王立図書館へ
ハイレーナは床に並べた絵の中に座っていた。幼少期に描いた発明品の絵だ。
「ふふ、スマホにプリンター。アイロン。自転車!懐かしいなぁ」
前世で当たり前にあった便利な道具。
「欲しい、と思っても仕組みが全然わからないのよね。ウォードは電気じゃないし」
絵を数枚退かせて床に寝転んだ。
「なんだ、前世の記憶があるっていったって、何にもできないじゃん」
ちょうど顔の横にあった絵を取り上げる。
「ドライヤーくらい作れそうなもんなのにな」
ウォードの歴史は習った。製品を動かすのは伝達物質と回路。ただ、具体的にどう作用するのかわからない。
「何か作ろうと思ったら、知識がないとダメってことか」
大きなため息が出たところでノックの音がした。
「お嬢様?」
扉を開けたマーサの足が一瞬止まった。
「まあ、何ですか、こんなに散らかして」
慌てて立ち上がってマーサの目から絵を隠す。
「いいから、いいから。で、どうしたの?」
「ああ、旦那様から伝言がまいりまして、今夜、ペトリ様がお食事にいらっしゃるそうです」
「ペトリ?トニスおじ様?」
そういえば、お父様から、『トニスが会いたがっているから、いずれ連れてくる』と言われていた。
「はい。もし、お手隙でしたら……」
「うん、手伝う」
そう返事をして、厨房へ降りた。
「久しぶりだなぁ、お嬢!」
玄関へ迎えに出たハイレーナにトニス・ペトリが手を上げる。大柄で逞しいトニスのおかげで玄関扉が急に小さく感じられた。
「トニスおじ様、ご無沙汰しています」
ハイレーナはスカートの裾をつまんで礼をした。
「五年ぶりくらいか。いつの間にレディになって見違えたぞ。イレーネに似てるなぁ」
トニスは懐かしそうに言った。
ダイニングに腰を落ち着けると、トニスが「卒業おめでとう」とグラスを掲げた。
「ありがとうございます」
乾杯のグラスを置くと、マーサが運んできた前菜から食事が始まった。
豪快に食べながらトニスがハイレーナに質問を投げる。
「これからのことは考えているか?」
「何かお仕事をしてみたい、とは思うのですが、何をしたらいいのか見当がつかなくて」
「まだいいじゃないか。ハイレーナはここで僕と一緒にずっと暮らせばいいんだから」
慌てて制止するハロルドを半ば無視して続ける。
「オットーにはラナスで一緒に働かないかと言われました」
「ラナス!ダメだ、ダメだ。遠すぎる!」
トニスもハロルドを黙殺するようだ。
「女性の仕事、となると家庭教師……研究所には女医がいるな」
「そういえば、去年だったか、王立図書館に女性司書が誕生したね」
「アドリアンには文官も目指せると言われたんですが」
「文官ねぇ。ハイレーナには堅苦しい気もするな」
前菜が終わると、マーサが肉のパイ包みの乗ったワゴンを押してきた。各自の皿に切り分ける。
「マーサ、今夜も素晴らしくうまいぞ」
「ありがとうございます。ペトリ様はたくさん召し上がってくださるので作り甲斐があります」
湯気の立つパイ包みを切り分けながら、ふと浮かんだ疑問を聞いてみた。
「お父様はなぜ研究者になろうと思ったの?」
ハロルドは手を止めてしばらく考えた。
「そうだね。初めてウォードの結晶を見た時かな。緑色で、透き通っていて、なんて綺麗なんだと思ったよ。そうそう、六歳くらいだったと思うな。家庭教師が歴史の時間にウォード結晶を見せてくれたんだ。それで夢中になってね。未知の力というか、この結晶一つで明かりや暖房ができるだろう?不思議でその謎を解明したいと思ったんだ」
六歳!
思わずトニスを見るとナイフとフォークを持ったまま、肩をすくめてみせた。
「トニスおじさまは?」
「俺はもともと物作りが好きでな。学院に入った時に『発明クラブ』を作ってだな」
「あ、お母様の日記で読みました」
病弱なイレーネのために、持ち運びできる温熱機を作ろうとして、大失敗する話。学舎に穴を開けて、トイレ掃除を三ヶ月することになったと書いてあった。
バツの悪そうな顔になったトニスは咳払いをして続けた。
「とにかくだな、こいつに出会って面白くなって、こいつの考えていることを実現させたい、何をやるのか傍で見ていたいと思ったのよ」
ため息をついた。
そんなふうに夢中になれるものが欲しい。
「ハイレーナも物作りの才能はあると思うんだけどね。子供の頃の絵、覚えてるだろう?」
「確かに、発想はぶっ飛んでたな」
「でも、私はものを知らなさすぎる……」
膝の上のナプキンの端を握った。トニスが手をたたいてにっこりと笑った。
「だったら王立図書館に通ってみるのはどうだ?」
「なるほど、あそこの蔵書はアルバード随一だからね」
「片っ端から興味のあるものを読んでみろ。何をやるにも知識は必要だ。そのうち興味のあるものが見つかるさ」
それから数日後、お父様から入館許可証を渡された。
「明日から僕と一緒に研究所の馬車に乗るといい。少し出発を遅らせて、図書館の開館時間に合わせるよ」
喜びは一瞬にして憤慨に変わった。
「お父様、研究所の馬車は嫌です。私、歩いて行きます」
研究所の馬車は目立つのだ。学院時代に言われ続けた『親の七光り』が頭をよぎる。
「そんな!危ないじゃないか」
「大丈夫です。今までだって、学院の行き帰りは乗合馬車だったし、城壁までは歩いていましたから」
「王立図書館は遠い」
「大丈夫です。とにかく、研究所の馬車は絶対ダメ。暗くなる前に帰りますから。お願い」
ハロルドは渋々折れたのだった。
屋敷から四十分ほど歩き、王立図書館に到着する頃には、汗だくになった。前回はアドリアンと一緒で、じっくり眺める余裕もなかった。改めて見ると元離宮なだけあって、白亜で瀟洒なつくりは王城にも負けない美しさ。しばらく立ち止まって眺めた。
馬車用の広場の奥には閉ざされた門。その両側に衛兵が立っている。許可証を差し出す。受け取った衛兵は、許可証を見た後、すっと視線を上げて、ハイレーナを見た。きっと年齢はハイレーナと変わらない。頬にニキビ痕があるのが見えた。もう一度、許可証を確かめ、頷くと通用門を開けてくれる。
芝の敷き詰められた前庭を抜け、建物の影に入って、ようやく汗を拭った。
一歩図書館の中へ踏み入れると空気が変わる。静けさと本の匂い。肺いっぱいに匂いを吸い込むと、受付台に向かった。許可証を差し出すと黒髪を後ろで引っ詰めた女性司書が顔を上げた。
ああ、お父様が言っていた女性司書だ。
知的な切れ長の目が印象的だった。
「あの、ウォード関係の本が読みたいのですけれど」
「左の階段を上がって、二階、四つ目の閲覧室になります」
言われた通りに四つ目の閲覧室へ入る。大きな机に椅子が並び、書架はその奥。中央廊下は吹き抜けになっていて、身を乗り出すと、一階の閲覧室と受付台が見える。書架を探す人、机でページを捲りながら何かを書き込む人。かすかなインクの匂い。
机の真ん中の席に鞄を置くと、書架へ本を探しに行った。




