どろどろに溶け合いたいんだよ
夏の日差しが和らいだ頃。
王妃教育を終えたメルティアは、エヴァンの執務室を訪れていた。
今ではすっかり定位置となった彼の膝の上に、彼女は座らされていた。
彼は時折、彼女の桃色の髪に触れ、指にくるくると巻き取っては外してをくり返す。彼女はそれを無言で受け入れていた。
そんな中、不意にエヴァンは世間話でもするように呟く。
「僕はね……君とひとつになりたいんだよね」
唐突な言葉が耳元に落ち、メルティアはすぐさま彼の顔を見た。
彼は表情こそ変わらない。けれど、彼の手が彼女の髪から腰へとそっと移された。
態度と表情の噛み合わなさに、一瞬聞き間違いかと思った。
けれど、添えられた手がゆっくりと腰をさすり、熱を持っていく。
「それは……誘っているのですか?」
彼の手が止まり、きょとんとした顔で首を傾げた。
「ん……まあ、そういう下世話な意味は全くないけど……。手段としては夜伽ということになるよね」
「婚前……ですよ」
あまりにも直球な言葉に、思わず反発してしまう。
すると、エヴァンは彼女を覗き込むように顔を近づけた。反射的に、メルティアの身体が小さく震える。
「え? 何、メルティアは僕以外と結婚するつもりなの?」
「論点をすり替えないでください……」
そういう話ではないのだけれど……。
今では随分慣れたが、彼の独特の言い回しには今でも反応に困ることがしばしばある。
黙り込む彼女を、エヴァンは静かに見つめていた。
やがて、彼女の髪を一束、手に絡ませる。
「でもね……本当に、変な意味はないんだ」
エヴァンは桃色の髪を梳かすように、ゆっくりと手を滑らせた。
「ただ、僕は君と溶け合いたいだけだよ。その方法がそれしか思いつかないって、それだけ」
意味を疑わせるほどの熱のこもった言葉が落とされる。それでも、彼は相変わらず平然としていた。
一瞬、夢でも見ているのではないかと錯覚を覚えたけれど、腰に添えられた手がこれが現実であることを証明している。
ふと、彼の指先が首筋に触れ、髪が指の間からさらりと零れ落ちた。
エヴァンはそれを気にする様子もなく、もう一度、彼女の髪を指に絡ませた。どうしても髪に意識が向いてしまう。
「君とどろどろに溶けて、もうどこまでが僕で、どこからが君なのか、わからなくなるくらいが理想なんだけど」
彼は髪を絡ませたまま、さらに顔を寄せてくる。
澄んだ瞳と目が合い、しばらく無言で見つめ合った。
なんだか呑み込まれてしまいそうになり、メルティアはそれを振り払うように、小さく息をつく。
「もっと普通に言ってください……」
エヴァンは顔を離すと、目を丸くさせた。
「ん?」
……わざと惚けているのだろうか。
それとも無自覚なのか。どちらにしても、たちが悪い……。
「……お願いですから、もう少し普通の恋人みたいに誘ってください」
「難しいなあ。僕は普通に恋をしているつもりなんだけど」
「それが一番困るんです……」
それでも、彼のことが大好きな自分は抗えない。
エヴァンは再び彼女の髪を一束手に取ると、そのまま口元へ寄せた。
蒼い瞳が、まっすぐに彼女を捉えている。
「それで、メルティアはどうしたい?」
「……わかってるくせに」
「うん。わかってるよ」
エヴァンは、くすりと笑った。
「だから、ちゃんと君の口から聞きたいんだ」
「……ずるいですね」
「そうかな?」
「……そんなこと言われたら、断れないじゃないですか」
メルティアが拗ねたように言うと、彼は考え込むように黙り込んだ。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「断ってもいいよ」
彼はそう言いながら、メルティアの髪を手放した。
はらりと、桃色の髪が指の間から滑り落ちる。
「君が嫌なら、僕は何もしない。だから、メルティアが決めて?」
