオンが静かに言った。
「また、見えたんですか」
「ああ」
三人がレオンを見た。
ミリアが眉をひそめる。
「見えた……? どういうこと、レオン」
レオンは少し間を置いた。
「師匠は——明日起こることが、わかる」
沈黙。
「……は?」
ミリアの口から思わず素っ頓狂な声が出た。
「明日、起こること」
「それって……私みたいな感じ? 感覚を研ぎ澄まして、敵の動きを先読みするっていう」
「違う」
レオンははっきり言った。
「そういう話じゃない。師匠には明日の出来事が——文字通り、見える」
三人がクロードの背中を見た。
「……だから王国の軍師をしている。戦場で何が起きるか、一日先に見えている人間が隣にいればどれだけ有利になるか、わかるだろう」
ミリアが小声で呟いた。
「……それって、チートスキルじゃないの。しかも規格外の」
「チートスキルだ」
レオンは静かに言った。
「師匠の前では、奇襲も伏兵も意味をなさない。全部、前日に見えているから」
エレナが静かに言った。
「……では、今回の魔王の件も」
「昨日の夜、断片が見えた」
クロードが振り返った。
「命を差し出すという発言はいままでの魔王なら絶対にしない。ボルグ、手を前に出せ。」
その瞬間、木刀がボルグの顔目がけて飛んできた。
ボルグが木刀をキャッチする。
子供たちの声がする。
「ごめんなさーい!チャンバラごっこしてたら剣が吹っ飛んで!」
ボルグが腕を組んで低く唸った。
「……本物か」
「本物だ」
レオンは迷いなく答えた。
三人がもう一度、クロードの背中を見た。
今度は——さっきとは違う目で。
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~聖王国王都・謁見の間~
レオン達は国王の前に立ち、今回の報告を始めた。
「魔王が……自らの命を差し出して、停戦を提案してきました」
その沈黙の中で——柱の影に立っていたクロードだけが、静かに目を閉じた。
頭の奥で、鋭い痛みが走る。
(来た)
予知が、開く。
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『『最初に笑う。腹の底から、馬鹿にしたように。』
『次に、口々に言う。「前魔王なら」「命乞いか」「腰抜け」と』
『ランスが一番大きく笑う。イザベルが「ペットにしてもいい」と言う』
『円卓では「今がチャンス」「叩き潰せ」と声が上がる』
『グランツだけが慎重論を唱えるが、かき消される』
『結論は出ない。国王は持ち越す』
『——そして、断片。鉄鋼街道。荷車。赤い鼻のドワーフ』
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クロードは目を開けた。
誰にも聞こえない声で言った。
「……なんだ今の予知は」
その瞬間——ランス将軍が、腹を抱えて吹き出した。
「ハハハ! 命を差し出す!? 笑えるじゃないですか陛下! 前魔王なら今頃俺の首飛ばしに来てたのに! 今の魔王、俺でも勝てそうじゃないですか!?」
笑い声が伝染した。謁見の間が、どっと沸く。
「ですよね! 前魔王は怖かったけど、今の魔王とやらとは全然格が違いますよ」
「命乞いって要は白旗じゃないですか。さっさと降伏させればいいのに」
「勇者レオン殿がいれば一瞬で終わりますよ。なんで停戦なんか考える必要があるんです?」
貴族たちが、口々に笑い飛ばす。誰も、自分の頭で考えていない。
ランスが笑えば笑う。ランスが頷けば頷く。
イザベル嬢が扇子を広げて、甘ったるい声で続けた。
「ねえ、魔王ってどんな見た目なの? 弱そうならペットにしてもいいかな♡ 王都の庭、最近退屈だし——鎖つけて散歩させたら面白そう!」
くすくす笑いが広がる。
「イザベル様、さすがですわ!」
取り巻きたちが囃し立てる。
誰一人として、なぜ今この提案が来たのかを考えていない。
勝っている気分で、笑っている。
ミリアが小声でボルグに耳打ちした。
「……ねえ、笑っていいの、これ」
ボルグが腕を組む。
「俺は笑えん。あの魔王の砦、楽しかったが……笑える敵じゃなかった」
エレナは静かに視線を落としている。
レオンは黙って立っていた。
(違う……あいつは何を考えているか、わからなかった)
強い相手とは何度も戦ってきた。
速い相手も、大きい相手も、狡猾な相手も。
だが——何を考えているかわからない相手は、初めてだった。
命を差し出すと言った、怒っているのか。悲しんでいるのか。罠なのか。本気なのか。
剣を向けるべきかどうかすら、わからなかった。
(それが——怖かった)
