オットー
約束の時間ぴったりに門前に一台の馬車が止まる。黒塗りの車体にポロダン商会のエンブレム。呼び鈴が鳴ると、最近雇い入れた庭師のダグが門を開く。
玄関の窓から様子を窺っていたハイレーナは、スカートの裾をつまんで走り出た。
「オットー!」
馬車から降りたオットーが笑顔を向ける。
「ハナ!」
門から前庭に一歩入ったところで、二人は手を取り合った。
「うわぁ、八ヶ月ぶり?なんだか背が伸びてる。逞しくなった?」
「そういうハナも背が伸びたんじゃない?」
「そう?」
ハイレーナはくるっと回ってみせた。
「あのね、お父様がいるの。オットーにご挨拶したいって」
「わかった」
オットーは表情を引き締めた。
ハイレーナをエスコートして庭の石畳を歩き、玄関へ向かう。ハロルドとマーサが扉を開けて待っていた。
「お父様、こちら私の同級生のオットー・ポロダン。父のハロルド・デ・ヴァロネスよ」
「オットヴァルド・ポロダンと申します。ハイレーナ様とは学院時代から親しくさせていただいております」
オットーは背筋を伸ばし、ハロルドに深く一礼した。
「うん。何度も夏休みに招待していただいたそうだね。お父上とは何度か会っているよ」
ハロルドは腕を組んだまま頷いた。いつもより声が硬い。
「はい。父からも、くれぐれもヴァロネス博士に失礼のないようにと」
オットーはもう一度丁重に礼をした。
「本日はハイレーナ様を街の新しくできたカフェにお連れする予定でございます。従者兼護衛を同行させておりますので、どうぞご心配なきよう」
ハロルドは二人を見比べ、やがて不機嫌な顔で頷いた。
「よろしく頼む」
馬車が動き始めると、オットーが頭を振りながら苦笑いする。
「びっくりした。まさかいらっしゃるとは思わなくて」
「オットーに会いたいから、出発を遅らせるって言いだして」
眉尻を下げて言い訳するハイレーナにオットーは微笑みを返す。
「本当に和解したんだね。手紙に書いてくれた以上に仲が良さそうだ」
「そう?でもお父様、今日はぶっきらぼうだった。ごめんなさい。いつもはもっと、にこやかなのよ」
「いや、それは……」
オットーは言葉を濁して横を向いた。
カフェレストランの個室に落ち着いて食事をとる間も、おしゃべりは止まらない。オットーはラナスでの苦労話を面白おかしく語ってくれる。アルバードとの習慣の違いや、気候の違い、鉱山の様子などを聞いてハイレーナは目を丸くした。
「それは、オットーが逞しくなるはずだわ」
「ハナはどう?図書館に通っているんでしょう?何かやりたいこと、見つかった?」
「……そうね。ものづくり、してみたいと思ったんだけど……お父様とトニスおじ様に、知識を増やせって言われて」
ハイレーナは季節の果物をふんだんに使ったデザートを口に運び、ふふふと笑った。
「この前ね……」
蜜蝋を使って布と紙を加工したこと、「売り物にならない」と言われたこと。
「本当に何にも知らないんだなって……」
「紙か……」
オットーは紅茶を一口飲んで、ハイレーナに視線をよこした。
「テグナ領がベドレイン伯爵領に併合されたのは知っている?」
思いがけない名前を聞いて、手が止まる。ベドレインはエステヴァンの領地だ。
「ハナにいろいろあったのは聞いてる。今回アルバードに戻ったのは、エステヴァン様に頼まれて、旧テグナ領で新しい産業を起こせないか、視察に行ってきたんだ。土地と気候を見て、紙産業を起こすことになった」
「じゃあ、エステヴァンと仕事するの?」
「そう、もちろんラナスの支店もあるから、行ったり来たりなんだけど。久しぶりにエステヴァン様に会ったよ」
首を傾げて問いかけるハイレーナに、オットーは苦笑いした。
「ああ、いくら呼び捨てが許されているとはいえ、これからは大事な取引先の若君。普段から気をつけていないとポロッと出てしまいそうだから。――その蜜蝋の紙、見せてもらえるかな」
「いいよ、帰りに寄っていって」
屋敷の門前には一台研究所の馬車が止まっていた。門を開けてくれたダグが「ペトリ様がお待ちです」と告げた。オットーと連れ立ってサロンへ向かうと、ちょうどトニスが、レモンクッキーを頬張るところだった。ハイレーナと目が合うと、紅茶をぐびっと飲んで立ち上がった。
「おかえり。そっちは噂に聞くポロダンの末息子だな。トニス・ペトリだ」
「オットヴァルド・ポロダンと申します。どうぞお見知り置きを」
オットーは丁重に礼をした。ハイレーナは部屋を見回した。
「おじさま、お一人?」
「おう、例のものが出来上がったんでな。で、お前たちは?」
ハロルドはもう少し仕事をして帰るらしい。
「オットーに蜜蝋の紙を見せようと思って。今度、紙産業を立ち上げるのですって」
「ほう、そりゃちょうどいい。ついでに布も見せてやれ。マーサに持って来させよう」
