初めての物作り
正午の鐘が鳴って読んでいた本を閉じる。マーサと一緒に用意したお昼ご飯を持って、一階に降りた。受付台の女性司書に声をかける。
「あの、お昼を持ってきたのですが、食べられる場所がありますか?」
「それでしたら、中庭へどうぞ。東屋もありますし、回廊のベンチも日陰です」
「鞄や本はそのままにしていても大丈夫でしょうか」
「念のため、貴重品だけはお持ちください。あとの荷物はそのままで大丈夫です」
「ありがとうございます」
中庭は素晴らしかった。噴水を囲んで植栽が美しく並び、二つの東屋。中庭を囲む回廊にもベンチがしつらえてあり、昼食を取る人たちがいた。強烈な日差しを避けて人の少ない一角を選び、バスケットを広げた。卵とチーズとレタスのサンドイッチを手に取る。包んでいた布がべったり汚れていた。
「あー、まあそうだよね」
普通の布だ、仕方がない。前世ではアルミホイルとか、サランラップに包んでいたっけ。
食事を終えて、館内に戻る。
午後、また元の場所に戻って本を読むもあまり手につかなかった。
包むもの、アルミホイル、サランラップ。美術の時間に布や紙でやった加工法……。
ガタッと席を立つとその音が響き渡った。慌てて座り直し、ノートを広げて記憶を探り始めた。
早めに図書館を出て、急ぎ足で屋敷に向かう。玄関を入るのももどかしく、迎えに出てきたマーサに挨拶もせずに勢い込んで尋ねた。
「火熨斗ある?あと、蝋燭!」
「なんですか藪から棒に。ありますよ」
「出してきて!ちょっと思いついたことがあるの。あと布も、お願い!」
自室に駆け込んで、鞄を置くと、紙を数枚掴んで厨房に向かう。
火熨斗を温めている間に蝋燭を削る。広げた布の上に均等に並べてもう一枚布を被せて火熨斗を当てる。一度冷ましてひっくり返してもう一度。紙でも同じ工程を繰り返す。
もう一枚の紙には絵を描いた。
門の呼び鈴が鳴って、ハロルドが帰宅したらしい。マーサが迎えに出て行く。しばらくして、厨房へ顔を出したハロルドは興味深そうに近づいてきた。
「ハイレーナ、何をやっているんだい?」
「お父様、実験中なの」
とだけ答え、落書きした紙に、削った蝋をふりかけ布を当てて火熨斗で抑える。
「ほう、蜜蝋で加工したのか」
後ろから覗き込んだハロルドに構わず、火熨斗を置いて当て布をとる。
「ああ!滲んじゃった」
インクが滲んで描いた絵がぐちゃぐちゃになっていた。ハロルドは完成した蝋引き布を手に取り、ひっくり返して検分している。
「なるほど、蜜蝋の匂いがするね。手の温度で柔らかさが変わるようだ。ふ〜ん、水を弾くんだね。油にも強そうだ。熱で滲んだのかな。今度はインクが乾き切ってから試してごらん」
ハイレーナはびっくりして、父の顔を見る。ハロルドはハイレーナに微笑みかけた。
「あらかじめ、蝋を溶かして塗った方が、ムラができにくいんじゃないか?どうしてこれを作ろうと思ったの?」
前世の知識とは言えない。
「お弁当を包む布が汚れていたんです。だから、水や油に強い布があったらいいなと。扉の滑りを良くするために蝋を塗ったりするじゃないですか。水も弾くし。だから布にくっつけられないかなと」
ハロルドは目を見開いた後、破顔した。
「いいところに目をつけたね。よく観察してる」
マーサは訝しげな顔で覗き込んでいる。
「これで、食品を包むのですか?」
「そう、水に強いし、油もほら」
半信半疑で野菜や果物を包んだマーサが、しだいに笑顔になる。
「これは、使いでがありますわね。パンやチーズ、残った野菜を包めますし、お弁当も油や水分の心配をしなくて済みます」
ハイレーナに向き直ると、高らかに宣言した。
「お嬢様、あと五枚ほど作りましょう」
それから三人で蝋引き布と紙作りが始まった。
ハロルドはマーサに鍋を用意させて蝋を溶かす。父の手つきは確かだ。刷毛を使って紙の上に薄く蝋を塗っていく。同じように布にも試した。綺麗な蝋引き布と紙が出来上がった。
「パステルは滲むのかしら」
思い出していたのは、中学時代の手作り絵本だった。描いた表紙は蝋引きしたのだ。可愛いノートが作りたい。
「納戸にパステルや画材がたくさんありますよ。旦那様がお嬢様に大量に買ってきたものの残りが」
「取ってくる」
パステルは輪郭が熱に押されてぼやけた。なら、このぼやけを利用して、グラデーションを作る。
「きれい……」
厨房のテーブルの上はパステルと紙、火熨斗に布が散らかり放題。段々とマーサの機嫌が悪くなった。
「もうそろそろ終わりになさいませ。これではお夕食が作れません。片付けますよ!」
とマーサに怒られるまで、楽しい時間を過ごした。
翌朝、意気揚々と図書館に向かう足取りは軽い。バスケットの中には昨日の蝋引き布で包んだサンドイッチが入っている。
「楽しかったなぁ昨日。やっぱり何か作るの好き」
歩きながら考える。
「火熨斗、難しかったな……」
温度調節ができずに何度か失敗して、紙がガタガタになってしまったのだ。
「アイロンみたいに温度調節とスチーム機能あったらいいのに」
ウォードを使えば作れるのか……。
「ああ、やっぱり知識が足りない!今日はウォードの勉強する」
そう決意を新たにした。
書架の間を彷徨って、一冊の本を選び出す。
『ウォード基礎論』
机に戻って早速一ページ目を開く。
『ウォードは潜在エネルギーの凝縮相であり、物質相と力学相の位相差により定義される。非結晶状態における直接観測は不可能であり、解析は転換出力の変位量から逆算される。本論は出力関数の近似式を基礎として展開する』
一行読んで閉じた。
今まで読んできた本と違う。
「学術書ってこういう物なの?」
もう一度開く。二度読んで、なんとなく輪郭だけを捉えた。本文なら読めるかと期待して、とにかく読み進む。正午の鐘が鳴った時にはぐったりと疲れていた。積み上げていた本を全て書棚に返し、肩を落として回廊へ向かった。
バスケットから取り出した蝋引き布を見て、ため息をつく。
「アイロンどころの騒ぎじゃないわ」
せっかく楽しみにしていたトマトとベーコンのサンドイッチも、苦く感じた。




