表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

2.戦えない魔王

情報が足りない。

彼女が何者で、この場所がどこで、「魔王」が何を意味するのか、俺には何もわからない。

前の体の記憶も、ない。

白紙だ。


「陛下……少し、お顔が違います。いつもと」


俺は静かに言った。


「俺は今頭が…おかしい。正直に言うと記憶がない。教えてくれないか。今ここで何が起きているのか、俺が誰なのか、何もわからない。一から教えてくれ」


女の目が、一瞬揺れた。

涙が滲んで泣きそうになっている。それでも崩れない。感情のコントロールが優秀だ。

俺は意識の隅でそれを記録しながら、彼女が口を開くのを静かに待った。


「……禁断魔法の、代償ですね」

「禁断魔法?」

「三日前、陛下が行方不明になりました。封印室が光ったと報告があり、確認に行くと……陛下は床に倒れていた。魔力はほぼ空の状態で」


彼女はじっと俺の目を見た。


「魂の代替召喚。先代が書き残した術です。術者の魂を代償に、望む才を持つ異界の魂を呼び込む」


一拍、置いた。


「……陛下は、自分の魂を差し出したのですね」


俺は黙っていた。

前の魔王は、異界から誰かを引っ張るために自分の魂を使った。

力を持ちながら、力では勝てないと悟って「特別な才能を持つ誰か」を呼んだ。

代償は、自分の魂、前の魔王の魂はこの体の中から消えたのだ。


(馬鹿な選択だ)


そう思いかけて——言葉が止まった。

馬鹿な選択、か。

俺は合理で生きてきた。感情を排して、損得を計算して、常に最適解を選んできた。

七年間、毎日隣にいた相棒を、最後まで読めなかった。

あなたの正しさは、冷たい——そう言われて、俺は死んだ。


前の魔王は違った。

勇者に勝てないと知りながら、諦めなかった。

世界を変えるために、自分ごと賭けた。その非合理な選択が——今、俺をここに立たせている。


(俺はその男に、呼ばれたんだ)


静かに、何かが腹の底に落ちてきた。

使命とか、覚悟とか、そういう大げさなものじゃない。

もっと単純なことだ——誰かが、全てを失って俺を呼んだ。

俺はその呼び声に、応えるかどうかを選べる立場にいる。


「君の名前は?」

「……申し遅れました」


彼女はわずかに目を細め、それから片膝をついた。


「リリア・ヴァルフレアム。魔族帝国の宰相を務めています。

吸血鬼族の長でもある。陛下とは——十年来の腐れ縁と、言えばわかるでしょうか」

「十年か」


十年。

美咲とは七年だった。それでも読み間違えた。


「ええ。あの駄々っ子が玉座に座った日から、ずっと傍で支えてきた」


彼女の声は揺れなかった。

だが「駄々っ子」という言葉に、かすかな温度があった。

——十年間、傍で支えてきた相手が、自分の魂を対価に使った。

彼女はそれを、今どう受け止めているのか。

怒りか悲しみか、俺にはまだわからない。だが——それを読もうとしている自分がいる。

まったく、人ってのは痛い思いをしないと学べない生き物だよな。


「魔王なんだろ。なんでそこまで追い込まれていた?」

「……勇者が現れました」


勇者。

コテコテすぎて、一瞬頭が真っ白になった。


「敵国は連合し、帝国領に攻め入っています。帝国内部でも反乱が起きています」


俺はリリアの話を聞きながら、頭の中で地図を作っていった。

リリアの説明を聞くに差し迫った問題がいくつかある。獣人連合の離反。吸血鬼の裏取引。ドワーフの離反。そして——三十万の聖王国軍と、先頭に立つ勇者レオン・ヴァルハラ。