強いから怖いのではない。読めないから、怖い。
「レオン」
ミリアが小声で呼んだ。
「大丈夫? なんか、難しい顔してる」
「……ああ」
「魔王のこと、考えてた?」
レオンは少し間を置いた。
「……何を考えてるか、わからない相手って——お前は怖いと思うか」
ミリアが首を傾げた。
「強さとは別の話?」
「ああ」
「……私は怖いわね。強い相手は倒せばいい。でも何を考えてるかわからない相手は——どこを見ればいいかわからないから」
クロードは末席で、ただワインを傾けていた。
ランスがまだ笑っている。
イザベルがまだ笑っている。
国王が余裕の顔で杯を傾けている。
~聖王国王都・王城・円卓の間~
笑い声が収まった後、国王エドガル三世は重臣たちを集めた。
謁見の間より小さく、より密閉された石造りの部屋。
円卓を囲むのは十二人。軍人、貴族、宰相、そして——端の席にクロード。
「停戦提案への対応を決める」
エドガルが静かに言った。
笑い声はもうない。
国王の目が、冷たく光っている。
「意見を聞く」
最初に立ち上がったのはランス将軍だった。
先ほどまでの軽薄な笑みは消えている。
一応、場を読んだらしい。
「陛下、言うまでもありません。今がチャンスです」
地図を叩く。
「現在、聖王国軍は魔族帝国の補給路三本のうち二本を圧迫しています。勇者パーティーは無傷。士気は最高潮。魔王みずから命を差し出すと言っている——これは弱体化の証拠です。ここで手を緩めれば魔族を駆除する機会を永遠に失う。停戦など論外。このまま一気に叩き潰すべきです」
「賛成だ」
別の将軍が続く。
「魔族は今まで何度も人間の領土を侵してきた。停戦を結んでも、また攻めてくる。今の優勢を活かして、根を絶やすべきだ」
どよめきが円卓に広がった。
「しかし——」
宰相グランツが手を挙げた。
老齢の細身の男。声は低く、落ち着いている。
「魔族を根絶やしにするとなれば、長期の総力戦になります。現在の国庫でそれに耐えられるか。補給路の維持コスト、兵の消耗——慎重に考える必要があります」
「弱腰だ、グランツ!」
ランスが机を叩く。
「金の計算をしている場合か。今逃せば、魔王は立て直す。次はもっと手強くなって戻ってくるぞ」
「では兵糧が尽きた時、どうされるおつもりですか」
「気合で——」
「気合では兵士の腹は膨れません」
グランツが静かに、しかし鋭く遮った。
別の一角から声が上がる。
「停戦は反対だが、魔王の血筋さえ絶てるならそれでいい」
貴族の一人、ハウザー侯爵だ。
「今の魔王を討ち取り、後継者の芽を摘む。それが条件なら、一時の休戦を利用する手もある。停戦を受け入れるふりをして、内側から崩す」
「それは——」
「外交違反だと? 相手は魔族だぞ。誠実に付き合う必要などない」
「しかし信義を破れば、他国からの信頼も失います。エルフやドワーフが——」
「あんな連中の目など知ったことか!」
「知るべきです! 補給路はエルフとドワーフが管理している。彼らが敵に回れば——」
「今は聖王国が優勢だ! 誰も逆らえない!」
円卓が騒がしくなった。
それぞれが、それぞれの利益と恐怖で声を上げていた。
エドガルは黙って聞いていた。
(聖戦を完遂する。それは変わらない。だが——どう完遂するか)
勇者とクロードがいる。戦力は揃っている。
命を差し出すと言ってきた。それが何を意味するのか——
エドガルは答えが出ないまま、騒がしい円卓を見渡した。
その端でクロードだけが、黙っていた。ただ静かに目を閉じている。
エドガルが視線を向けた。
「クロード。お前は何も言わないのか」
円卓が、少しだけ静かになった。
クロードはゆっくりと目を開けた。
「皆さんの意見は全て停戦への対応策です。私が気になるのはそこではありません」
「では何だ」
「——なぜ今、この提案をしてきたのか」
円卓が静まり返った。
「前魔王の時代、こういう提案は一度もなかった。圧力と恐喝だけだった。それが今の魔王は命を差し出すと言ってきた。変わりすぎています。変わった理由が、まだわからない」
ランスが鼻を鳴らした。
「理由なんて決まってる。弱体化したんだろう。それだけじゃないですか」
「弱体化した者が、命を差し出すという大きな賭けに出るでしょうか」
「え……でも、弱ってるから命乞いするんじゃ——」
「弱っているなら黙って守りを固める。わざわざ動く必要はない。なのに動いてきた——それは弱体化ではなく、何か別の目的のためではないかと思っています」
ランスが口を開きかけて、閉じた。
答えが出ないらしい。
「別の目的って……何ですか」
「わかりません。まだ」
