悪女の毒茶②
――ねえ、メルティア。どうしたい?
想像していたよりも優しい声に、メルティアは呆然と彼を見上げた。
けれど……これは何の質問?
しばらく考え込むように黙り込んだが、やがてごくりと息を呑む。
「……私は、殿下に毒を盛りました。如何なる処分も受け入れます」
言葉にした瞬間、無言の時間が流れた。
エヴァンは視線を落とし、顎に手を当て考え込むような仕草を見せている。
(彼の望む答えではなかった?)
なんて言えば正解なのだろう。メルティアは無意識に思考を巡らせる。
すると、しばらく黙り込んでいた彼は、言葉を選ぶように顔をこちらへ向けた。
「……メルティア。君は脅されていたんだよね?」
もしかして、彼は自分に慈悲を施そうとでもしている?
だけど、自分それを受け取る権利など、どこにもない。
「いえ。私はこの国の王子に害を与えたのです。決して許されることではありません」
「……ふぅん。まあ、それでもいいけど」
「はい。私は……覚悟できています」
「君が、罪人として裁かれたいならそうする。ただ、一生僕の部屋から出られないことになるけど」
「…………え?」
言葉の意味が一瞬理解できなかった。
(一生……僕の部屋から、出られない……?)
困惑の色を浮かべるメルティアとは対照的に、エヴァンはどこまでも柔らかく微笑んでいた。
この状況で微笑む姿に、一瞬背筋に何か冷たいものが走った。
すると、彼の手がメルティアの顔へと伸ばされ、あたたかな手が彼女の頬を丁寧に支えた。
「ねえ、メルティア? 君は、公爵に無理矢理従わされてたんだよね? 僕はわかってるよ。それなら君は無実になれるんだ」
さっきの言動は聞き間違いに違いない。彼はいまだに自分に慈悲を施そうとしている。
「い、いえ……! 私は実際に――」
「――いや? 脅されてたんだよね? 大丈夫、僕は怒ってないよ」
言葉を遮られ、メルティアは言葉に詰まらせた。
「まあ、別に裁かれたいならそれでもいいよ。僕の部屋に囲うだけだし」
まるで世間話でもするかのような口調だ。
そんな彼の様子を、メルティアは呆然と見つめていた。
「でも、それじゃ息苦しいでしょ? 僕は今、君に選ばせてあげてるんだよ?」
そこまで言い終えると、彼はメルティアを覗き込むように、首をこてんと傾けた。
それが妙に色っぽい。
メルティアはごくりと息を呑んだ。なぜだか彼から視線を逸せなかった。
答えない彼女を見て、エヴァンは手をそっと彼女の頬から離した。
「だけど……そうだな。僕は君以外と結婚するつもりがないから、君が罪人になると僕は一生独身ということになるね。王子だし……さすがに継承権はなくなるかな。まあ、僕にとってはどうでもいいけど」
そして、彼は再び壊れ物でも扱うように、彼女の頬を包むと、メルティアの顔を覗き込んだ。
「――ねえ、どうする? メルティア?」
「それは……私に選択権はあるのでしょうか」
「ん……? 何を言っているの。もちろんあるよ」
どうやらエヴァン様は私に選ばせたいらしい。
今まで自分が思い描いていた彼の姿は幻想だったとでもいうのだろうか。
ここまで言われても、いまだに状況が理解できない。
「そんなに不安そうな顔しないで? 僕は責めてないんだから。大丈夫、僕は分かっているから。君は僕のことが――大好きだもんね?」
その瞬間、心臓が急に早鐘を打ち出した。
「だから許してあげる。どう? 安心した?」
彼はあくまで穏やかに、自分に選択を委ねている。
でも明らかに選択を誘導されているのもわかる。
でも、それさえも今まで父に逆らえず選択肢など存在しなかったメルティアにとっては、喜ばしいものだった。
けれど、実際に毒を盛ったのは事実なのだ。
それは、たとえ脅されていようと変わることのない現実。
だけど、そうすれば彼は王位継承権すら放棄すると言っている。
(それだけは……だめ)
彼が王子として努力している姿を、私はそばでずっと見てきた。
彼の人生を振り回すことなんて、出来るわけがない。
これは脅されたわけじゃない。自分で決めたのだ。
――だって、私はエヴァン様が大好きだから。
「……エヴァン様のおそばに、ずっといますわ」
「そう。うん、いい子だね。君ならそう言ってくれると思っていたよ」
エヴァンは、メルティアの頭を撫でながらひどく穏やかな笑みを浮かべた。
◇
「エヴァン様、これではお茶が淹れづらいです」
「大丈夫。メルティアなら出来るよ」
午後のティータイム。室内には柔らかな陽光が差し込み、穏やかな時間が流れていた。
けれど、メルティアの胸中は騒がしくて仕方なかった。
なぜなら、エヴァンが彼女を膝に乗せ、いつものようにお茶を用意させようとしていたからだ。
メルティアの手にはティーポットが、しっかりと抱えられている。
エヴァンが大好きな彼女は、彼から甘えられるようにおねだりされては、断る術がない。
(き、緊張してはだめよ……! これはただのお茶なのだから……!)
