第254話 神の使徒 VS 転生賢者 その四
意識が途絶えかけていた。
だが、その根底にある強靭な生存への意志だけは脈打っていた。
私は上体を起こし、背中に片腕を回し、後方にハンドシグナルを出した。
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遠くで戦闘中のリディアさんの絶叫が、夜空を裂いた。
「 ハルノ様ぁ!! 」
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ハルノの従者の耳障りな金切り声が響いたかと思うと、セルフィアの視界の端を、短い棒状の奇妙な物体が、ハルノと自分の近くに飛来してきた。
ゴッ! という鈍い音とともに、ゴロゴロと地を転がる。
――何だ? 異世界の魔道具か?
瞬間、双剣の連撃を止めた。
驚異的なナニカということは瞬時に理解できた。しかしその正体が何であるか、セルフィアの知識にはない。
――鉄製の棒? 何だコレは? 何のつもりだ??
完璧な魔道士であるセルフィアにとって知識の穴は許せない。その棒状の物体の正体を、一瞬だけこの目で確かめようとした。
その瞬間――
ドムンッ!! ビカァアアア!! ゴオオォン!!!
その瞬間に放たれたのは、空間を破裂させるような純粋な光と音の暴力だった。
防御は意味を成さない。閃光は脳の奥深くにまで突き刺さり、視神経を灼き尽くした。
「 ぐ、ぐああああああッ! 」
思わず剣を投げ捨て、両手で顔を覆いながら、視神経を刺激する激しい痛みにのたうち回った。
視界は真っ白から一転、完全な暗闇に沈む。
聴覚もほぼ麻痺し、自分の叫び声すら遠い。最強の魔道士であるセルフィアは、たった一つの異世界の道具によって、一瞬で膝から崩れた。
――ぐうぅっ、好奇心が仇となった! 閃光魔法の上位互換的な魔道具か?!
激痛に耐える間もなく、背中に、予期せぬ重みと拘束力を感じた。
それは数瞬前に完全に打ち砕き、地に伏せさせたはずの、使徒ハルノの肉体だった。
確かに骨折させた片腕が、異常なほどの執念を込めて自身を締め付けていた。
プスッ――
背中を抱きしめられたその刹那、首筋に軽微な、チクリとする痛みが走った。
皮膚の奥深くまで、細いナニカが侵入する感覚。そして冷たい液体が、自身の肉体の中へ音もなく広がり始めたのが分かった。
視力の回復よりも早く、首筋の微痛が脳内に警鐘を鳴り響かせる。顔面を覆う手の隙間から血走った両眼を向け、視覚が戻らないまま、背後の存在に純粋な恐怖を込めて問いかけた。
「 何を、した? 」
「 ・・・・・ 」
ハルノは答えない。当然のことだった。声を封じているのだから。
それを解っていながら、セルフィアは焦燥し、思わず問いかけてしまったのだ。
――まさか、ど、毒物か?! それ以外考えられない。まだ奥の手を残していたのか・・・
一時的に怒りや殺気は消え失せ、屈辱を伴う純粋な恐怖に支配され始めた。
セルフィアは枯渇しかけた魔力を、意思の力で根底からこそぎ取るようにして集め、『解毒魔法』の極短縮詠唱を開始した。
闇夜でこそ真価を発揮する――強烈な閃光魔法の魔道具で一時的に視界を奪い、その隙を衝いて毒を打ち込む。
見事な連携だ。
敵ながら天晴だ。神の使徒ハルノに対して――最後まで諦めない姿勢に賞賛を送りたいとさえ思った。
だが――、その完璧な連携も徒労に終わる!
ハルノが新たに魔法を発動できない以上、従者と精霊がどんな小細工をしようと、形勢逆転はあり得ない。
ハルノが死亡するまで、ゴーレムはそこまで積極的に攻めない。
ハルノが死亡すれば精霊も消えるのは道理。ゴーレムが全力で攻めに転じるのは、従者二人だけになってからでも遅くない。
絶対的自信を持ち、セルフィアは魔法を唱える。
「 全毒異常解除 」
セルフィアは喉奥から枯渇しかけた魔力の残滓を根こそぎ絞り出し、その確信に満ちた言葉を紡いだ。
!?!?
しかし、何も起こらない。
最強の解毒魔法が発動すれば、いかに異世界の毒とはいえ、瞬く間にその効果は中和され、身体機能は瞬時に回復するはずだった。
体内に巡るはずの温かく清浄な波動が、無音で消滅した。まるで、魔力の回路自体が見えない壁によって遮断されているかのように。自身の完璧な知識体系に対する絶対的な矛盾だった。
「 ――なっ・・・ 」
その混乱を嘲笑うかのように、首筋から侵入した毒液が、本格的に牙を剥いた。
まず、首を絞めるような異常な圧迫感が喉元を襲う。次いで、胸郭を制御するはずの筋肉が命令を無視し始めた。
ヒュッ、ヒュッ
夜気を吸い込もうと肺が必死に動くが、気管支が痙攣を起こし、空気は微量しか通らない。呼吸は一気に浅く、そして途切れ途切れになった。まるで水深の深い場所で溺れているかのような、激しい渇望が身体を内側から食い破っていく。
「 ぐぅ・・・は、ぁ・・・ 」
全身の筋力が急速に抜け落ちる。
ハルノの腕を締め付けていた力が緩み、セルフィアの体がグラリと傾いた。
邪属性魔法、完璧な剣術、膨大な魔力、不敗のプライド――そのすべてが、一本の毒針と、呼吸の停止という原始的な恐怖の前に急速に無力化されていく。
ドクン、ドクン!
