↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私、乙女ゲームのヒロインでした  作者: 国枝 彩乃


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/32

父の実像

 遅めの夕食をとった後には、頭がぼうっとしてきた。

「お熱がありますね。休みましょう」

 マーサに連れられてベッドに潜り込んだ。

「水差しを置いておきますね」

「ありがとう、マーサ」

 その時、階段をどかどかとかけてくる足音が響いた。

 部屋の扉が乱暴に開くと同時に「ハイレーナ!」と父の声がした。

「なんてことだ!傷は、大丈夫なのか?医者は?マーサ、医者を呼んでくれ、いや、研究所の医務科へ行こう」

「旦那様!」

 ベッドへ駆け寄ったハロルドをマーサが留める。

「落ち着いてくださいまし。学院で手当を受けていらっしゃいますから」

「しかし!」

「いいですか。手と膝の傷は擦り傷。顔の腫れは数日で引きます」

「手と足にも怪我!」

「旦那様、お嬢様は安静が必要です。お静かに!」

 マーサの一喝でハロルドは肩を落とした。マーサはハナの布団を首までかける。

「さあ、おやすみなさいまし」

 ハナにだけわかるように片目を瞑り、ハロルドを押しながら灯を消して部屋を出ていった。


 目が覚めた時はまだ、薄暗かった。

 しんと静まり返った屋敷。たくさん夢を見た気がするのに何一つ思い出せない。寝返りを打とうとして、左側を枕に当てられないことに気がついた。

「痛ったぁ」

 目が腫れて視界が狭い。唇も腫れぼったい。

「最悪」

 浮かんでくるのは豹変したディミトリの顔。

「どうしてあんなの信用したんだろ」


 信用したわけじゃない。でも、都合よかったんだ。ひとりじゃない、守られてる感じが心地よかった。


 そしてフレデリカ。連行される時の心細そうな顔。

 窓の外が少しずつ明るさを増してゆく。

「フレデリカから見たら、私は本当に悪女なんだろうな」


 だからと言って、許せるわけじゃない。けれど。


 入学した時から、攻略対象としか親しくしない。いつもべったり彼らに囲まれていて、他は無視。

「……ただ、帰りたかっただけ」


 お母さんに会いたい。……お母様。


 華とハイレーナの声が同時に浮かび上がった。気持ちが重なる。布団を抱き込んで顔を埋めた。

 ディミトリもフレデリカもゲームには出てこなかった。


 もしも、ここがゲームの世界じゃなかったら……。


 ゆっくり体を起こし、水差しからコップに水を注ぐ。あたりはもう朝の光が入り始めていた。口に含んだ水が喉を滑り落ち、乾いた体を潤していく。空になったコップを置いて、窓の外へ目をやった。


「きれいに処置してありますよ。目にも異常はありませんし、顔の腫れはあと二日もあれば完全に引くでしょう」

 研究所から連れてきたという女医の言葉に、マーサとハロルドがほっと肩の力を抜く。

「熱も下がっていますね。今日はこのまま安静にね」

 女医は傷に塗り薬をつけ、ガーゼを当てると、にっこり微笑んで立ち上がった。

「ありがとうございました」

「わざわざ、すまなかったね」

「玄関までお送りしましょう」

 マーサが女医の鞄を持ち、先導する。ハロルドもハナに視線を送ったけれど、何も言わずに出ていった。

「しかし、博士から緊急の呼び出しとは、驚きました」

「全く旦那様は……」

 扉越しに聞こえた会話が耳に残った。


 ヒロインはヒロインじゃなくて、悪役令嬢は助けに来てくれて、冷たい父親は……。


 瞬きをして枕元の本を手に取った。



 マーサが朝食を運んでくれて、起き上がる。扉の影からハロルドがのぞいているのが見えた。ハナを確認するとすぐに踵を返して階段を降りていった。

 翌日、起き上がれるようになると、降りてきたハナの顔を見て安堵の表情を浮かべ、そのまま背を向けて出ていった。帰ってきたのは夜遅く。ハナが自室へ引き上げてからだった。

