変節の親心
突如現れた聖霊ネネイとの会見を終えた数日後、シェキーナの前にはセンテニオ親娘が神妙に跪いていた。
回復の報告を受けるシェキーナだったが、その席では思わぬ言葉を聞く事となる。
本来ならばあり得ない、統率された魔物の襲来と言う事件もあって、シェキーナたちの進発は予定よりも遅れる事になった。
センテニオ領主であるバデラスの負傷と言う理由もあるのだが、何よりもその治療により昏睡してしまったイラージュの回復を待つ事になったからだ。
無論、遅れる旨は次に向かう領主の元へ連絡を送っており、その領主にはさらに次へ向かう予定の領主へと連絡するように伝えてある。
眠り続けていたイラージュだが、3日後には目を覚ました。しかし大事を取り、出発はそれから更に2日後とする事が決まった。
翌日の出発を前に、シェキーナはバデラスとイラージュから回復報告を受けていた。
「シェキーナ様。大切な巡歴の最中、些事にお手を煩わせてしまった事は、このバデラス痛恨の極み。どのように深謝すれば罪を贖えるのか、この非才の身では考えにも及びません。何卒、どのような罰でもお与え下さい」
シェキーナを前にして跪き、深々と頭を下げるバデラスの口上は、これまでよりも更に堅苦しく回りくどい。
本人は真剣に恐縮しているのだろうが、そんな彼を前に聞いていたシェキーナにしてみれば呆れるを通り越して、何だか笑いが込み上げてくるほどの態度でもあった。
「……良い。この度の事は気にする必要などない。事件が起こった事は不運であったであろうが、そのお陰で私たちの道中にて注意すべき点が浮き彫りとなった。結果としては、この件を調べる事は必要であったのだから、お前が気に病む必要などない」
バデラスへ返答したシェキーナは、その顔に笑みを浮かべていた。もっともそれは彼女の心情を表したものでは無く、支配者としての艶然とした優しい笑みであった。それを受けて、バデラスもまたどこか気の緩んだ表情をしていた。
バデラスの性格上、事件が起こった事よりも、その件で負傷し、更にはその治療でイラージュも昏睡し、結果として一行を足止めする事になった事実を気に病んでいるだろうと考えたシェキーナは、そういった言い回しや態度でバデラスに罪が無き事を告げたのだった。
そしてバデラスもまた、そんなシェキーナの気遣いを察したのだろう。
「……有難き幸せ」
短く言葉を発し、更に深々と頭を下げたのだった。
謁見して陳謝するだけであれば、この話はこれで終わりとなるだろうが、本題はこれからである。この会合は本来、目の前の2人の状態を確認する為のものなのだから。
「して、バデラスよ。怪我の容態は如何か?」
「……はっ! お心遣い、感謝いたします。この度の失態により負いました手傷は、ここに控えております愚女の献身により、すっかりと回復してございます」
バデラスの状態が健康である事は、彼から聞くまでもなく周知の事実だった。イラージュの能力はそういった効果のあるものであり、彼女がその異能を発揮すれば、バデラスの負った傷が快癒する事に疑いはなかったからだ。
「そうか。それは何よりだったな。……では、イラージュよ。そなたの状態は如何なのかな?」
バデラスへと話しかけるよりも幾分優しい口調で、シェキーナはイラージュへと質問した。だが、これも聞くまでもない事なのはシェキーナも、そしてイラージュも心得ていた。
「……はい、シェキーナ様。十分に休息を頂きましたので、わたくしの体調も万全に回復してございます」
「……そうか」
それでもイラージュは、そのような素振りなど感じさせる事無く、シェキーナへと丁寧に返答した。この場は問答をする為に設けられた時間であり、シェキーナもイラージュもそれを確りと理解してのやり取りだった。
大怪我を負い生死の境を彷徨ったバデラスを救ったのは、イラージュだけが使える|特殊能力《
スキル》「治療」によるものだ。これは術者であるイラージュが、被術者であるバデラスの心身に受けた怪我による負荷を請け負うと言うものだった。
負傷した事による肉体的負荷である痛みや苦痛、それに伴う心身的負荷である凄愴や惨痛を瞬時に自身が請け負う事で、対象者の負っているあらゆる〝痛み〟を取り除き、現在の負傷を無かった事にする。それによって肉体も元通りの状態であると認識し、イラージュの生命力を得る事により一瞬で復元する。これが、大賢者メルルよりシェキーナが聞き及んだ「治癒」の概要だった。
その詳しい内容はメルルしか知らず、今はもう彼女もいない。アエッタが受け継いだ「知識の宝珠」が真価を発揮すれば判明するのだろうが、残念ながら未だにその兆しは見せていなかったのだった。