急に距離を取られたことに、メルティアはほんの少し寂しさを覚えた。
それが悔しくて、視線を逸らす。
本当は、もう少し触れていて欲しかったことに気がついてしまったのだ。
いつのまにか自分も欲が強くなったみたいだ。
「……本当に、何もしないんですか?」
「君が嫌ならね」
「……そうですか」
「うん」
それきり沈黙が落ちる。この瞬間は、エヴァンも彼女に触れようとはしなかった。
彼なりの優しさだろう。
でも……足りない。
静まり返った室内に、心臓の鼓動だけがやけに大きく響き続ける。
先に耐えられなくなったのは、メルティアだった。
「……エヴァン様」
「うん」
「私も……あなたと、ひとつになりたいです」
その時、エヴァンの目が、彼女の真意を図るようにわずかに細められた。
「それは、僕が喜ぶと思って言ってる?」
「……違います」
「じゃあ?」
この人は、いつも最後には自分に選ばせる。
以前の自分なら、きっと彼が望む答えを探していた。
彼が喜ぶ言葉を選んで、自分の気持ちには蓋をしたままだっただろう。
けれど今は違う。
私は、エヴァン様に望まれたからそうしたいのではない。
私自身が、この人を求めている。
それが、どうしてこんなにも満たされるのか。
メルティアは頬を赤くしながら、それでも今度は目を逸らさず、彼の瞳をまっすぐに見つめた。
「……私が、そうしたいからです」
そう告げた瞬間、彼の表情がふっと緩んだ。
そして、そのまま彼女の唇に自身の唇を重ねた。
◇
窓の外は、すっかり太陽が傾いていた。
メルティアはエヴァンの腕に包まれながら、ベッドで横になっている。
「ねえ、メルティア。いつまで寝てるの?」
疲れて瞼が上がりきらない彼女とは対照的に、エヴァンはいつもの様子だった。
「……わかって聞いていますよね?」
「ん……可愛いからついね。許してくれる?」
「……許しません」
「えー? 残念だなあ。僕はもっと君と溶け合いたいんだけど」
彼は、こてんと首を小さく傾げている。
それを可愛いと思ってしまうのは、惚れた弱みだろうか。
「メルティアはどうしたい?」
ほら。やっぱり、そう聞く。
彼はわかっているのだ。自分がこの言葉に弱いことを。
それでも、これで絆されてはいけない気がして、彼女はエヴァンを軽く睨んだ。
「……変な意味は無いと仰ってましたよね?」
「もちろん。でも……そうだな。君があまりにも可愛かったから……欲が出たみたい」
メルティアは思わず目を見開いた。
いつも余裕のある彼から溢れた本音が、胸に染み込んでゆく。
「……ずるいです」
「それで?」
「今はだめです」
「そっか。残念」
エヴァンは目をそっと閉じた。
どうやら、これ以上は言わないらしい。
それはそれで、なんだか面白くなくて。
(……本当に引いてしまうの?)
そう思うと、今度は自分から触れたくなった。
メルティアは彼の頬を両手で包み込む。
「……もう少し休んでからです」
エヴァンは目を丸くさせ、しばらく無言になった。
やがて、小さく息を吐く。
「……君も大概だよ」
その反応に気分が良くなり、メルティアは笑みをこぼした。
「でも嬉しいな」
「嬉しい……ですか?」
「君が自分の意見を言えるようになったみたいで」
エヴァンは目元を和らげると、頬を包んだままのメルティアの手に、そっと自身の手を重ねた。
柔らかな手つきに、まるで自分が彼の宝物にでもなった気がする。
「……エヴァン様だからです」
なんだか恥ずかしくなって、視線を逸らす。その様子をエヴァンはじっと見つめていた。
「……やっぱり今はダメ?」
「だめです」
気温が徐々に涼しくなっていく中、二人はお互いに笑い合った。
二人の間に流れる空気は、どこまでもあたたかかった。
今回、割愛したシーンは次のエピソードを見てみてね。
中々、攻めたので苦手な方はここで完結としても読めます。




