83・期間限定の恋人・15
小悪魔マユ・83
『期間限定の恋人・15』
その夜は、明日のスタジオ撮りの準備のため、黒羽は帰ってこなかった。
あらかじめ分かっていたことではあるけれども、美優はとても寂しかった。人生の一日一日がこんなに大事なものだと思ったのは初めてのことである。
美優は、黒羽の下宿部屋になった父の部屋で一晩過ごした。ドロシーのお下げを四回叩き『オーバーザレインボー』を繰り返し聞いた。
――四日で、虹の彼方にたどりつかなきゃ――
そう思っているうちに美優は眠りにおちてしまった。
「まあ、こんなところで寝てしまって……」
明け方になって気づいたマダムは、美優の手からドロシーの胸像をそっと取り、見かけよりも強い力で美優を抱き上げ、美優の部屋まで抱き上げて連れて行った。
「マダム……」
黒羽の声が聞こえたのは、美優を抱きかかえたまま、どうやって美優の部屋のドアを開けようかと苦心している最中だった。
「ボクが代わります」
黒羽は、ドアを開けてからマダムの手から美優を受け取り、ベッドに寝かしつけた。
「……可愛い寝顔だ。むかしのまんまだな」
「黒羽さん。あなたスタジオの方は?」
「あ、会長命令で、もどってきました」
「ミツルクンが?」
「あんまり、わたしが働きすぎると、若い者が育たんと言われました」
「そうね、その気持ちは分かるわ」
「マダムだって、美優ちゃんをそうやって育てて居るんでしょ。昨日のロケの衣装直しは、美優ちゃん一人に任せていたし」
「……黒羽さん、お疲れのところ悪いんだけど、少しいいかしら」
「え、ええ」
「この店は、わたし一代でおしまい」
「じゃ、美優ちゃんは……」
「東の空があかるくなってきた……この朝とも夜ともつかない時間は、墓場の死人でさえ、起きあがって真実を語る」
「シェ-クスピアですか?」
「わたしよ……シェ-クスピアらしく聞こえたら光栄だわ。こう見えても、若い頃は女優志望だったの。オタクの会長さんが、田中米造の本名でフォークやってたころの大昔の話」
「そうだったんですか、道理で魅力的な人だと思ってました」
「美優のことは、どう思ってるの?」
「そりゃあ、可愛い、チャーミングな子だと……」
「そんな営業用の言葉じゃなく、本当のところを聞かせて……!」
「マダム……」
「あなたのお父さんのために、かりそめの婚約者をやっているけど……美優は本気よ」
「それは……」
「もし、あなたに、その気がないなら、お父さんには悪いけど、もうおしまいにしてやって……あの子の命は、あと三日とちょっとしかないの」
「え……治ったんじゃないんですか?」
「薬……新薬なの。末期のガン患者を、その命の灯が消えるまで元気でいさせてくれる。だから、その瞬間まで、あの子の好きなようにやらせようって決心したの。好きなところに行って、好きなことやりなさいって、わたしのゴールドカード渡してあるの。でも、あの子は、病院から、ここに戻ってくるタクシー代に使っただけ。あとは自分の貯金。あの子全額下ろしてる。あの子には、あと三日とちょっとが一生の全て。だから、たとえお父さんのためでも、偽りの恋人なら、もう止してあげてちょうだい。あの子は見た目には昇る朝日だけど、もう日没寸前の夕陽なのよ」
昇り始めた朝日に照らされた黒羽は、しばらく言葉もなかった。
マユは、もう少しで二千万個目のガン細胞をやっつけるところだった……。




