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小悪魔マユ  作者: 大橋むつお
85/118

85・期間限定の恋人・17

小悪魔マユ・85

『期間限定の恋人・17』    




 クロマキーの撮影はにぎやかだった。


 グリ-ン一色のスタジオで、宙づりになったりデングリガエシになったり。

 知井子などは、首以外にグリーンの上下を着せられ、一人で『コスモストルネード』を歌わされたりした。ラッシュを見ると、グリーンの世界で、自分の首だけが歌っているようで、なんともケッタイであったが、映像スタッフがPCのエンターキーを押すと、ティンカーベルの妖精のような姿になり、コスモス畑の真ん中で、メンバーに取り囲まれて歌っているように映っていた。


 黒羽と美優は、昨日ほどには恋人らしくなかった……というか、距離の取り方が自然で、最年長の服部八重などが見ていると、かえって自然な関係に見えた。


 クロマキーの撮影は、CGとの合成になるので、一見簡単そうだが、CGの画面と完全にシンクロさせることは意外にむつかしく、シーンによっては、テイク二十ぐらいいくものもあり、昼の休憩は午後の一時半を回ってしまった。

 控え室が狭いので、多くのメンバーやスタッフは、スタジオのそこここで、ロケ弁を食べている。


「ちょっと、美優ちゃん、いいかな」


 スタッフといっしょに衣装直しのチェックをしながらロケ弁を食べている美優に、黒羽が声をかけた。

「ちょっと待って、打ち合わせ終わって、お弁当食べたら……で、いい?」

「あ、ごめん。むろん、それでいいよ、そこの事務スペースで五分後」

「うん」

 今日の二人の何気なさは、それを仕事の打ち合わせと思わせ、服部八重でさえ、気がつかなかった。


「この子達の動きに合うようにするんですね」

 大石クララがCGの画面にくいいっていた。

「多少は、CGに手を加えて直せるけど、オモクロ対決には間に合わせろって、会長のお達しだから」

「みんな、がんばるんだぞー!」

「おおー!」

 クララが檄を飛ばすと、みんなが拳を突き上げた。突き上げた半数の拳には、まだお箸が握られていた。

 AKRの新曲発表には、みんな、並々ならぬ闘志が籠もっているようだ。


「もう、どこ行ったのよ?」


 事務スペースに、きっちり五分後にやってきた美優は言い出した黒羽がいないことに、口を尖らせた。

「やあ、ごめんごめん。みんなのテンションが高いんで、午後の分の打ち合わせにも熱が入ちゃって……これにサインとハンコくれる」

「うん」

 美優は、納品関係の書類だと思って、気楽にハンコを出した。

「……これは」


 書類の左上には「婚姻届」と記してあった……。


「英二さん……」

「異議あり?」

 美優はブンブン首を振った。

「じゃ、お気楽に……早く」

「フフ、これって一種の納品書ね」

「どっちが納品されるの?」

「英二さん。だって、先に名前が書いてあるから、わたしが受領者……ね」

「尻に敷かれそうだ……」

 美優は、ポーカーフェイスで署名捺印した。スタジオのみんなは気にも留めないか、仕事上の書類のやりとりであろうと思っていた。


 と、そこに一陣の風が吹いてきた。


 スタッフが、午後から使う送風機のテストをやったのだ。むろんみんなの邪魔にならないように、壁に向け、パワーも弱にしていたが、壁を伝った風が、その書類を吹き飛ばすのには十分な力があった。そして、その書類は、スタジオのセットの前に輪になっていたAKRのメンバーの真ん中に落ちてきた。


「なに、これ……?」


 知井子が、それを拾い、マユの体を借りている、拓美が気がついた。

「これ、婚姻届……じゃん!」

 拓美がマユの声で叫ぶと、メンバー全員が、磁石にくっつく釘のように集まり歓声を上げた。

「ウワー! キャー! ウソ! ヤダー! ガチ!」

 口々に年相応の短い感想を叫び、スタジオの隅で固まっている黒羽と美優にいっせいに目を向けた。


「親父、見えるか、これが……」


 黒羽は、美優とベッドの傍らに立ち、しわくちゃになった婚姻届をかざした。

「今日は、ほとんど意識が無いの……」

 妹の由美子がポツリと言った。

 黒羽の父の命は、美優同然、あと二日余りになっていた。美優はマユが電池代わりになっているので、まるで病人には見えなかったが、黒羽は末期ガンそのままで、意識もはっきりしない。


――お父さんの手を取って。


 マユは、美優の意識に働きかけた。美優が手を取ると、父はうっすらと目を開けた。マユがエネルギーの一部を父に送ったのだ。

「……ああ、来ていたのか」

「昨日は、仕事でこられなかったけど、今夜は……二人揃って来た」

「お義父さん。これ見てください」

「婚姻届……いいのかい、美優ちゃん……」

「だって……だから言ったでしょ。わたしは本当に英二さんと結婚するって」

「そうか……その指輪?」

「うん、親父が、お袋に送った指輪を作った、同じ店で」

「そうか……昨日は、ちがう指輪のように見えたが」

「ちゃんと、覚悟の程を、ちゃんとお義父さんに分かってもらうために、英二さん作り直してくれたんです」

「分かってくれたかい、親父?」

「ああ、美優ちゃん……このボンクラを、よろしく頼むよ」

「ボンクラはないだろう」

「ああ、すまん。英二にしちゃ、上出来だ。好きな女を清いまま……オレは、てっきり、お前のヤラセだと思っていた」

 美優の心臓は大きく高鳴り、顔が真っ赤になった。したがって使うエネルギーも増えたので、黒羽の父に送っていたエネルギーを遮断した。

「あ、眠っちゃった……きっと安心したのね」

 由美子も嬉しそうに父の手を握って、掛け布団の中に収めてやった。


 その夜、家にもどり、食事やあれこれをすませ、お風呂に入ったあと、美優はいったん自分の部屋に入った。

 そしてガウンを着て、黒羽の部屋の前に立った。そして……大きな深呼吸をしてドアをノックした。

「どうぞ」

 黒羽の声がした。

「え、英二さん……」

 声がかすれてしまった。

 美優は、自然な飛躍をするために、ゆっくりとドアの中に身を滑り込ませた……。


 マユは、美優の体の中で、三千二百万個目のガン細胞を殺しにかかるところであった……。


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