女性司書とお迎え
机に戻ると、さっきまで読んでいたページを開く。少々強引に読み進めた。しだいに文体にも慣れて、わからないところは多いけれど、内容が少しずつ頭に入ってくる。
「ウォード結晶から伝達物質を使った回路を引く。え?回路が交差して滲んだらダメなの?――爆発の危険性。ブレてもダメなの?伝達物質、配合の割合で出力が変わるって、どういう……」
想像していた以上に回路や伝達物質は繊細で、複雑だった。
「じゃあ伝達物質って、何?どうやって作るの?」
次から次へと湧き上がる疑問をノートに書きつける。
「だいたい、どうやって伝達物質を発見して、ああこれは歴史を調べないとダメだ」
書架へ向かう。タイトルを端から読んで、該当しそうなものを引っ張り出す。いつの間にか夢中になっていた。ふっと周りが明るくなって、頭を上げる。館内のウォード灯が一斉に灯ったところだった。
「え!」
慌てて辺りを見回す。窓の外はすでに薄闇だった。
「いけない!」と慌てて立ち上がり机の上の本をまとめ始めた。ああ、明日も続きが読みたい。本のタイトルをメモするしかないか、と思った時、受付にいた女性司書が通りがかった。
「すみません。この本、明日も読みたいのですけれど……」
「それでしたら、お預かりできますよ。受付台で手続きをお願いします」
二人で手分けして本をまとめ、荷物を持って一階の受付台へ運ぶ。外の闇はどんどん濃くなっていく。許可証を差し出して、手続きをする間も気が急いた。司書は何やら書き込んだあと、許可証をハイレーナに渡そうとして、ふと手を止めた。
「遅い時間ですが、お迎えの方なり、馬車は?」
「いえ、歩いて帰ります」
司書の驚いた顔が目に入る。
「供も連れずお一人で、ですか?いけません。守衛に伝令を頼みましょう。せめてお迎えを寄越すように」
大ごとにしたくない。今から急いで帰れば、マーサの小言くらいで済むかもしれない。
足踏みしたくなるのを堪えて答える。
「でも、家に使用人は一人ですし。遠いから時間がかかります」
「遠い、とは?」
「歩いて四十分ほど」
司書は呆れ顔で嘆息すると反論を許さない口調でこう言った。
「ますますいけません。お一人で帰すわけにはまいりません」
彼女はハイレーナについてくるよう合図をし、外へ出た。前庭を抜けて門の手前にある詰所に入った。門衛や巡回している衛兵の詰所だった。
「こちらのお嬢様が、お供がおられず、お一人で帰るとおっしゃっておりますの。危険ですので、お迎えをよこすよう伝令をお願いできますか?」
二人いた衛兵の年配の方がすぐ立ち上がって、ハイレーナと司書に頷く。
「もちろんです。伝令を出しましょう」
自宅の場所を説明し、若い衛兵が馬で出発すると、衛兵に勧められ、司書とともに詰所の一角に腰をおろした。迎えが来るまで付き添ってくれるようだ。近くで見る彼女は第一印象より若く見えた。二十五、六歳だろうか。ふと、興味が湧いた。
「お手数をおかけしてすみません。お名前を伺っても?」
「エルヴァ・ロッシと申します」
「私は」
自己紹介しようとするハイレーナを遮って、エルヴァが言う。
「ハイレーナ・デ・ヴァロネス様。存じ上げております」
そうか、許可証だ。気を取り直して、尋ねる。
「王立図書館に女性司書は何人おられるのですか?」
「私一人でございます」
やはり。司書試験も難関だと聞いていた。王立図書館に勤めるならトップクラスだ。
「素晴らしい、ロッシ様は優秀なのですね」
「私に様は不要です。平民ですので」
「ではロッシ司書とお呼びしても?」
小さく頷いたエルヴァの表情は変わらない。
「古語やベトランタ語も読めるのですか?」
「一通りは」
「尊敬致します」
「司書として、当然のことですわ」
その時、遠くから馬車の車輪の音が聞こえてきた。勢いよく走ってくると門の前で急停車した。研究所のエンブレムが光る。車輪が止まると同時に扉が開き、ハロルドが転がるように出てきた。
「ハイレーナ!」
「お父様!」
ハイレーナは急いで立ち上がり、門を出る。後ろからエルヴァが付いてきた。ハロルドはハイレーナをつま先から頭のてっぺんまで見て安堵のため息をついた。
「無事なんだね!よかった……」
後ろに立つエルヴァを認めると駆け寄って両手を掴んだ。
「あなたが、伝令をよこしてくれたのですね。ありがとう、ありがとう。ハイレーナを一人で返さないでいてくれて、本当に!」
エルヴァは手を取られたまま、目を見開いて目を瞬いた。
「ヴァロネス博士?」
エルヴァが動揺しているのを見て、ハイレーナは父の袖を引く。
「お父様!」
ハッとしたハロルドは慌ててエルヴァの手を離した。一歩下がったエルヴァは背筋を伸ばし、無表情に戻った。
「ヴァロネス博士。ハイレーナ様を安全にお渡しできてようございました」
衛兵とエルヴァに何度も礼を言って馬車に乗り込むと、ハイレーナは向かいへ座った父に謝った。
「申し訳ありません。日没までには必ず帰るって約束、破ってしまいました」
「びっくりした。屋敷に着いたら、まだハイレーナが帰ってこないとマーサが門の前にいて。そしたら伝令が来て」
父の眉が下がっている。
「怒ってる?」
父の目がじっとハイレーナから離れない。
「怒ってないけれど、もう二度とこんな時間まで外にいないでおくれ。ハイレーナにまで何かあったら僕はもう……」
その父の表情に胸が痛くなった。
馬車がヴァロネス邸の門前に停車した。
屋敷の玄関を入るとホールにマーサが仁王立ちで待っていた。
「お嬢様!いい加減になさいまし!」
謝る前に雷が落ちてきた。
「だいたい、男爵令嬢が徒歩で図書館まで通われることが非常識なんです。それを旦那様がお許しになっているからといって、暗くなるまで帰ってこないなど!」
「……ごめんなさいマーサ」
両手を握りしめて目を伏せた。
「若い女性なのですよ!危険が隣り合わせである自覚をお持ちなさいませ」
後ろのハロルドは完全に気配を消している。この家でマーサに反論できる人間はいない。腕を組んでハイレーナを見下ろすマーサ。一呼吸置いた後、低い声で言った。
「お嬢様はもっと責任感の強い方だと思っておりました。マーサはがっかり致しました」
目に涙が滲む。マーサの「がっかり」は身にこたえた。
「……ごめんなさい。二度とやりません」
マーサの視線が刺さっているけれど、顔は上げられない。沈黙が続く。しばらくしてマーサが手をぽんと叩いた。
「ではお夕食にいたしましょう。温め直さなければいけませんから」
厨房へ向かうマーサのあとを、なぜか肩を落としたハロルドとハイレーナが続いた。




