51 永遠の旅路(2)
右大臣拝賀の日の当日。
実朝と倫子は、御所の庭で、降りしきる雪の中で咲き誇る梅の花を共に眺めていた。
倫子がそっと紫水晶の数珠を懐から取り出した。
「綺麗だ」
そう言って、実朝は、紫水晶の数珠ごと妻の手を握りしめ、うっとりとしたような表情を向けたまま、妻に口付けた。
「それなら、とりかえっこしましょう」
倫子が微笑んで実朝に言葉を返すと、実朝もまた懐から翡翠の数珠を取り出した。
「帰ったら、またとりかえっこだ」
実朝は笑って、さっきよりも深く妻の唇を吸った。
そこへ、実朝の愛犬飛梅がやってきて、自分を除け者にしたことに抗議するように吠えたてた。実朝は、飛梅に笑いながら語りかけた。
「焼き餅を焼いたって駄目だよ。お前は今日は留守番」
「まあ、御所様。そんな意地悪をおっしゃっては、飛梅が可愛そうですわ」
そうだ、そうだと倫子に同調するように、飛梅はますます吠えたてた。
暗闇の銀世界の中、あちこちに松明が掲げられていて、鶴岡八幡宮の中は何とも神々しい雰囲気があふれていた。
「このように、目が弱くなって、立派な右大臣様のお姿を目にすることができないとは」
老臣大江広元は、若い将軍の晴れの日に感激して涙を流していた。
「赤ん坊の時以来泣いたことがないと言われる大官令の涙を拝める日が来ようとは」
茶化すような実朝の言葉に、広元は、ますます涙を流して言った。
「きっと、素晴らしく立派なお姿なのでしょうな」
「それはもう。我ら自慢の鎌倉の右大臣様ですから!」
義時は、いつになく誇らしげな顔で答えた。
鶴岡八幡宮の中門にたどり着いた頃、急に義時の顔色が悪くなったのに実朝は気づいた。
「いかがした、叔父御」
心配そうに声をかける実朝に、義時は、面目なさそうな顔で答えた。
「この寒さで冷えたのと、大事な儀式で失敗でもしたらと緊張したせいか、ちと腹具合が悪くなってしまって、震えがとまりませんわい」
「それはいかんな」
実朝が心配して叔父のそばへ駆け寄ろうとしたところ。
「ワンワン!!」
雪の中を飛梅が、大声で吠えながら走って来た。
「飛梅。お前、こんなところまでついてきていたのか!」
実朝は呆れたように言った。
周り一面雪景色の中、白い犬が一匹行列の後を追いかけてきたとしても、保護色に隠れて誰も気づかなかったか、気づいたとしてもそれほどたいして気にとめるほどのことでもないと思ったのだろう。
「忠犬殿も、ご立派な右大臣様のお姿をこの目に焼き付けておきたいのでしょう」
義時は目を細めながら言った。
なおも、寒さでぶるぶると震えながらしぶり腹をさすって堪えている義時を実朝はさらに気遣いように言った。
「今夜は特に冷える。ここは仲章に代わってもらった方がよかろう」
「大事な時に、本当に申し訳ございません、御所様」
恐縮しながら言葉を返す義時に対し、実朝は首を軽く横に振って明るく笑った。
「留守番だと言ったのに、仕方ない子だね。お前もここで、しばらく待っていなさい、飛梅。叔父後も、それではな。行って参る」
それが、若い甥と義時とが交わした最期の言葉となる。実朝は、闇夜の銀世界を先に進んで行った。