 すっかり顔の腫れも引いて、切った唇の傷もあまり目立たなくなった頃、ハナは階下にハロルドの姿を見ると、背を向けようとする父に声をかけた。

「お父様、おはようございます。いってらっしゃいませ」

 前のめりになった背中から頭だけこちらに向く。ハロルドの表情が、驚愕から泣き笑いに変わるのを見た。

「ハイレーナ……行ってくる」

 それだけ言って、よろよろと玄関を出ていった。マーサが扉を閉め、ハナの傍に歩み寄る。微笑みながらハナの頬を撫でた。

「朝ごはんにいたしましょう」

「うん」

 マーサに笑みを返して厨房に向かった。

「あのね、お父様と話をしようと思う。そう、お伝えしてくれる?」

「お喜びになります。お伝えいたします」

 マーサが何度も頷いた。



 ハナはサロンでハロルドと向かい合って座っていた。柔らかい光とは裏腹に、サロンには張り詰めた空気が漂っている。マーサが二人の前にお茶を置いて去ってから、かれこれ十分は経過していた。最後の一口を飲み干すと、やっと覚悟が決まった。

「お父様はなぜ、私を一人ぼっちにしたのですか」

 ハロルドは虚をつかれたように椅子の背に張り付いた。それから深く息を吐いて背を丸めると頭を抱えた。


「イレーネが……去ってしまった時、僕の世界は真っ黒になった」

 ハロルドから深い悲しみが漂ってくる。

「生きている意味がない。全てが手から抜け落ちて、何も残っていなかった」

 父は覆っていた手のひらから少しだけ顔をあげ、ハナに視線を向けた。

「ただ、僕の可愛い娘のために、生きなければと、それだけ……」

 ハナの中でハイレーナが動揺している。


 あの日、お母様の亡骸に縋って、体を揺さぶって泣いたこと。床に崩れ落ちて動かないハロルド。


「正直、あの頃の記憶はあまりないんだ。ただ、イレーネのいないこの家が耐え難くて、研究所へ逃げた」

 父が泣いている。

「……お父様、私は十一歳でした。私だって辛かった。私だって逃げたかった!」

「僕は……弱くて……卑怯で……少しでいい、立ち直る時間が欲しかった」

 しばらく部屋には啜り泣きの声だけが残った。

「……どうして、学院に入れたの?なんの説明もなく、突然」

「イレーネの願いだった。イレーネにとって、学院は素晴らしい場所だった。だからぜひ、ハイレーナを学院に入れてほしいと、約束した」


 ――お母様?


『しっかりしろ!学院の手続きは済んだのか!』

 頬を叩かれて一瞬だけ我にかえる。トニスがソファーに突っ伏したハロルドを引き起こす。

『約束だっただろうが!イレーネの願いだろうが!叶えろ。叶えてやれ!』

 トニスの目も濡れていた。

『今は……?』

『あと二週間で十月だ。間に合わなくなるぞ』

 よろよろと立ち上がった。


「手続きをして『学院へ入れ』と言って。ハイレーナのことは『これで安心だ』と思った。約束は守れた。娘は学院へ入る。イレーネがそうだったように、たくさんの友達に囲まれて寂しさも紛れる。楽しいことが増え、いろいろな体験をして大人に成長してゆくと」


 ……なんて勝手な。


 握った拳がぶるぶると震えた。

「私、お父様のこと、許せません」

 ハロルドが顔を上げる。傷ついた表情。寂しかった。一緒にいて欲しかった。

「私、ひとりぼっちでした。一番抱きしめてほしかった時に。捨てられたと思った。消えてしまいたいほど」

 実際ハイレーナは姿を消して、華の陰に隠れたもの。

 拳を解いて自分を抱きしめる。


「知っていましたか?お父様が帰っていらした日、私の誕生日でした。十二歳の」

「ああ……」

 ハロルドが目を閉じ、首を前に落とす。俯いたまま頭を振った。

「僕は、なんてことを……」


 ハナは目の前の父をじっと見た。思っていたより小柄で、頭でっかちで、肩を震わせて俯いている。お母様のことを『僕の妖精さん』と呼んでいた父。


 ……もういい。悲しいのはもうたくさん。


 声を絞り出した。

「でも、もし、この先があるのなら……少し、お父様を知る努力をしたい……と思います」

 ハロルドが顔を上げた。殴られたように、ぽかんと口を開け、ハナを見る。ゆっくりと唇が動き、息混じりの声が聞こえた。

「本当に?」

 小さく、小さく頷く。

「ハイレーナ、これからがもしあるのなら、僕は誓う。ハイレーナの側にいる。何があってもハイレーナの味方でいる」

 ハロルドが転げるようにこちらへ向かってきたと思った時には、ハナは父の腕の中にいた。ぎゅっと抱きしめられて、体が硬直する。けれど、父の『懐かしい』匂いに気がついた瞬間、体の力が抜けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。