悪女の毒茶①
今日は雲ひとつない快晴だった。
庭園には、色とりどりの花々が綺麗に咲き誇っている。
けれど、その華やかさが自分自身を嘲笑っているように、痛いほどの美しさに感じてしまう。
そんな中で、メルティアはティーポットを慎重に傾ける。
(ふ、震えてはだめよ……!)
震えそうになる手を必死に堪えながら、努めて冷静を装い、紅茶を注いだ。
――婚約者とのティータイムはいつも緊張感に満ち溢れている。
そんなメルティアとは対照的に、婚約者であるエヴァン第一王子は普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。
「今日のお茶も楽しみにしているよ」
エヴァンはそう言って、メルティアの手元へ静かに視線を落とした。
ティーポットから注がれる紅茶を、じっと見つめている。
その視線に、メルティアの鼓動はより一層速くなる。
(動揺してはいけないわ……)
彼に自分の胸中を悟られることなど、あってはならない。
メルティアは紅茶を注ぎ終わると、ティーカップをエヴァンの前にそっと置いた。
食器を置くだけの音が、妙に響く。
「……どうぞ」
「ありがとう」
エヴァンはカップを手に取ると、香りを確かめるように一度だけ鼻を近づけた。
それから、何のためらいもなく口をつける。
それを、メルティアは傍から見れば不自然なほどに、食い入るように見ていた。
「……うん。おいしい」
そう言って、彼はいつものように穏やかに微笑む。
カシャンとティーカップが小さく音を立てて置かれるとともに、張り詰めていたメルティアの心がふっと和らいだ。
(よ、よかった……! 今日も死ななかった……!)
◇
エヴァンとのティータイムを終え、メルティアは公爵家へ戻った。
しかし、メルティアにとって公爵家は気の休まる場所ではなかった。
屋敷へ足を踏み入れるや否や執事から声をかけられる。
「ノートン公爵様がお呼びです」
「わかったわ」
(……はあ。今日は何を罵倒されるのかしら)
父の書斎へ向かうと、開口一番に冷たく詰め寄られた。
「――また、失敗したようだな」
「……申し訳ありません」
父はゆっくりと立ち上がると、軽く頭を下げたメルティアの元へ近づいた。
「本当に任務を遂行する気があるのか? あの王子、ずっとピンピンしているじゃないか」
「もちろんです。すぐに倒れられては、人々に疑われてしまいます。これは家のためでもあるのです」
「ふん。まあ、いい。今日はそういうことにしてやる。今日の私は機嫌がいいからな。今日の食事が抜きくらいで許してやろう」
「……はい」
父の書斎を出たメルティアは、重い足取りで自室へと向かった。
――メルティア・ノートンは、父から婚約者である第一王子の暗殺を命じられている。
メルティアは自室へ入ると、真っ直ぐにベッドへ向かい、勢いよく倒れ込んだ。
(そんなこと……できるわけがないわ)
メルティアにとってエヴァンは初恋の人だった。
社交界に慣れていない頃、エヴァンはメルティアをそれとなく人々の輪へ引き入れてくれた。
誰にでも分け隔てなく、優しい王子様。
きっとあのとき彼の行動には、特別な意味などない。
それでも、メルティアにとっては違った。
婚約者になれたと知った日は、天にも昇るような気持ちだった。
だけど、その喜びはすぐに崩壊することになる。
この婚約は父が仕組んだものだった。
表向きは第一王子を支持していた父だったが、実際には側妃の子である第二王子を次の王にしようとしていた。
予想以上に優秀だったエヴァンを排除するため、父は彼の暗殺を決めた。
そして、その役目を命じられたのがメルティアだった。
父は残酷な人だ。逆らえば、娘であろうと無事ではいられないだろう。
それでも、メルティアにはエヴァンを殺すことなど、到底できるはずもなかった。
(大好きな人を殺せる人が、どこにいるのよ……)
かといって、父に反発する勇気もなかったメルティアが選んだのは――。
死なない程度に、エヴァンに毒を盛ることだった。
本当は毒など、入れたくはない。けれど、定期的に渡された毒の残量を調べられるのだ。
メルティアには常に監視もついており、毒を捨てることもできなかった。
だから私は――今日も婚約者へ毒を運ぶ。
◇
「うん。今日もおいしい。いつもメルティアは僕の好みを考えてくれているね。ありがとう」