鼓動が早鐘を打つ。血流に乗って毒が脳に到達するかもしれない。そうなると、意識は瞬く間に完全に溶けてしまうかもしれない。
「 ――くそ、なぜ、効か・・な、い・・っ 」
セルフィアは激しく咳き込み、地面に膝を打ち付けた。
視界は未だ回復しないまま、呼吸を失った恐怖で、その暗闇は赤黒い絶望に塗り替えられた。
この毒は単純な毒ではない。解毒魔法を無力化する、何らかの異世界の技術が組み込まれている。
屈辱が、恐怖に変わった。
このまま呼吸という最も原始的な衝動を奪われ、敗北し、死ぬのか?
完璧なる魔法剣士が、毒物によって無様に窒息死するのか――
セルフィアは身をねじり、最後に背中に貼り付いたハルノの冷たい革の装備に――震える指を伸ばした。
「 お、お前、本当、に・・かっ・はっ・・ 」
それは何かを求める問いのようでもあり、敗者が勝者に捧げる最後の認識だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
セルフィアの震える指は、私のライダースジャケットに触れることもなく虚空を掻いた。
そして、その体から一気に力が抜け落ちた。まるで張り詰めていた弦が突然断ち切られたように、全身の筋肉が緩み、私への拘束は消え失せた。
重みだけが残った。
私は、その硬直しかけた体をそっと地面に横たえた。
右手に携える――現代科学が創り出した『ナーヴキラーXX』は、静かに役目を終えている。ダブルライダースジャケットの内ポケットに忍ばせていた一本だった。
セルフィアは魔道を極め、剣術も極めた最強を欲する探究者だった。
その末路は、壮絶な魔法の相殺でも、剣の激突でもない。
窒息死だった。
私は、折れた左腕を庇いながら、すぐ傍に横たわるセルフィアの顔を見つめた。
視界が戻らないためか、両眼は大きく見開かれたまま、空を睨みつけている。
その眼球は閃光を浴びた影響で異常に開ききり、血走った充血が不気味に浮き出ていた。
口元はわずかに開き、最期の呼吸を求めた苦悶を、表情としてそのまま貼り付けたまま硬直している。
皮膚の色は、酸素欠乏の影響なのか――奇妙な紫がかった土気色に変色していた。
先ほどまであれほど研ぎ澄まされていたセルフィアの存在感は、今やただの物体となり、夜気の寒さに晒されていた。
一本の細い針で、この世界における「魔法剣士」という体系の絶対者が、呼吸という最も原始的な生命活動を止められ、無様に地に伏したのだ。
私は、自分の手首が折れていること、肋骨が数本イカれていることを再確認した。
「 勝った・・・ 」掠れた声が喉から漏れる。
声が出たということは、弱体魔法の効果が切れたということ。つまりは、セルフィアの死が確定したということだ。
勝利したという事実が肉体を突き動かす。
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私は折れた腕と内臓の激痛を無視し、意識を――離れた戦場へと向けた。
夜空を貫いていた赤黒い魔法の光は消え失せていた。
「 聖なる光球 」
光源を上空へ飛ばす。
リディアさんとバルモアさん、そして一体にまで減ったワルキューレは、いまだ巨体のゴーレム五体と激しい攻防を続けているのが見えた。バルモアさんの風属性魔法が、ゴーレムの無機質な巨体を押し戻すたびに、鈍い土煙が舞い上がっていた。
その光景が、一瞬にして停止した。
まるで、誰かが再生ボタンから手を放したかのように。
重厚な金属音、石と石が擦れる轟音、その全てが、まるで耳栓をしたかのように一瞬で遠ざかった。
五体のゴーレム――その巨体が、同時に電源を断たれたかのような奇妙な痙攣を起こした。
それまで宿っていたセルフィアの魔力による作為的な躍動感が、瞬時に失われたのだ。
まるで糸が切れた操り人形のように、その動作は乱れ、勢いを失い、ただの重い塊へと戻っていく。
ゴゴゴゴゴ、、、、ドォン!
最も近くで戦闘していた一体が、支えを失い、自らの重みに耐えきれずに崩壊した。分厚い岩石が、轟音とともに地面を叩く。
残りの四体も同様だった。魔法の命令系統が断たれ、巨体を維持する魔力の束縛から解放され、巨大な砂山が崩れるように静かに、しかし質量を伴って地面に散乱していった。
戦場に、突然の静寂が訪れる。
リディアさんは、ゴーレムの最後の腕を避けながら、目の前で起きた劇的な崩壊に、驚愕と安堵が混ざり合った表情を浮かべた。
しかしすぐに彼女らは、戦場の中央で膝をついている私の姿に気づき、悲鳴のような叫びを上げながら駆け寄ってきた。
生き残った瀕死のワルキューレも、主人である私の生存を確認するように、その不気味な瞳をこちらに向けていた。
「 全治療! 」
私は、喉奥から呻くように自分自身に向けて治癒魔法を唱えた。全身を貫く激痛が即座に遠のくのを感じ、私はゆっくりと――龍さんの死体へ歩み寄ったのだった。




