52 永遠の旅路(3)
実朝と京からやって来た公卿、文官達とわずかな供しかいない静まり返った空間。
そこに、若い男と数人の僧兵たちが突然押し寄せてきた。
「おのおの方、早く逃げられよ!」
異変を察知した実朝は、そう叫んで、武家の棟梁らしく、毅然としたまま、恐怖で震える殿上人達を先に逃がした。
白い頭巾をかぶった若い男が、実朝に刃を向けて攻撃してきた。
実朝は、それを持っていた笏で防ぎながら、文官らしき男を目で追い、「そなたも逃げよ!仲章!」と叫んだ。
源仲章らしき男は、一瞬の隙をつかれて、僧兵に斬られた。
実朝に太刀で向かって来た若い賊の男は、仲章の顔を確認した後、「しまった!義時ではなかったか!」と叫んだ。
その声に、実朝は聞き覚えがあった。甥の公暁だった。
「お前らは、我が父の仇だ!」
狂ったように叫んで歪んだ顔を向ける甥を見て、実朝は全てを理解した。
心を閉ざしてしまった甥の様子を義村から聞いていた実朝は、いつかこんな日がくるかもしれないと心のどこかで感じていた。
父頼朝を始めとして慈愛に満ちた大人たちに囲まれ、成長してからも、辛く悲しいことの連続であったが、妻倫子を始め多くの者に支えられて生きて来れた自分とは違い、この子は本当に一人ぼっちだったのだ。
皆にはすまないと思うが、この子の怒りの刃をそのまま受け止めてやる。それだけが、きっと今の自分が寂しいこの子にしてやれる唯一のことなのだ。実朝はそう思った。
「ととさま!ととさま!」
必死に泣いて父を求める幼い善哉に、父頼家は冷たく言い放つ。
「お前のような軟弱者は、我が子にあらず!とっとと朽ち果てて死んでしまえ!」
公暁の脳裏に、父頼家の声が繰り返し聞こえてくる。
公暁は、叔父に向かって再び刃を向けた。
歳の変わらぬ若い叔父は、雪の中で綻ぶ紅梅のように静かに優しく笑い、今度は抵抗することなく、公暁の刃をそのまま受け止めた。
実朝が懐にしまっていた、愛する妻から預かった紫水晶の数珠が切れて、パラパラと白い雪の上に零れ落ちていく。
実朝は、甥を抱きしめるかのように、両の手を広げて、最期の言葉を吐いた。
「善哉、お前はよい子だ」
それは、公暁がとうに捨てたはずの名だった。
「ああ!!」
絶叫した公暁は、叔父の首を掻き切った。
やっと、本当の仏の首を手に入れた、これで自分は解放される。
そう思った公暁は、実朝の首を頬ずりして抱きしめながら、大音声で叫んだ。
「源頼家が遺児、阿闍梨公暁。親の仇を取った!ただいまから、我こそが大将軍なり!」
寒さで震える義時に、飛梅は毛皮で覆われた体をくっつけるようにして寄り添っていた。
「忠犬殿は温かいな」
義時と飛梅は、共に主人の帰りを待っていた。
どれくらいの時間がたったであろうか。
一面の雪景色の中、人間の耳には聞こえぬであろう不穏な音を飛梅は耳にした。
それは、遠くから聞こえるキーンという金属音と若い男の叫び声だった。
「どこへ行くのだ!」という義時の声を無視して、飛梅は、突然走り出して、主人が向かった先に一目散にかけていった。
飛梅が見たのは、首のない主人の遺体だった。
血の匂いを嗅いで主人であることを確認した飛梅は、クーンと主人に甘えるような声でないてみたが、主人は何も答えてくれない。
飛梅の主人を殺害した犯人はもうその場にはいなかった。
飛梅は、大声で吠えたてながら、中門の方へ走って行った。
義時のもとへかけて行った飛梅は、怒りを隠せぬように吠え続けた。や
やがて、義時のもとに、将軍が公暁に討たれ、公暁とその手下らが逃亡してその場を立ち去った旨の報告がもたらされた。
頭が真っ白になり、放心状態の義時は、目の前で何が起こったのか全く理解できないままだった。義時がはっきりと理解できたのは、異常なほどに吠えたてて何かを伝えようとする犬の声だけだった。
「父上!父上!」
泰時が、義時の体を強くゆすぶっても、義時は、焦点の揃わぬ両目で空の闇をぼんやりと見つめて何の反応も示そうとしない。泰時は、父に代わって、逃亡した公暁一味を追うようにとの指示を飛ばした。
義時は、いつの間にか自分の屋敷に戻っていたが、どうやってここまで戻って来たのかまるで記憶がなかった。
左大将の直衣始めの儀での失態と息子の暴行事件の責任を取って、このたびの儀式の参列を遠慮して自分の屋敷にとどまっていた三浦義村のもとに、突然公暁の使者だと名乗る僧兵が、公暁が将軍を討ったことと、公暁が東国の大将軍であるから、三浦はそれに従うようにと言って来た。
義村は、我が耳を疑った。心を閉ざし、精神状態が不安定だった養い子が、まさか本当にこのような恐ろしいことをしでかしてしまったというのか。
(嘘だろう!嘘に違いない!)