「まとめると」


俺は言った。


「内部は三方向から崩れ、外からは勇者率いる軍が来ている。同盟もない。最悪だな」

「はい、陛下。その通りです」


リリアの声は平坦だった。

だが俺はその平坦さの奥に、ぎりぎりまで張り詰めた何かを感じた。

この女は今、崖の縁に立っている。

それでも膝をついて、俺を「陛下」と呼んでいる。


(なら、俺がやらなくてどうする)


「全員が、欲しいものを持っている」


ゆっくりと立ち上がった。

体が重い。魔力とやらが暴れている感覚がある。だが足腰は動く。


「獣人は名誉と領土。吸血鬼は安全な儲け。ドワーフは安定した取引先。欲しいものが分かれば、交渉は成立する」


立ち上がり、リリアを正面から見た。


「今の俺を——前の魔王じゃない、別の魂が入った俺を——信用できるか?」


彼女は目を逸らさなかった。


「……まだ、わかりません」


正直な答えだ。


「ただ、前の陛下は力で押さえつけるだけだった。あなたは目覚めてすぐ、情報を求めた。力ではなく。それは——少なくとも、別の道を模索している証拠です」

「それで十分か?」

「十分ではありません。でも……帝国が滅びれば、私も死にます。今はそれでいいはずです」


打算だ。感情ではない。

俺は小さく笑った。こういう関係の方が、動きやすい。信頼は時間をかけて積み上げるものだ。

最初から信じ合える相手など存在しない——それが俺のこれまでの経験だった。

ただ、今度は感情もちゃんと見る。

打算の裏に何があるか。言葉の温度がどこで変わるか。

それを見落とさない外交官に、今度こそなる。


「わかった。まずは内部を固める。順番は——」


その前に、一つ確認しておきたいことがあった。


「リリア。俺はどれほど強い?」


彼女は一瞬、目を細めた。


「魔法……魔力量だけで言えば、この大陸に並ぶ者はいません」

「魔法というのは、どういうものだ」

「陛下は魔王ですので、魔力量だけで言えばこの大陸に並ぶ者はいません。炎を出す、衝撃波を飛ばす、空間を歪める——応用は無数にあります」


空間を歪める。

俺の中で、何かが小さく跳ねた。

外交官としての理性が「戦力の把握は必要だ」と冷静なことを言っている。それは本当だ。

だがそれとは別に、もっと単純な何かが——


「……使い方を教えてくれないか。簡単なものでいい」


戦力把握のためだ。絶対にそうだ。

リリアの手が、書類の上で止まった。


「……今すぐ必要ですか」


驚きではない。実務的な心配の声だ。


「どのくらい危険だ?」

「陛下の魔力量は、この大陸に並ぶ者がいません。制御の訓練なしに扱えるものでは——」

「それは聞いた。だから聞いている」


リリアは俺を見た。

この男にどこまで話すべきか、という目だ。


「……説明するより経験した方が早いかもしれません。ただし」

「何かあっても私には止められません。それだけ覚えておいてください」

「やってみる」


そう言いながら目を閉じる。

戦力把握のためだ。本当にそれだけだ。ワクワクなんてしていない。


「陛下、魔力の流れを感じますか?」


感じる。

体の奥底に、何かがある。海のようなものだ。静かに動いている。

俺が意識を向けるたびに、それが反応する。波が立つように、膨らむ。

でかい。比喩じゃなく、でかい。


「ああ」

「では、ほんの少しだけ——手のひらに集めるイメージで」


意識を向けた。

ほんの少し。蛇口を一センチだけ開けるような、そういう感覚で。


その瞬間——部屋全体が揺れた。

燭台の炎が一斉に吹き消える。空気が、肌を叩いてくる。

手のひらを見ると白紫の光が、指の間から溢れ出していた。

……これ、一センチ開けた結果か?