彼女は腕を僅かに震わせながら、ティーポットを持ち直した。
その時、ふと脳裏に疑問が浮かぶ。
「……エヴァン様。ひとつ伺いたいのですが、私が毒を入れていたことを初めからわかっていたのでしょうか?」
「え? 今それ聞く? ほら、誤魔化さないの。僕は君のお茶をとても楽しみにしているんだよ?」
彼はにこにこと微笑みながら、再度お茶を要求した。
質問に答える気はないらしい。
彼のことを軽く睨んでみたけれど、彼の表情が変わることはなかった。
メルティアは諦めることにした。
「…………わかりました」
メルティアは、もう一度ティーポットを持ち直し、傾けようとした瞬間――。
エヴァンは、彼女の耳元へ顔を寄せた。
そして、メルティアが避けるよりも早く、彼は彼女の耳を咥えた。突然の触れ合いに身体がぴくりと震え、漏れるように変な声が出てしまう。
「……っ、エ、ヴァン……さまっ」
メルティアはエヴァンに訴えるように、なんとか声を絞り出したが、彼は決して離そうとはしない。
その行為の意味を問いただしたくなるくらい、求めるような執拗な動きに頭がぼうっとしてきた。
逃げ出そうと身体を捩れば、彼の腕によって強引に引き戻される。
メルティアが抱えていたティーポットは、いつのまにか彼の手に渡り、テーブルに置かれていたことなど、彼女が気にする余裕はなかった。
静かなはずの空間に、二人の吐息だけが響いていた。
すっかり抵抗できずにいると、彼は彼女の耳を開放し、不意に吐息を吐きかけた。
「ねえ、お茶は用意してもらえないの?」
やけに低い声が耳元に落ちて、もうどうにかなってしまいそうだった。
「エヴァン様……っ」
「ほら。お茶が冷めちゃうよ?」
「……それとも、僕のことが気になって淹れられない?」
「……続き、してもいいよ?」
エヴァンはわざとらしく耳元へと声を落とし続けていく。
そのせいで余計に昂ってしまった気持ちを振り払うように、メルティアは彼の膝から降りた。
彼女は彼の瞳を拗ねたように見つめたが、彼の微笑みが崩れることはなかった。
そしてしばらく彼を睨み続けたが、諦めたように再びティーポットを手に取る。
その様子を静かに見ていたエヴァンは、自然な動きでメルティアの腰を引き寄せた。
「大丈夫。ゆっくりでいいから」
「うん。そう。上手だね、メルティア」
……わざとやっているのだろうか。
まるであやされるように、優しい声が耳に響いていく。
「……もう、大人しくしてください」
再び彼女はエヴァンを睨むが、彼の口元は満足げに弧を描いていた。
「ふふ。やっぱりメルティアはかわいいね」
彼は、メルティアの方へ向き直すと両手で彼女の腰を支えた。
「さっきの答えだけど……僕は君が大好きで、君も僕が好き。これで十分じゃない?」
そして、覗き込むように顔をぐいっと彼女の方へと近づけた。
「メルティアは違うの?」
メルティアの腰に添えられた手が、さらに彼の方へと引き寄せられる。
これ以上は抗えようもないし、それは何も違わない。
メルティアはふっと口元を緩ませた。
「……いえ、そうですね」
「ふふ」
彼は満足そうに微笑み、メルティアもお茶の用意を再開した。
ティーポットから紅茶が注がれる様子を、彼は終始愛おしそうに見ていた。
「ずっと不思議だったんだよね」
「不思議……ですか?」
「うん。だから、君が何を考えているのかずっと観察していたんだ。ずーっと、ずっとね」
目を閉じながら、柔らかい表情をするエヴァンをみて、メルティアは息を呑んだ。
「そうしたらね――なんだかものすごく君のことが大好きになったみたいだ」
まるで少年のように笑う彼をみて、思わず目を奪われた。
「…………っ」
メルティアは言葉に詰まらせてしまったが、動揺を隠すように、注ぎ終わったティーカップを彼の前へ置いた。そして、呼吸をひとつ整える。
「私も……大好きです」
「うん。知ってる」
そして、彼がカップを手に取り、紅茶をゆっくりと口に含んだ。
その動作をみて、メルティアも目元を和らげた。
「うん。今日もおいしいね」
――今はもう、婚約者とのティータイムは大好きな時間だ。
本編完結。
残りはエヴァン視点+後日談です。
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