ネネイの忠言
この巡歴中に、シェキーナを狙う者が存在する。
その意見で一致を見た会議は終了し、それぞれその対策に取り掛かる。
そんな中で、シェキーナだけは自室へと戻り一息つくのだが。
今後の方針が論じられ、シェキーナの指示を受けて一同がその部屋を後にした。
その後は簡単な夕食会が催された。もっともそこに、この館の主であるバデラスやその娘であるイラージュ、ロハゴスを始めとした臣従騎士の面々は参加していない。
バデラスは一命を取り留めた……と言うよりも、イラージュの秘術のお陰で快癒したのだが、そのお陰で彼女が昏睡しており、その付き添いで傍を離れようとしなかったし、ロハゴスを始めとした臣従騎士の生き残りたちは皆重傷で動けないのが実情なのだ。
主催者のいない食事会ほど、居心地の悪いものはない。シェキーナ達も、簡素とは言わずとも華美ではない食事を早々に切り上げて、明日の為にそれぞれの部屋へと戻った。
もっともエルナーシャたちはムニミィとアエッタを交えて、今後の警備体制を打ち合わせる予定だった。故に、現在自由の身であるのはシェキーナのみであり、彼女はバデラスの用意した私室に1人引きこもっていた……のだが。
「随分と久しぶりじゃないか」
突如として出現したその人物に、シェキーナはとても友好的とは言えない表情と口調で問いかけた。
ただし、人物……ではない。人と同じ姿形をし、人に通じる言葉を使うのだが、人族でも魔族でもない。妖精や精霊でもない。……女神だった。
「うふふふ……。久しぶりねぇ、シェキーナァ?」
間延びした、どこか舌足らずな喋り口調と雰囲気からは、その容姿に関わらずどこか幼子のような印象を受ける。しかし実際は、全体的に成熟した体つきをしており、見る者が見れば清廉、だがある者から見れば妖艶と映る風貌をしていた。
夜目の利くシェキーナに、室内の灯りは必要ではない。魔法的に作られた真なる闇でもない限り、シェキーナはどのような暗闇であっても視野を確保できるのだ。故に、彼女の部屋には最低限の照明しかなく、一般的には暗いと言えるだろう。それでも、その女神の姿がハッキリと確認できるのは、彼女自身が淡く優しく神々しい光を発しているからだろう。
「相変わらず暗躍しているのか? ……ネネイ?」
「もおぅ、シェキーナったらぁ。以前のように、ネネイ様ぁって呼んでくれないのぉ? それにぃ、暗躍なんて酷いわぁ。私は必要な時に、必要な場所で、必要な人物に宣託を与えているだけよぉ」
冷めた瞳で聖霊ネネイを呼び捨てたシェキーナに、そんな事は気にしていない素振りで、それでも煽るような口ぶりで話すネネイは、どこかシェキーナの質問をはぐらかしているように見える。
「……抜かせ。それに、お前と私の関係は、もはや友好的とは言えないだろう。それで……何用だ?」
それまで冷たい視線を向けていたシェキーナなのだが、相変わらずのお道化ぶりを目の当たりにして脱力したのか、嘆息気味に改めて問いかける。彼女が出現する時には、必ず何か大きな事態が引き起こされるのは、これまでの経緯から十分に理解していたからだ。……もっとも。
「うぅん、私たちの仲じゃないのぉ。用がなきゃ、来ちゃいけないのかしらぁ?」
聖霊ネネイが素直に、まともな返答をするとはシェキーナも考えておらず、事実その通りだった。
ネネイの出現時には、必ず彼女にとって何かしらの目論見があって現れる。彼女の言葉そのままに、フラッと用もなくやって来て、会話を楽しんで帰ると言う事はまず有り得ないのだ。
そうであるにも拘らず、それでも勿体ぶり会話を楽しみ相手の反応を見る。ネネイの話しぶりは、シェキーナが勇者パーティの一員だった頃から今に至るまで、まるで変っていなかった。
「用がある時であっても、こちらの呼び掛けには応じないだろうに。自分の都合だけをこちらに押し付けられても困るな。私にも、予定と言うものがある」
聖霊ネネイの性格が、以前と寸毫も変わっていないのは確認できたのだが、それに対して好意的でいられるかと問われればその限りではない。そもそも、勇者エルスが死んだ遠因は、彼女にあるのは間違いが無いのだ。シェキーナが、友好的でいられる訳が無い。
シェキーナが口調に少しの不機嫌さを織り交ぜただけで、ネネイは本題を切り出してきた。
「もおぅ、シェキーナったらせっかちねぇ。でも……良いわ。……実はねぇ、今日はあなたに、忠告に来たのよぉ」
「……忠告だと?」
だが、ネネイの口から紡がれた意外な台詞を聞いて、シェキーナは怪訝な表情を浮かべて問い返していた。近年では驚く事が少なくなった彼女だが、ネネイの発言にはその限りではないと気付かされる。
「そぅ、忠告ぅ。今回の事件についてのねぇ」
シェキーナが興味を示した事で機嫌を直したのか、ネネイは妖艶な笑みを浮かべて勿体ぶった。
すぐに切り出さない態度は、他の者ならば焦れているところだろうが、シェキーナからはそのような風情が感じられない。泰然と、ネネイが次に発する言葉を待っている。
