ディミトリ
「ハナ先輩!」
昼休みに人が少なくなるのを待って教室を出ようとした時だった。扉の影からひょっこり顔を出したのはディミトリだった。
「僕とお昼食べませんか?食堂までご一緒させてください」
「どういうつもり?」
ハナはディミトリを押し除けるように教室を出ると食堂へ向かって歩き出す。
「ひどいなぁ。僕、ハナ先輩と一緒にいたいだけです」
「私の評判を知らないわけじゃないでしょう?」
「あんなの!みんな嫉妬してるだけです。ハナ先輩がモテるからって。無視していじめみたいなことして。おかしいのはあいつらです」
ディミトリがハナの前へ回り込んでくる。
「先輩。僕と一緒なら、一人で食べなくていいじゃないですか。おしゃべりしながらなら、外野の声も耳に入らないですよ!」
彼を避けて歩き続ける。頭の片隅に「確かに」と浮かんで打ち消した。
「あなたも巻き込まれるかもしれないじゃない」
「僕のこと、心配してくれるんですか?優しい」
並んで歩きながら、ディミトリが笑う。
「僕を利用してくれて、いいんです。それに、一応伯爵家ですから、滅多なことは言えないはずです。ね、先輩。今日だけでも」
食堂に入る。
「ほら、席だってそんなに空いてない。あ、ここ、二席あります」
すかさずディミトリが椅子を引いて手で指し示す。気がつけばその席に腰を下ろしていた。
「僕、食事取ってきますね。待っていてください」
あまりの手際の良さに、諦めの吐息が出た。周囲の視線が気になって目を伏せる。
「お待たせしました」
二人分の食事を運んできたディミトリはニコニコしながらハナの向かいの席へ座った。
「どうぞ、食べて」
「ありがとう……」
フォークを取り上げ、一口二口食べて視線を上げると、真正面のディミトリは頬杖をついて、ハナを見ていた。
「なに?」
「いえ……可愛いなって思って」
「揶揄うのもいい加減にして」
「揶揄ってなんかいません。本気です!」
「いいから、あなたも食べて」
「はい。仰せの通りに」
おどけて返事をするとすぐに食べ始めた。
「あら、まあ新しい恋人ですの?さすが稀代の悪女ですわ」
フレデリカ。
今一番会いたくない相手だった。舌打ちしたい気分で視線を向ける。その時向かいのディミトリが席を蹴って立ち上がった。
「フレデリカ・ディ・テグナ嬢!失礼です。ハナ先輩に謝ってください」
「何よ、あなた誰なの?」
「エレブルー伯爵家次男、ディミトリ。フレデリカ嬢、だいたいあなた、エステヴァン様に振られたからって、ハナ先輩を逆恨みしているんじゃありませんか」
「なんですって!」
フレデリカの声が食堂に響き渡った。食堂中の視線が集まる。
「フレデリカ様、さすがにエレブルー伯爵家では……」
取り巻きの二人が必死でフレデリカの袖を引っ張っている。周りの視線に気がついたフレデリカは、口を閉じてハナとディミトリを睨みつけた。扇子をディミトリに突きつけ、
「あなた、覚えていなさいよ」
と吐き捨てると食堂を出て行った。
倒れた椅子を起こして腰掛けるディミトリに眉を寄せて話しかける。
「大丈夫なの?」
「大丈夫です。ハナ先輩、やっと言いたいことが言えました」
なんと返していいか分からず、嘆息して水を飲んだ。
その日から昼食時になると必ずディミトリが現れるようになった。時間をずらして避けることに成功した翌日は、食堂で待ち伏せされた。最初はひそひそ話が聞こえたが、三日もするとそれも消えた。フレデリカも絡んでこなくなった。正直呼吸が楽になったけれど、何か釈然としない。
都合が良すぎる……。
ハナは機嫌良さそうに話すディミトリを見た。
「それで僕、馬の前を横切ってしまって……」
話し上手なんだよね。そつがないっていうか。
確かに話題が豊富で、話も面白い。いつの間にか引き込まれてしまう。
でもなんか、本心が見えない感じがする。
そう思った。
その週末は雪が降った。ハナはヴァロネス邸のサロンで持ち帰った教科書を広げていた。
「このところ、お嬢様は勉強熱心ですねぇ」
マーサの声に顔を上げる。紅茶とお菓子の乗った盆を持っていた。
「それは、だって絶対卒業したいもの」
コーヒーテーブルにカップが並び、お茶が注がれる。小さなナッツのタルトが添えられていた。
「できれば六月の試験で合格して、七月はもう行きたくないの」
「七月は追試と補講でしたか?」
「そう」
「素晴らしい心がけですこと。マーサは嬉しゅうございます」
淹れたての紅茶に手を伸ばす。暖炉の薪がぱちっとはぜた。
「美味しい」
向かいに座ったマーサもゆっくりとお茶を飲んでいる。
「ねえ、マーサ。お父様とお母様はどうやって知り合ったの?」
目を丸くしたマーサは次の瞬間ほろりと笑った。
「まあ、珍しいこと。イレーネ様とハロルド様は幼馴染でございますよ」
「そうなの?学院で知り合ったのかと思った」
「いえいえ、ハロルド様はユルヴィナ家で養育されていました。あれはイレーネ様が六歳かそのくらいでしたわ」
花を摘みにメイドと一緒に庭へ出たイレーネが帰ってきた時、興奮冷めやらぬ様子だった。
「あのね、男の子がいたの!イレーネの初めてのお友達になってくれるって!」
「ああ、ご主人様がお抱えになった、神童のことでしょうか」
「違うわ、ハロルドっていうの。とっても頭がいいの。なんでも知ってるわ。また会ってくれるって!」
それから体調の良い日は必ずハロルドに会いに行った。
「あのね、ハロルドは十二歳になったら、学院へ行くのですって。私も学院に行きたい」
「それなら、たくさん食べて、お散歩して、丈夫にならなければいけませんね」
「わかった」
真剣な面持ちで力強く頷いたのだった。
マーサが懐かしそうに目を細める。
「イレーネ様は最初からハロルド様しか見ていらっしゃらなかった。ハロルド様も同じです。『僕の妖精』と呼んでらして。それは学院に行ってからも変わりませんでした」
「お父様は十五歳で国家試験に合格したんでしょ?学院で習った」
「研究所に入所されても、必ず半日は学院で過ごされていましたよ。イレーネ様のために」
マーサはよっこらしょっと立ち上がった。
「お夕食の支度を始めないといけませんね。今夜は積もりそうですから、何か温まるものを作りましょう」
「手伝うわ」
ハナも教科書を閉じて立ち上がった。




