二つの別れと残った言葉
翌日、寮の部屋に扉の下から滑り込んできた手紙を見て、心臓が飛び出そうになった。恐る恐る手に取り、ひっくり返して差出人を確認すると、ほっと息を吐いた。
『ヴァレンス・デ・ガーナム』
『会いたい。報告することがある。次の週末学院へ迎えに行く』
真っ暗な道に小さな明かりが灯ったような気がした。
週末の朝、学院の門の馬車溜まりに行くと、ガーナム家の馬車が止まっていた。扉の前に立つヴァレンスは騎士服姿。数ヶ月で腕も胸も逞しくなり、身長まで伸びたようだった。通りすがりの学生たちがチラチラと視線をよこす。ヴァレンスはハナを認めると、サッとエスコートの手を差し出した。
ヴァレンスがエステヴァンみたいになってる。
その手を見て、彼の顔まで視線を上げると、耳を赤くしたヴァレンスがそっぽを向いた。
「これでも騎士だからさ。こういうこともできなきゃなんないのさ」
その手を取って馬車に乗り込んだ。
「ハナ、元気がないな」
街のカフェに到着して、個室に落ち着いた最初の言葉だった。ヴァレンスが眉尻を下げてこちらを見ている。
「うん……みんながいないから、寂しいだけ」
腕輪を触る。すぐに顔を上げて微笑んだ。
「ヴァレンスがこんな素敵な場所に案内してくれるなんて意外。よく知っていたね」
ヴァレンスの耳に血が上り、口をへの字に曲げて首を振る。
「いや、違っ。同僚に聞いたんだ。女の子とゆっくり話せる場所ってどこかって。そしたらそいつが、デートならここがいいって教えてくれて。デートじゃないって言ったんだけどな」
「ふふ、デートじゃないんだ」
「ぐ、違うだろ!」
焦る様子がおかしくて、くつくつ笑うハナをヴァレンスが真剣な目で見つめた。
「ハナ。国境勤務になった。今月末には北へ向かう」
「えっ?」
「ボリステレスに動きがある。きな臭いとか。人員強化だと。俺、優秀だから選ばれちまって」
上がっていた頬が落ちてゆく。
「きな臭いって、戦争が起こるかもしれないってこと?」
「いや、いつもの小競り合いだ。それほど緊迫してるわけじゃない。隙を見せないように、だと思う」
「……」
ヴァレンスの手が伸びてきて、ハナの頭をポンポンと優しく叩いた。
「心配すんな。絶対死なないし、怪我もしない。……ハナに誓う」
「約束して。絶対危ない目に遭わないようにするって」
「約束する。大丈夫だ」
手をハナの頭に乗せたままヴァレンスは続けた。
「国境に行ったら可愛い村の女の子でも嫁さんにするかな。ハナに似た小柄で可愛い子がいるかもしれないだろ」
「それ、未来のお嫁さんに失礼!」
笑って、目尻に溜まった涙を誤魔化した。
帰りは寮に戻らず、ヴァロネス邸に送ってもらう。
週末を寮で過ごすよりはマーサと過ごす方が気が楽だった。マーサの笑顔に心がほぐれ、料理をしながらたわいのないおしゃべりをし、夕食を一緒に食べて自室に戻る。鞄から一枚の紙を取り出した。部屋に放り込まれた紙の中の一枚。どうしても気になったもの。
『エステヴァン様を婚約破棄に追い込み、最後に裏切った罪は深い』
あの日、全て破り捨てようとして手が止まった。何を言われているのか知りたい気持ちが勝って、一枚ずつ読んだ。ひどい悪口だったけれど、最初の衝撃は和らいでいた。
誘惑してないけど、みんなとべったりだったのは本当。敬語も使わない。成績は凡庸。攻略対象以外興味がないのも事実。王子妃に相応しくない。
なる気もないもの。でも、これは身に覚えがない……。
「エステヴァンの婚約破棄って、一年前?いや、まだ彼ら最終学年じゃなかったから、一年半は経つよね」
「婚約破棄だと」
「ええ?」
「どういうことだ?確か領地の分家筋の子爵家だっただろう?」
父の手紙に目を落とし、ウイレムの質問に「どうやら」と答える。
「最近不審な行動が増えたと思ったら、借金まみれだったらしい」
「急に?今まで分からなかった方が不思議ですね」
「ああ、賭け事にハマって、大金を失ったとか。立ち行かないので、親戚筋に代替わりさせると」
吐息はついたが「これでもう少し遊べるな」と笑っていた。
私が原因じゃないし、その後裏切ったってどういうこと?
この一枚だけ、完全な言いがかりだった。ベッドに寝転がって、もう一度読み直す。
エステヴァンに聞いてみよう、心当たりあるかって。
そう心に決めて、その夜は眠りについた。
寮へ戻った日、寮母から受け取ったのはエステヴァンからの手紙だった。
「以心伝心!」
と無邪気に封蝋を開け、読み始めた。
『元気かい?ハナのことだから、楽しく学院生活を送っているだろうね。私は領主後継者として、なんとか頑張っている。改めてこの仕事の難しさを実感しているよ。報告がある。この度、婚約が整った。やはり領地の子爵家の娘だ。真面目そうな美人だった。彼女の手前、ハナと気安く手紙のやり取りができなくなった。残念だが、遠くからハナの幸せを祈っている』
不思議、ちょうどエステヴァンの婚約のこと考えていたら……。
「もうちょっと遊べる」と言っていた割に、エステヴァンは誰とも付き合わなかった。女の子には優しいし、甘い言葉や褒め言葉も惜しまないのに、特定の誰かを作ろうとはしなかった。
そういえば、付きまとってた女の子いたな。フレデリカだ!
ハイレーナのクラスメートで派手な容姿にアクセサリーや髪飾りが豪華な娘だ。
これで、年貢の納め時だね、エステヴァン。どうぞお幸せに。
『おめでとう』
とだけ書いたカードを送った。
教室の前で三人の令嬢が扇子を片手にハイレーナを睨みつけている。フレデリカ嬢とその取り巻きたちだった。
睨み返すように見据えて足を進める。フレデリカは手入れの行き届いた巻き毛に髪飾りを二つ付け、扇子を持つ手にはレースの手袋をはめていた。ハナが近づくにつれ、フレデリカの扇子が持ち上がり、ハナの顔の前に突きつけられた。
「わたくし、あなたを許しませんわ!」
眉が吊り上がり、鮮やかな赤い口紅がひん曲がっている。
「なんのことですか?」
「まあ、白々しい。あなたがエステヴァン様を裏切ったせいで、エステヴァン様は、意に沿わない婚約をなさったじゃないの!」
「裏切ったりしてない」
「何を今さら。婚約破棄させるほど誘惑しておいて、ウイレム殿下に寝返ったくせに」
「婚約破棄は私のせいじゃない!」
「破廉恥、身の程知らず。あばずれ!」
ハナの中で何かが破れた。怒りが噴き上がってきて、思わずフレデリカに向かって手が伸びた。
ぱん!
その時ハナの耳元で大きな音が鳴った。ハナの手が止まる。
「いい加減になさいませ」
アメリアの声が降ってきた。