シェキーナにしてみれば、どのみちネネイは言わずにはいられないと言う事を察しているのだから、焦って聞き出す必要が無かったのだが、そんな態度がネネイには気に入らない。もっともネネイの方も、今のシェキーナがどのような性格に変容したのか気付いたようで、先ほどまでの揶揄うような態度は改めたようだ。
「今回の襲撃だけどぉ、これはあなたを狙った訳じゃないわねぇ。それはあなたの想像通りよぉ」
フワフワとシェキーナの眼前を舞いながら、ネネイは今回のバデラス襲撃の件について語りだした。芝居じみた演出で話す様は、以前より全く変わりがない。
「だけどぉ、最終的にはぁ、狙いはあなたになるのかしらねぇ?」
「……ほぅ」
ネネイの話で厄介なのは、肝心なところは勿論、その前段階からも内容を暈かし、相手を煙に巻こうとする点にある。真剣に耳を傾けている者や、何とか情報を欲している者にしてみれば苛立たしい限りなのだが、相手がシェキーナでは勝手が違うようだ。
最終的な目的がシェキーナ自身であると聞かされたにも関わらず、当の彼女には何の反応も見られず、それどころか僅かに口角を持ち上げていた。それは見ようによっては、どこか楽しそうな印象さえ受ける。
「随分と嫌われているのねぇ、シェキーナァ? ここから先ぃ、あなたは常に命を狙われ続けるのでしょうねぇ。しかも暗殺者だけじゃなくぅ、魔物の襲撃に装ったものにも気を付けないといけないわねぇ」
そんなシェキーナを何とかやり込めたいのか、それとも揶揄うのを諦めたのか。目を細めてシェキーナに顔を近づけたネネイは、それまでの柔和な表情ではなく、どこか意地の悪い顔で忠告した。ただ彼女の場合は、その台詞も心底相手を思っての事ではないのだが。
「……それで? 親切に黒幕を教えてくれるのかな?」
確かに忠告を受けているのだが、その計画を実行している人物や組織の明言は成されていない。シェキーナはそこを確認した。
「さぁ……? 私も知らないのぉ」
もっとも、ネネイから真実が語られるとはシェキーナも思っておらず、事実ネネイは白々しくシェキーナへと返答した。
「……そうか。ならば、もうここに用はない筈だが?」
だからシェキーナは、ネネイの言葉に動揺する事も無く、興味を失ったように表情を無くして告げた。実際、シェキーナにはこれまでの時間そのものが無為なものだったのだ。……何故なら。
「あらぁ? 随分とあっさりしているのねぇ?」
「まぁな。事実、誰がどのような策謀を用いても、私を害する事は出来ないだろう?」
わずかに口角を上げて、どこかネネイを馬鹿にするような表情を作ったシェキーナの台詞に、ここへきて初めてネネイの表情から色が消えた。
「……そう。でもあなたは平気でも、あなたの娘たちはその限りでは無いと思うけど?」
「それも、私には重要ではないな。生き残るかどうかはあの娘たちの力であって、私はその手助けをしているに過ぎないのだから」
口調も変わったネネイの最後の負け惜しみにも、シェキーナは動じなかった。唯一のアキレス腱とも言えるエルナーシャたちの事を持ち出されても、シェキーナに動揺は見られなかったのだ。
さすがにこれには、ネネイの方が悔しそうな顔を見せたのだが、それも一瞬にも満たない時間だった。
「……あらぁ、そうなのぉ? 存外非情なのねぇ。……まぁ、忠告はしたからねぇ」
そこでネネイは完全に興味を失ったのか、くるりとシェキーナに背を向けて彼女からゆっくりと離れた。もしくは、目論見が外されて悔しがっているのかも知れない。
「そんな必要もないのだが、一応感謝だけはしておこう」
全く心の籠らない声音で、シェキーナはそれだけを告げた。それに対して、ネネイからは何の反応もない。……そして。
「あぁ、それからぁ。あなたを何とかしたいと思っているのは、1つや2つの思惑じゃあないわよぉ。これから幾つもぉ、あなたには苦難が襲うでしょうねぇ。……それともぉ、あなたの娘たちにかしらぁ?」
シェキーナに背を向けたまま、いつものお道化た口調なれど、どこか興味を無くしている無機質な声音で、ネネイは追加の忠告を口にした。そしてネネイは、返事を待つ事も無くそのままその場から消え失せたのだった。それはまるで、その場に溶け込む様であった。
狙いがシェキーナだけであったのなら、ここまでのネネイの話は先の会議で結論付けられている。だが、対象がエルナーシャたちにまで及ぶのには想像が及んでいなかったのも確かだった。そういう意味では、ネネイの忠告は有益だったと言えるだろう。
「……エルナたちには改めて注意喚起と、警備体制の強化を指示しておくか」
ネネイが完全にこの場からいなくなってしばらくの後、シェキーナはそれだけをポツリと口にしたのだった。
ネネイの言は、シェキーナだけではなくエルナーシャたちをも狙っていると言う忠告だった。
しかも今回の事件を画策した者たちだけではなく、幾つもの思惑が入り混じっているとの示唆も受けている。
今後の巡覧を視野に入れ、シェキーナは周囲に一層の注意喚起をすることを決めたのだった。




