将来への布石
バデラスから齎された提案は、それまでの魔族の考えを大きく変節させるものであった。
シェキーナに取っては好ましいものだが、バデラスの真意を図りかねる彼女は、そのままバデラスとの問答を続けるのだった。
バデラスからの提案は、普段より冷静沈着を体現しているシェキーナであっても驚きを露とするものだった。
「……回復魔法を使える者を集め徴用するだけでなく、この地にて育成や教育も行おうと言うのか?」
シェキーナにすると、バデラスの考えがイラージュの事を認める程度には、ある程度柔軟になったと思っていた。だが彼の思考は、そんなシェキーナの想像を超えていたのだ。……突飛と言っても良いのだが。
「……はっ。お許しを頂けるのであれば」
確認を取ったシェキーナに対し、バデラスは明瞭な声音で返答した。そこには、一切の逡巡を感じ取らせないものが含まれている。
「……ふむ。多くの優秀な人材が集うこのセンテニオ領にて、これまで然して重要視されていなかった回復魔法を、率先して取り扱う事には十分な意義がある。私としては、大いに歓迎したいところだが」
あえて口を濁したシェキーナは、バデラスの真意を確認する為に水を向けた。そして、それを察したバデラスが、隠す事無く語りだした。
「魔族にとって、戦いで傷つき倒れる事は誉れ。逆に、無様に生き永らえる事は恥とされております。その考えは、無論私めも有しております」
回復魔法が徴用されないのは、何も魔族の強靭さだけが理由ではない。部族によっては、戦いで受けた傷を癒す事を良しとしない考えもあるのだ。そしてそれは、決して少数意見ではなかった。
「ですが、真に我らにとって重要なのは、己の矜持ではございません! 本当に求められるのは、魔王様の僕として最後まで戦い続ける事です! その前には、細やかな体面など取るに足りません!」
先ほどよりも熱弁を講じるバデラスは、シェキーナへとその熱意を向けているようでもあり、自分に対しても言い聞かせているようでもあった。それをシェキーナは、口を挟む事無く聞き続けていた。それには理由があり。
「……それに」
バデラスの本心が、先ほどまでの話とはまた別の所にあると察したからだった。
無論、ここまでの説明の中に、バデラスがシェキーナを謀ろうと言う意思は感じられない。これまでの話もまた、バデラスの真意に違いない。
それを示すように、バデラスは言いにくいと言う表情を浮かべつつも、話を切ろうとはしなかったのだった。
「隣に控える愚女のように、怪我人が出る度に命懸けで治療をしていたのでは、戦いで死ぬのが戦士ではなく回復魔法の使い手となってしまいます」
突然やり玉に挙げられたイラージュは、言葉にならない声を上げて顔を上げ、そのまま絶句してしまった。それでも、バデラスの言は止まらない。
「それでは、本末転倒も甚だしく。回復魔法の使い手を増やし、1人当たりの負担を軽減する。複数の回復役を作戦に随行させて、負傷者を即座に回復させる、または回復魔法の質を向上させて、重傷を即座に回復できる。回復魔法の有用性を浸透させる為には、早急にそれらの案を実用させる必要がございます」
理路整然にスラスラと語り終えたバデラスであったが、初めにイラージュへと辛辣な言葉を並べた点や、その後に唱えた回復魔法の運用を考えても、彼の娘に対しての心情が変化している事は明らかであり、シェキーナは容易にその事を察した。
結局のところ、バデラスも1人の父親であり、イラージュの事が心配なのだ。それに加えて、今回自分の命を救ってくれた事に感謝してもいる。それを素直に言い表せないものだから、先ほどの様な言い回しとなったのだった。
「なっ……! ち……父上っ!」
もっとも、そのような父親の心情を計り知れない娘にしてみれば、先ほどのバデラスの話は、まるで自分の事を馬鹿にされているように感じても仕方がない。
「控えよ、この愚女が。魔王様の御前であるぞ」
慌てふためいて言葉を発し、自分を鋭く睨め付けるイラージュに対し、バデラスは殊更に落ち着いた口調で窘めた。当たり前の話だが、如何にシェキーナが寛大だといっていても、魔王を目の前にして親子喧嘩など不敬も甚だしい。……のだが。
「いいえ、今の言葉は聞き捨てなりませんっ! 私の必死の治療を、まるで否定するかの如き言動っ! それではまるで、メルル様をも否定しているようではありませんかっ!」
「誰もそのような事は言うておらん。お前の技術は確かに高い効果を発揮するが、その度に行動不能となっては意味が無かろう。故に、回復役を増やす手立てを……」