そう思った義村は、公暁の使者だという僧兵をその場で直ちに切り捨てた。
同時に、切り捨てた僧兵の言ったことが本当だったらどうするのか。義村は、もたらされた報告が嘘であってほしいと願いながら、北条義時の屋敷に使いを出した。
義時は、自分の屋敷に戻っても、相変わらずぼんやりと虚空を見つめているだけだった。衝撃が大きすぎて、現実を受け入れるのを心が拒否しているに違いなかった。
やがて、義時の屋敷に三浦義村からの報告がもたらされた。
使者を寄越した主人の動揺そのままに、三浦の使者もまた相当動揺していた。
思考が止まった義時は、一言も発せない状態のままだった。
やっとのことで、何か重大事が起こったらしいと認識した義時は、ぽつりと言った。
「御所様にお伝えしなければ」
「父上!父上!しっかりしてください!その御所様が、謀反人公暁に討たれて亡くなられたのです!」
義時は、息子が何を言っているのか分からないと言った表情をしていたが、やがて、暗闇の空を見上げて泣き叫んだ。
「儂が御所様を殺したようなものだ!あの方は、儂の罪をすべて一人で背負って逝かれてしまった!」
目を真っ赤にして涙を堪えている泰時は、気力を振り絞って父に言った。
「父上、今は泣いている場合ではありません。謀反人公暁を討つように、直ちに三浦に指示を出されますよう!」
義時は、ぎゅっと固く目を閉じて開けた後、意を決したように、謀反人公暁を討つべしとの命を発した。
三浦に送った使者がなかなか戻ってこないことに痺れを切らした公暁は、実朝の首を抱えたまま、少数の僧兵を従えて、三浦の屋敷に向かった。
その途中で、義村の兵が公暁らを出迎えた。
三浦の追手を全力で蹴散らした公暁だったが、多勢に無勢だった。
「御所様は、あなた様の叔父君は、皆の希望だった!そのお方を討った謀反人に、まことに皆が従うと思われたのですか!若君!」
耐えられないといった悲痛の表情で養い子に問いかける義村に対し、公暁は叫んだ。
「俺は、叔父上とは違っていつもずっと一人だった!叔父上のようになりたくてもなれぬのに、叔父上のような立派な人間になれと言われ続けた俺にとって、それがどれだけ苦しいものだったか。お前には決して分かるまい!壊れた俺には、こうすることしかできなかった!」
義村は、養い子のことを何一つ分かっていなかったことを心から悔いた。
せめて、最期は自分がと思った義村は、「若君、御免!」そう言って、公暁を自ら討とうとしたが、どうしてもできなかった。
その様子を見た公暁は、狂ったように笑いながら、「俺こそが、将軍、源実朝だ!」そういって、公暁を押さえつけていた義村の家来たちを渾身の力で押しのけて、再び反撃を開始し始めた。
「情に流されますな!三浦殿!」
公暁は、そう叫んだ長尾定景によって討たれた。義村は、公暁の討たれた首を抱きしめ、長い間泣き続けた。




