帰る場所は
週末屋敷へ戻ったハナはアドリアンに手紙を書いていた。
『お願いがあるの。ディミトリ・ディ・エレブルーという下級生について何か知っていますか?』
あれからディミトリとはよくすれ違う。会釈するだけならまだしも「ハナ先輩!」と駆け寄ってこようとするのを急ぎ足で避けている。同じく情報通のオットーに聞くことも考えたけれど、試験前に煩わせるのは気が引けた。アドリアンならきっと貴族の内部情報に長けている。そう思ってペンを取った。しばらく思案して付け加えた。
『それから、フレデリカ・ディ・テグナがエステヴァンにふられた経緯を覚えていたら、教えてくれませんか』
封蝋を押して、マーサにお願いすべく階下へ降りた。
月曜日に学院へ戻ると、教室の入り口でオットーが待っていた。
「今週いっぱいかけて、卒業試験を受ける。クラスには出ないけど、朝、顔見にくる。昼食も一緒に食べよう」
そう言って笑いかけ、周囲を牽制するような鋭い視線を投げる。
「ありがとう」
泣き笑いのような笑顔で返事をした。
昼食はオットーが迎えにきて、いつもの東屋のベンチでとった。料理はオットーが作らせて持ってきたもの。和やかに会話して昼食が終わる頃、オットーが表情を変えた。
「金曜日には結果が出る。ヴァロネス邸に帰るなら、送っていくよ。その時、返事を聞かせてほしい」
「……わかった」
考える時間はあまりない。
それから毎日朝に顔を合わせ、昼食を一緒にとった。ディミトリは一度も姿を現さなかった。
約束の金曜、授業を終えて、正門横の馬車溜まりへ向かった。ポロダン商会の馬車からオットーがドアを開けて手を振っている。その晴れやかな顔を見て確信した。駆け寄ってステップを登りながら訊ねる。
「受かった?」
満面の笑みが返ってきた。
「もちろん!ほら!」
と卒業証明を見せてくれた。
「やったー!すごいよオットー。おめでとう!」
ハナは咳払いをして背筋を正した。
「オットヴァルド・ポロダン様。王立学院ご卒業、おめでとうございます」
とお辞儀する。
「ハイレーナ・デ・ヴァロネス男爵令嬢。ありがとうございます」
と礼を返してくれた。オットーの合図で馬車が走り出す。
「で、決心はついた?」
「……そのことだけど」
慎重に言葉を選ぶ。
「オットーがそう言ってくれたこと、すごく嬉しい。外国に住むなんて考えたこともなかったし、オットーと一緒だったら、楽しいだろうなって思った」
「だけど?」
「……逃げたくないの。このまま姿を消したら、あいつらの思い通り」
「時には撤退することも大切だよ。環境を変えて出直せばいつかハナの評価を上げることだってできる。今の状況はハナにとって不利すぎる」
それは、理解できる。
「うん。だけど、マーサをまた一人ぼっちにして行けない。お父様のことも……このまま逃げたら、一生話し合うチャンスがなくなる気がする」
身を乗り出していたオットーが眉を下げた。
「ハナがいじめられているのを見ていられないよ」
悲しそうな表情に、心が温かくなる。
「ありがとう、そう言ってくれるだけで嬉しい。卒業まであと四ヶ月。なんとか耐えられる……と思う」
オットーから深いため息が聞こえた。
「……もうハナは決めたんだね」
できる限りの笑みを浮かべた。
「卒業してからラナスに行っても遅くないでしょ?」
しばらくハナのことをじっと見つめたオットーは瞬きをして言った。
「わかった。残念だけど諦める。もし、卒業して気が変わったらいつでもラナスへ来て。ハナのための場所は用意しておく。それから、無理はしないで。辛くなったら助けを求めること。ハナは一人じゃないよ」
オットーはいつでもハナの味方だった。
「ありがとう」
馬車はヴァロネス邸の前で止まった。
ハナは玄関で出迎えたマーサの顔をじっと見る。
「なんですか、お嬢様。シワでも増えましたか?」
「ううん、マーサ、いつもありがとう」
手を伸ばして抱きついた。
「まぁ、なんですか。このところお嬢様はお小さい頃のようですわよ」
そう言いながらもマーサは胸にしっかり抱きしめ、背中をぽんぽんと叩いてくれる。
「お部屋にお手紙が届いておりますよ」
ぱっと腕の中から飛び出した。
「誰から?」
「アドリアン様ですよ」
「わかった、ありがとう!」
そのまま階段を駆け上がった。
部屋に入るとすぐ、ライティングデスクの上に載せられた手紙を手に取った。荷物を置いて、ベッドに腰掛ける。
『ディミトリはエレブルー伯爵家の次男です。建国時から続く由緒ある家系ですが、最近は財政面で勢いを失っています。長男は私より一学年上で、温厚、凡庸。次男のディミトリは兄より見目が良いと聞いています』
読み進めると、フレデリカについても書かれていた。
『元から何かと声をかけられていたようだが、婚約破棄の後、テグナ子爵から正式な婚約打診が来るとあからさまになった。テグナ子爵に黒い噂があり、それを理由に断ったが、それでもフレデリカは執拗だったため、エステヴァンが強く言ったようだ』
「正式に申し込んでたんだ……黒い噂ってなんだろう」
手紙は『もう少し詳しく調べてみます』と締め括られていた。
手紙を両手で持ったままベッドにひっくり返る。
さて、これからどうしよう……。