自分の部屋からノートに加工したものを持って降りた時には、オットーとトニスが顔を突き合わせて蝋引き布を眺めていた。テーブルにはハーブを包んだ蝋引き紙もある。
「なるほど、防水布になるのですね」
布に紅茶を数滴垂らして転がしている。
「布だから通気性はいい。食糧など包むには最適だ」
「しかし、蜜蝋ですか……」
「オットー、こっちが紙。ノートを作ったの」
声をかけると、オットーが振り向いてノートを受け取る。
「なるほど、絵を描いて加工するんだね。透明感が出るね。確かにこういうノートにすると可愛らしいね」
くるりとノートを回して検分し、開いて綴じ目を確認した。
「この綴じ方、懐かしいな」
しばらくノートを触っていたオットーがトニスに視線を向けた。
「ペトリ様にお伺いしたい。蜜蝋以外で同じ効果を得ることはできますか?」
「そうだな……乾性油なら代用可能だろう。亜麻仁油あたりだな。松脂や蜜蝋を少量混ぜるといいかもしれん」
「亜麻仁油……なるほど。では、ポロダン商会からペトリ様に、開発をお願いすることは可能でしょうか」
ハイレーナは二人の顔を交互に見た。
「可能だ。ただし、発案者はお嬢だ。名前は伏せて配当は出すならな」
口を開こうとするが、二人の間に割って入れない。
「ハナの名前が表に出るのは好ましくないと?」
「ハロルドも同意見だ」
「わかりました。開発料とは別途、発案料をハイレーナ嬢にお支払いします」
「ふん」
顎に手をやって、オットーを見下ろすトニスに、オットーが挑戦的な眼差しを送る。
「ポロダンは布の製造から販売まで一通り抱えています。防水布の用途は広い。雨具、傘、帆布、荷馬車の幌。紙は、まだ立ち上げが始まったばかりですが、今なら、工程を組み込むことは容易です」
ニヤッと笑った顔が、今まで見たことのない商人の顔だった。
「ポロダン商会としては、多少上乗せしても、ありがたいお話です」
「ふーん。末っ子なのに後継者に選ばれるだけあるな。それなりに権限を持っているのか。だが、決定するのはちょっと待て」
訝しげなオットーにトニスもニヤリと笑って見せる。
「もう一つ条件がある。別の製品の開発に出資しろ。それと、お嬢の名前を伏せてもう一つ商品を売り出せ。それに関しては五年間の王立特許を申請。もちろん費用はそっち持ち」
オットーが腕を組む。
「他にも、開発中の商品があるということですか?もちろん見てみないことにはなんともお答えできませんが」
「見せたら契約してもらうしかなくなる。俺が保証する。絶対に売れるやつだ」
「……わかりました。見せていただきましょう」
トニスは金属でできた重そうな機械を机の上に設置した。
ホッチキスだ!
「コイツはまだ一回目の試作品だ」
土台に紙を二枚挟み、上部のハンドルを押す。ガチャンと場違いな音が響いた。そして、取り出した馬蹄型の針を溝に差し込み、もう一度押す。今度は「ごっ」という、くぐもった音がした。取り出された二枚の紙はしっかりと針で綴じられていた。
「すごい!おじさま、私の思っていた通りです!」
横から覗き込んでいたハイレーナは思わず声を上げた。
「これも……ハナが?」
オットーは口元に手をやったまま動かない。トニスは得意げにオットーを見やった。
「どうだ。今はまだ二枚だけだが、せめて五、六枚は綴じられるようにしたい。将来的には十枚」
オットーが綴じられた紙を持ち上げ、開いては閉じ、留め具の針を慎重に調べている。
「書類を扱う我々、役所の文官。明らかに欲しがるだろうよ。お嬢はその、可愛いノートとやらを作りたかったらしいがな」
トニスの視線を追って、オットーがノートとハイレーナを見た。知らない人を見るような視線に居心地が悪くなる。
「それだけじゃないぜ。もう一つ。こっちはお嬢の手遊びだ」
トニスは胸ポケットから真鍮の小箱を取り出し、蓋を開けて机に置いた。ひとつつまみ出して、先ほどの紙の反対側に差し込む。クリップの白銀が光った。
「紙挟み。どうだ?」
オットーは手を伸ばし、クリップを目の前にかざした。そして、トニスから渡された紙に差し込む。
何度か繰り返してからトニスに向き直った。
「わかりました。発案者の名前は伏せましょう。ハイレーナ嬢とペトリ様で配当金各二五%。王立特許もポロダンで申請いたします。独占販売権を取りましょう。プレス式のほうは出資いたします。」
トニスは満足げに頷いた。オットーはすぐに従者を呼び、ポロダン商会の印を持って来させた。トニスと顔を突き合わせて覚書を作り始めている。一人ぽつんと腰掛けたハイレーナは冷めた紅茶を飲んで、二人を見守るだけだった。
オットーがふっとハイレーナを振り向く。
「これがしっかり売れれば、ハナに十分な資金ができるよ。好きなことに突き進める」
と言った。