謎の多い術式ではあるが、それでもアエッタたちは「治癒」をより安全に使用する為、知識の宝珠を活用してスキル「俱発」を編み出し実用にこぎつけた。これは「治癒」を使うイラージュが、自身に回復魔法を同時発動させると言うものであり、これによりイラージュの受ける負担をかなり軽減出来るようになったのだ。
下手をすれば、「治癒」により生命の危機も危ぶまれる場面であっても、高確率で回避出来るようになったのだった。これは、イラージュにとってかなり大きな効果である。今回もまた、それにより瀕死のバデラスを救う事が出来たのに間違いはない。
「……シェキーナ様」
「どうした、バデラス?」
「この度の一件で、私にも思うところがございまして、シェキーナ様にお聞きいただきたいと存じます」
相変わらず堅苦しい話しぶりのバデラスだが、その神妙な顔つきを見て、シェキーナもまた真面目に彼の話に耳を傾けた。
「……申せ」
「……はっ。このたび私は、実子であるイラージュに一命を救われました。しかも、これまで我らが然して重要視せず、それどころか卑下してきた回復魔法によってです」
「……そうだな」
実際にバデラスの身体を治癒したのはイラージュの技能であるのだが、この場でその事を指摘するのは無粋以外の何物でもないとシェキーナも心得ていた。
それにここまで話を聞けば、バデラスが何を告げようとしているのか、シェキーナには容易に想像が出来た。
それでもこれは、バデラスの決心であり宣誓である。彼女は口を挟む事無く、視線で話の続きを促した。
「魔族は、屈強な肉体と体力を持ち、高い回復力を有しております。多少の怪我ならすぐに治りますし、仮に片腕片足を失っても、戦闘力を落とす事なく戦う術を有した種族です」
次いでバデラスが口にしたのは、魔族ならば誰もが認識している話だった。今更説明をされなくとも、魔族でないシェキーナでさえ魔族の頑強さとしぶとさは良く知るところだったのだが。
「……ですが、そんな我らが回復魔法を用いれば、その強靭さに更なる力を与える事が出来ると痛感いたしました」
「……ほう。更なる力とな」
バデラスは何も、シェキーナに魔族の特徴を語ろうとしていたのではなかった。彼の前口上は、本題に入る前の布石だったのだ。
「……はっ。戦闘時に回復魔法を併用すれば、屈強な魔族ならばより長く戦線を維持する事が可能でしょう。それほど高い回復魔法の技術が無くとも、傷ついた魔族にその効果を発揮できれば、兵の損耗も限りなく抑える事が出来ると愚考いたしました」
バデラスの意見は、本当ならば改めて言われるまでもなく当たり前の話だった。しかし、魔族にとってはかなり変節と取られる内容だろう。
魔界には多種多様な特徴を持つ種族が存在するも、その大きな特性は概ね一致している。総じて魔族は、勇猛果敢を旨としているのだ。
前衛に特化した種族も、後衛を得意とする種族であっても、戦いとなれば退く事なく勇敢に立ち向かう。敵に背を向けるのは憶病であり、戦術にそのような手段は用いないと言うのが魔族の戦い方だった。
そんな思考では、回復の為に退避する、回復を期待した戦法を取るのは軟弱と曲解されても仕方が無いだろう。そして、多くの魔族がその様に認識していたのだ。
魔王に絶対の忠誠を誓い、代々多くの忠臣を魔王城へと輩出してきたセンテニオ家領主の言葉としては、先ほどのバデラスの発言は驚くべきものだった。
「父上……」
実際、隣に控えていたイラージュも絶句し、まじまじと父親の横顔を見つめていた。
「ふむ……。してバデラスよ。お主はそれでどうしようと考えておるのだ?」
回復魔法に対する考え方を改めたバデラスに対して、シェキーナは些か意地の悪い質問を投げかけたのだった。
彼の発言の趣旨を考えれば、そのような問いをせずとも考えは容易に想像できたであろう事は疑いないのだから。
それでもシェキーナは、敢えてバデラスにその発言をさせようと水を向けた。
「もしもシェキーナ様がお許し下さるのであれば、このセンテニオ領にて回復魔法の研究と履修を推進したいと考えております。……どうか、ご許可を頂けないでしょうか?」
そしてバデラスからの申し出は、シェキーナでも驚きを隠せないほどに随分と足を踏み込んだものだった。
バデラスの提案は、シェキーナにとっては喜ばしい内容であった。
だがそれは、今後の魔界のありようから、果ては勢力図に至るまで、様々なものを刷新してしまう懸念もはらんでいた。