「意味があろうとなかろうと……いえ、意味ならありますっ! この技術を私に与え、私と言う存在に利用価値を与えて下さったメルル様の尊さを広く知らしめる為に……」
「この馬鹿娘がっ! お前が1人で頑張ろうとも、メルル様の崇高さを世に知らしめる事など出来んっ! それよりも、お前が引き継いだその能力を以てして、お前自身が伝え広めるようにしなければ……っ!」
「いいえっ! 私の技能にて、きっと感銘を受ける者が出てきますっ! その者たちが、きっと私の技能やメルル様の齎す技術を……っ!」
「……その辺にしておけ」
自重していたバデラスであったが、イラージュに乗せられる形で語気が荒くなり、結局は親娘喧嘩の様相を呈してきた。それどころか、話が脱線していくのを感じ取ったシェキーナが、静かに2人の間に口を挟んだ。
「……はっ⁉ こ……これは失礼をっ!」
「も……申し訳ありません、シェキーナ様……」
僅か一言であっても、底冷えする声音に冷艶とした表情を湛えたシェキーナに、バデラスとイラージュは即座に落ち着きを取り戻して恐縮した。
「イラージュ。メルルを敬うのは構わないが、それが過ぎると信仰となり、延いては他者への強要や、それに伴う批判や弾圧になりかねん。そんな事は、メルルの望むものでは無いだろう。ほどほどに控えよ」
イラージュやアエッタがメルルに返しきれない恩を抱え、その結果としてメルルを神の如き存在だと認識するのは仕方がない。例えシェキーナがそれを厳しく律したとしても、その心境に変化を与える事は難しいだろう。
しかし、ではそれを見過ごしても良いかと言われれば、そんな話でもない。これまではアエッタやイラージュの、個人的な感情として微笑ましく見逃してはいたが、今後はその限りではないのだ。
「……分かりました」
答えるイラージュだが、その顔や声には到底納得のいったものは含まれていなかった。それどころか、些かの不満さえ含まれている。
(……厄介な)
盟友であるメルルを誉めそやされるのは、シェキーナとて悪い気はしない。それでも、その結果として弊害や綻びを生んでは元も子もないのだ。
それでも、それをこの場でイラージュに理解させるのは無理だろう。シェキーナはそう考えて、話の矛先をバデラスへと向けた。
「バデラスよ、頭は冷えたか? 冷静になったのならば、先ほどの話をセンテニオ領にて準備を進め、整い次第取り掛かるが良い。人員や設備の用意で要望があれば、私に言うが良いだろう。もっとも、今は巡歴の最中だ。魔王城のディナト老に相談するようにしろ」
「……ははっ! 有難き幸せっ!」
静まった場にて、シェキーナはバデラスに向けて、回復魔法の研究と運用の許可を与えた。これだけを見れば、魔王軍に対して新たな能力が加わり、益を齎す話ではあるのだが。
(……さて、アヴォー老はどう出るか。それに、他の者たちも思うところはあろう……)
魔界とて、一枚岩ではない。それは、魔王城内も同様だ。
今は絶対者のシェキーナに臣従しているが、彼女がいなくなればその限りではない。特にアヴォー老率いるディナト一族は、シェキーナが不在となればすぐにでも頭角を現すだろうくらいの話は、彼女でなくとも思いつく事だ。
ディナト一族だけではない。シェキーナの資質や魅力、何よりもその強大な力に心酔している者たちも、その裏でなにを思っているのかは不明なのだ。エルナーシャの治世に、彼女へと忠誠を誓い熱心に協力してくれるとも限らない。
そんな中で、センテニオ一族が力を得ると言う話を、愉快に思う輩ばかりではない。シェキーナはそれを思い、わずかに思い悩むのだが。
(……まぁそれも、新しい世代が対処するべき案件か)
可能であれば、シェキーナが在籍中に問題点を全て浮き彫りとし、解決したいと考えているのに偽りはない。だが、それが不可能であるという事も、彼女は十分に理解していたのだった。
こうして、センテニオ領での一連の事件は終幕した。完全に解決した訳では無かったが、それでも問題の1つは浮かび上がり、備える機会を得たのだ。
シェキーナはその場を締めくくると、翌日にはこの地を発つ事を明言して退室したのだった。
バデラスとイラージュの、勘違いとも取れる確執はすぐには埋まりそうになかった。
そして新たに浮き彫りとなった、強すぎるメルルへの信頼による弊害。
幾つかの問題が浮き彫りとなったが、それ以上の成果を実感して、シェキーナは次の地へと向かうのだった。