「……いえ、とんでもないです」
今日もいつものティータイム。
内心、全く落ち着かないメルティアと変わらず穏やかに微笑むエヴァン。
好きな人との時間なのに、心が踊るどころか罪人にでもなった気分だ。
……実際、罪人なのだけれど。
優雅にティーカップを傾ける仕草に、目を奪われそうになる。
エヴァンが紅茶を飲み込むと、ごくりと小さく喉が鳴った。
それでも、彼の瞳は輝きを失わない。
(よかった……。今日も無事だわ……)
けれど、安堵した直後に胸をよぎるのは、別の願いだった。
――早く自分の罪が暴かれて、罰せられますように。
彼が、本当に死んでしまう前に。
この愚かな恋心は、決して見せてはいけないのだ。
◇
メルティアは、エヴァンとのティータイムを重ねながら、彼にお茶を注いだ。
父から命じられた毒物は、ごく微量に。慎重に。
エヴァンは相変わらず穏やかだった。
もしかすると、王族には毒への耐性があるのだろうか。
それでも口に出してしまえば、父から責められるだろう。
だから、メルティアは知らないふりをして口を閉ざした。
――いつか彼に罰せられる日を待ち望みながら。
けれど、メルティアの小さな願いは、いとも簡単に崩れ去る。
「メルティア……いい加減にしろ。時間がかかりすぎだ」
「いえ、着実に毒を少しずつ入れています。地味に見えると思いますが――」
言い終える前に、父に首元を掴まれた。
「いつも同じ言い訳ばかりするな。お前の代わりなどいくらでもいるのだぞ?」
「お、おとう……さ、ま……っ」
父の手に徐々に力が込められ、喉元を圧迫する強さに、メルティアは意識が遠のきそうになった。
――これはさすがに死ぬのかもしれない。
彼女の瞳から、輝きが消えてゆく。
どうせなら……エヴァン様に罰せられたかった。
けれど、愚かな自分の望みなど神も聞き入れてはくれないのだろう。
そう思った瞬間、自身を嘲笑うようにメルティアから乾いた笑いがこぼれた。
その時だった。
扉が勢いよく開かれ、驚いた父はメルティアを掴んでいた手を離した。
メルティアは床に倒れ込むと、勢いよく咳き込んだ。
「……ごほっ」
一体、何が起きたというのだろうか。
扉の方へと顔を向けた瞬間、息が止まった。
そこにいたのは、エヴァンだった。
普段の穏やかさが嘘のように、ひどく冷たい目。
薄暗い空間に似つかわしくないほど、太陽のような金髪を靡かせていた。
「何をしているの?」
「で、殿下……。これは……なんでも――」
この状態で、なんでもないは流石に無理がある。
けれど、焦っている父の顔など初めて見た。
どう考えても絶望的な場面だが、メルティアはまるで他人事のように、目の前の二人を静かに見つめていた。
「まあ、続けて? 何も無いなら続けられるよね?」
その言葉に父は固まってしまう。
すると、エヴァンはふっと冷たく笑った。普段の彼からは想像もつかないほどの冷酷な微笑みだった。
「何? その程度なわけ? ……まあ、公爵。あなたには王族殺害未遂の容疑がかかっている。着いてきてもらうよ」
父は抵抗する間もなく、エヴァンの連れた騎士たちに連行されていった。
急に静けさが落ちた空間には、メルティアとエヴァンだけが残された。
―― 自分もまた、エヴァンに毒を盛った罪人なのだ。
普通の人から見れば、状況は最悪だろう。
でも、自分にとってはずっと待ち望んだ瞬間だった。
(……やっと、解放される……)
愚かな自分は父にも反抗できず。かといって好きな人を守る甲斐性もなかった。
できたことといえば、毒の量を少しずつ減らすことだけ。
顔を伏せていたメルティアは覚悟をきめ、ゆっくりと顔を上げた。
見上げれば、先ほどよりも温度の落ち着いた彼の表情が目に入った。メルティアは思わず息を呑む。
(綺麗な人……)
こんな状況でも、やっぱり彼は眩しい。
ずっと好きだった。
だから、彼によって裁かれるのであれば、何もいうことはない。
罪人である自分に残された、唯一の望みだったから。
しばらく無言でエヴァンはメルティアを見下ろしていた。やがて軽く息を吐き、ゆっくりと彼女の元へ歩き出した。
彼は彼女の前まで来ると、その場で静かにしゃがみ込む。
彼の静かな瞳を、メルティアは食い入るように見つめた。
「ねえ、メルティア。どうしたい?」