クロードは静かに続けた。
「停戦を受け入れるべきかどうかは、その目的が見えてから判断すべきです。今は——様子を見ることを進言します」
「様子見では遅い!」
ランスが吼える。
「優勢な今こそ動くべきだ! クロード殿、あなたはいつもそうだ! 煮え切らない! 俺たちには勇者レオンもいるんですよ!?」
クロードは視線をランスに向けた。
「停戦提案は、表の動きです。ならば裏で何かが動いている可能性がある。その裏が見えるまで、大きな決断は保留すべきかと」
「弱気だ!」
ハウザー侯爵が机を叩く。
「クロード、お前は魔族が怖いのか!」
クロードは答えなかった。
エドガルは深く息を吐いた。
「……今日は結論を出さない。各自、引き続き情報を集めよ」
円卓がざわめいた。
「陛下!」
「下がれ」
一言で、部屋が静まった。
重臣たちが、不満を顔に貼りつけたまま退室していく。
最後に残ったのはクロードだけだった。
エドガルが低く言う。
「クロード。本当のことを言え。魔王は何を考えている」
クロードは少し間を置いた。
「わかりません。まだ」
「お前が『まだわからない』と言う時は——わかりかけているということだ」
クロードは答えなかった。
ただ、窓の外の暗い空を見た。
(補給路。停戦提案。命を差し出す覚悟。全部が繋がっている気がする——だがどう繋がるのか、まだ見えない)
「……引き続き、調べます」
それだけ言って、クロードは部屋を出た。
~聖王国王都・城壁の上~
夜風が冷たかった。
レオンは一人で城壁に立ち、遠くの地平線を見ていた。
「師匠」
背後に気配がした。振り返らずに声をかける。
「なぜここがわかったんですか」
「昨日の予知に、お前が城壁に立っている断片があった」
クロードが隣に立つ。
しばらく、二人は黙っていた。
風だけが鳴っていた。
「師匠」
「ああ」
「俺……あの魔王が怖かったです」
クロードは何も言わなかった。
「強いから、じゃないんです。何を考えているか、わからなかった——全部読めなくて」
「……」
「剣を向けるべきかどうかすらわからなかった。そういう相手と戦ったことが、今まで一度もなかったから」
クロードは静かに言った。
「それは弱さじゃない」
「でも——」
「お前はずっと、倒すべき敵と戦ってきた。敵は殺しに来る、だから倒す。それだけだった。だが今回は違った。命を差し出すと言ってきた相手を、どう扱えばいいかわからなかった。——それは当然の戸惑いだ」
レオンは黙って地平線を見た。
「師匠は……あの魔王、どう見ますか」
「お前の話でしか知らない」
「俺の話を聞いて、どう思いますか」
クロードは少し間を置いた。
「何かを、必死に守ろうとしていると思う」
レオンが振り返った。
「守ろうと……?」
「攻めてくる者ではない——お前がそう感じたんだろう。読めないのは、あいつが隠しているからじゃない。あいつ自身が、まだ答えを出せていないからかもしれない」
レオンはしばらく黙っていた。
「師匠」
「ああ」
「俺は——あいつを斬れるんですかね」
すぐには、答えなかった。
「レオン」
やがて、低く言った。
「お前のその力があれば——誰にも止められはしない。それは本当のことだ」
「……」
「聖剣を持ったお前に、正面から勝てる者はいない。魔王でも、俺でも、おそらく誰であっても」
レオンは拳を軽く握った。
「だからこそ——今の状況は歯がゆいだろうな」
クロードの声が、わずかに柔らかくなった。
「剣では解決できない問題が目の前にある。お前がどれだけ強くても、振るう相手がいない。何を考えているかわからない相手に、剣をどう向ければいいかわからない。——そういう戦い方を、お前はまだ知らない」
「……悔しいです」
レオンは静かに言った。
「俺が強くても、何も解決できない気がして」
「今はそれでいい」
クロードはレオンを見た。
「剣で解決できない問題がある——それを知ることが、まず一つ目の強さだ」
レオンは黙って、その言葉を受け取った。
遠くの地平線が、わずかに白み始めていた。
「師匠」
「ああ」
「次に会った時——俺は、あいつに聞いてみたいです。何を考えているか」
クロードは少し間を置いた。
「斬る前に、か」
「斬る前に」
二人は笑いあった。
夜が、静かに明けていこうとしていた。
あとがき
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「今後どうなるの!!」
と思ったら
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