「陛下、止めてください——!」


リリアの声が遠くなる。

急いで絞ろうとした。蛇口を閉める。それだけのつもりだった。


だが——閉まらない。


骨が軋んだ。腕の内側から、何かが暴れ閉めようとすればするほど、圧力が増す。

血管が手の甲に浮き上がっていく、指先が焼ける。

制御できない。

常に俺は冷静に分析して、次の手を打ってきた。だが今は——分析する前に、体が壊れる。


「く……っ」


次の瞬間、手のひらの光が弾けた。

白い閃光が視界を塗りつぶす。衝撃が胴体を叩き、足が地面から離れた。

背中が壁にぶつかり、口内に血の味が広がる。


……情報を整理しろ。

習慣が発動した。どんな状況でも、まず整理する。

右腕の皮膚が黒く焦げている。肋骨が一本か二本、いっている。肺に異常はない。致命傷ではない。

よかった。死ななかった。

いや、自分の魔法で死にかけた魔王って何だ。


「陛下!」


リリアが膝をついて駆け寄ってくる。

冷静を保とうとしている。保とうとして——隠しきれていない。

この人本当に大丈夫なのか、そう書いてある顔だった。


「これが……魔王の力か」

「……前の陛下は力を制御するのに、十年以上を費やしました」

「十年?」

「幼少期から、毎日、魔力を絞る訓練を。暴走すれば自らの肉が裂ける。何度も死にかけました」


なるほど。

つまり今の俺は、安全装置のない核弾頭を素手で持っているようなものだ。

俺の手元には大陸最強の力がある。だが引き金を引けば自分が死ぬ。

……まぁ、いつもと同じだ。


外交の現場に、制約のない状況など一度もなかった。予算がない。時間がない。情報が足りない。権限がない。そんな状況で二十年、やってきた。

使えない武器があるというのは、制約の一つに過ぎない。


「つまり俺は」


俺は立ち上がった。

膝が笑っている。壁に手をついて、それでも立つ。


「最強の武器を持ちながら、引き金を引けば自分が死ぬ状態ってわけだ」


「なら、使わない」

「少なくとも、今はな」

「……それは」


その瞬間、玉座の間の扉が激しく叩かれた。


「陛下! 緊急です!」


リリアが振り返る。


「ガルド将軍からの伝令でしょう」

「通せ」


血まみれの魔族兵がよろめきながら入ってきた。

膝が震えている。大きな傷がある。走り続けてぎりぎりの体だ。


「フォートレス・ブラッド砦に勇者が単騎で突入!

ガルド様が必死に食い止めていますが……もって半日です!」


窓の外、北の空に淡い光の柱が立っていた。

俺はそれを見た。

あの光の向こうに、兵士がいる。民がいる。

前の魔王が守ろうとして、守り切れなかったものがある。

その男は自分の魂を賭けて、俺を呼んだ。


(わかった)


「ガルドに伝えろ。全力で守れとは言わない。時間を稼げ。半日でも、一日でも」


兵が頷き、走り出す。


「俺が次の手を考える」


部屋に沈黙が戻った。

リリアが俺を見ている。


「……陛下は、本当に前の陛下ではないのですね」


俺は答えなかった。

前の魔王は力を持ちながら、力で世界を変えられなかった。

俺は力を持てないまま、言葉で世界を変えなければならない。

まぁ、いつもと同じじゃないか。

北の空の光柱を見ながら、俺は静かに思った。

手持ちのカードを把握する。相手の欲望を読む。動かせる駒を探す。

そして今度は——感情も、全部読む。


「リリア」

「はい」

「俺を補佐する気はあるか。打算で構わない」


彼女はわずかに目を細めた。

それから、静かに頭を下げた。


「——承知しました、陛下」


その声に、かすかな温度があった。

それだけで——十分だと思った。


まず、動く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
前の魔王とは別の方法で、器の過去を知らなくても、自分の方法で挑もうとする主人公の姿がかっこいいですね……。 これからの活躍に期待です!
外交官が転生という設定がまず新鮮に感じました。その上で転生先は八方塞がりにも思える状況。これをどう切り抜けていくのかが楽しみで仕方ありません。 続きもゆっくり読んでいこうと思います。応援しています。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