50 永遠の旅路(1)
建保七年、西暦一二一九年。
年が明け、実朝と御台所倫子は、手をつないで、御所の庭の梅林を散策していた。
まだ、ようやくぽつぽつと花を咲かせ始めた木がほとんどであったが、それでも新しい春の訪れが感じられた。
「御覧になって、御所様」
倫子は、梅の木の下でじゃれ合っている愛犬の飛梅と久米を見つけていった。
「ふふ。あちらも仲良しだ」
実朝も微笑み返して言った。
飛梅と久米は、夫婦となって、白雲、白珠、白露、白波、白雪といういずれも飛梅譲りの真っ白な子犬をもうけていた。
「御所様にお願いして一匹いただこうかな」
時房は、子犬達とたわむれながらのんびりと言った。
「儂は白雪にしようかな。久米に似て一等の別嬪じゃ」
「父上、それは白珠です。というか、全員雄ですから」
「違うぞ、太郎、それは白露だ、憂いがちで儚げな風情をしているだろう?白珠の方はもう少し瞳が大きいこっちだ。白雪は、雪玉のように少しふっくらしている。白雲は、やや目つきが細い感じがたなびく雲のように見える。白波は、やや上がり目で、よく見ると額の辺りに波のような小さい筋がある。それぞれの特徴を踏まえてそれに合った名前を御所様がつけられたんだ」
「こんなにそっくりなのに、よく間違えませんね」
「儂も全然見分けがつかんぞ」
正確に指摘する時房に泰時と義時は唸るように言った。
穏やかな時間が流れている御所とは裏腹に、鶴岡八幡宮のある部屋の中では、暗雲が立ち込めていた。
薄暗い部屋の中、公暁は、確実に自分の駒となって動く屈強な体格をしたわずかな僧兵たちを前に、燃えたぎるような憎しみを瞳に浮かべて計画を練っていた。
右大臣拝賀の儀式が行われる鶴岡八幡宮は、同八幡宮の別当である公暁の管轄領域であり、己の庭のようなものだった。
前年の左大将の儀式の際に、一行がどのような行動をとったのかについての情報もすでに入手している。警備が手薄になる時間と場所も分かった。
仏に仕えることを余儀なくされた公暁は、大規模な独自の軍を持っておらず、叔父実朝のように命令一つで兵を集めるだけの力も人望もない。
事前の情報漏洩には細心の注意を図らなければならなかった。
めのと一族である三浦に事前に決起を促したとしても、実朝に忠誠を誓っている義村が公暁に従うはずがないことは分かり切っている。
側近の白川義典を伊勢神宮の奉幣使の名目で立たせ、ことが成就した時に備えて、西国の寺社の縁者と連絡を取る、公暁が打てる布石はせいぜいそれくらいだった。
極めて不安定な精神状態にある公暁は、もうどうにもならないところまで追い詰められていた。
公暁が決して手に入れることのできないものを持っている叔父実朝。
たとえ、公暁自身がすべてを失ったとしても、叔父のすべてを奪ってしまいたい。
右大臣拝賀という鎌倉でこれまでにない最も華やかで重要な儀式の最中に、叔父のすべてを壊して、人々を地獄に陥れる。
唯一それだけが、今の公暁にとって、己を開放して楽になれる方法だった。
右大臣拝賀の日の数日前。御台所倫子の兄、大納言坊門忠信が京から鎌倉にやって来た。
倫子が久方ぶりに兄と語り合った後。妻と寝所で二人きりになった実朝は、翡翠の数珠を手に持ったまま、妻を抱きしめて言った。
「御台は、京が恋しい?」
夫の問いに、倫子は少し考えてから答えた。
「生まれ故郷ですから、懐かしくないと言えば嘘になります。けど、今も、これからも、御所様がおられるところが、私のいる場所です」
実朝は、翡翠の数珠ごと妻の手を強く握りしめた。
「私が京に行ったのは、一度だけだ。それも、とても幼かったから、ほとんど覚えていない。今となっては、はっきりと覚えているのは、数珠をとりかえっこした小さな女の子だけだ。大御所になって、少し重荷を降ろすことができたなら、今度は御台と一緒に、もう一度京へ行ってみたいものだ」
倫子は夫の手を握り返して、微笑んだ。
「御所様と御一緒なら、私はどこへでもお供いたしますわ。九州だって、からの国だって、天竺だってついて参ります」
「ありがとう、御台。もう少し待っておくれ。そうしたらきっと……」
その夜、実朝はそのまま、愛する妻と二人、押し寄せてくる内なる波に流れを任せたまま、夢の国へとたどり着いた。




