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アマーリヤが社交界に疎いことは、グリースにとっても有益だった。
なぜなら、他の令嬢と比べてかなり遅く令嬢教育を始めた設定のグリースは見下されがちで、この前の茶会と同様、悪い意味で注目される可能性があるからだ。それを知っていたら、アマーリヤはエスコートを受けなかったかもしれない。
男爵は知っていてアマーリヤを送り出したのか、判断がつかないが。
馬車が到着し、アマーリヤのエスコートで降車する。
ところでアマーリヤは切り替えがうまい男のようだ。
馬車の中では散々堅物上司と騎士団の不平不満、デビュタントでの酒や料理の期待を漏らしていたが、客室のドアが開いた瞬間、姿勢は正しく、エスコートもマナーどおり、ましてや閉口まで成し遂げている。
「その変わりよう感心する」
「一応な」
「騎士って正装するときは剣なくていいの?」
「オレは剣いらないの」
「あっそう」
互いにしか聞こえない声でぶつぶつ言う。
このくらいがちょうどいい。
畏まらず、窮屈でなく、気楽な人柄。
会場は広く、高く、きらびやかだ。
眩しくてどこにも焦点を当てられない。
それらすべてがシャンデリアや、身に付ける宝石や、酒の入ったグラスから放たれた輝きに他ならなかった。
皆、自分のことに夢中でグリースが入場しても誰も気にしない。
よかった。
これで国王陛下に挨拶をすれば帰れるだろう。
「あ、お酒配ってるよ」
「よっしゃ! こういうパーティーってあんま来たことねえんだよなぁ。兄貴らだけでさ。何杯でも飲んでいいのかな」
「飲んでもいいけど、絶対吐くなよ。次は送らねぇからな、マジで」
「大丈夫、大丈夫。あの日は疲れてただけ。今日は朝寝坊もしたし、めちゃくちゃ元気」
ひょいとグラスを取っていっきに飲み干すアマーリヤ。すぐに次のグラスを手に取る始末。
他の令嬢のエスコートよりも頭ひとつ分、背が高いからか、髪色か、端正な顔立ちのせいか、アマーリヤは他者よりも目立つ気がした。周囲の令嬢たちも心なしかアマーリヤを見ている。
それから程なくして国王、王后両陛下の入場があり、開催の言葉、音楽の始まり、各令嬢の呼び出し、カーテシーと挨拶、そして陛下からの激励が始まった。
「──グリース・ディシェンブル公爵令嬢」
呼ばれ、アマーリヤのマナー通りのエスコートで歩み寄り、途中からはひとりで向かう。
両陛下の正面でカーテシーを執った。
ここで国王陛下が他の令嬢たちと同じく祝いの言葉をかけてくれるはずなのだが──沈黙が始まった。
グリースは眉ひとつ動かさなかった自信があるが、思考回路は凄まじい仕事をしていた。
なんだ?
なにが違う?
カーテシーは完璧なはず。
化粧もドレスも最低限のルールは守っている。
マナー、ルールは間違っていない。
名を呼ばれたから招待されていないこともない。
このままではカーテシーをとけない。
面をあげ、顔を見ることもできない。
「え? え、あ、も、もう一度、名を教えてくれぬか」
陛下が言った。
一拍置いた。司会ではなくグリース本人に言ったのだった。
察して、すぐに名乗った。
「目を、見せてくれ」
他の令嬢と明らかに対応が異なる。
なぜ?
公爵がうまく設定を作ったはずなのに、なにかが抜けていたのだろうか。
なにを疑われている?
グリースは陛下の真意を探ろうと、ゆっくりとその目に目を合わせた。
陛下は口をぽかんと開けている。その隣の王后まで、まったく同じ顔だ。背後に控えている王太子まで。
とうとう3人は顔を見合わせた。
「公爵令嬢、き、きみ、乗馬はするか? 護身術は──あ、いや、まずは成人おめでとう。これからの発展を祈る」
「ありがとうございます」
カーテシーをとき、その場を離れる。
振り返ると、アマーリヤが不思議そうな表情で腕を差し出してくれていた。
「なに、今の」
「わからん。なんだか嫌な予感がする。帰ろう」
「まだオレなんにも食ってねえんだけど」
「あー、もう。早く食えよ」
◇
モラダはアマーリヤの後ろ姿を見た。
いつになく社交界の正装を着付け、髪型も整えられ、背中を見ただけで彼をアマーリヤとわかるのは、自分の護衛として傍に置いているモラダ以外にはいないだろう。
四男という位置を考えるに、下手をすれば家族よりもモラダはアマーリヤを傍に置いている。
勿体ない。
彼にはその言葉がよく似合う。
彼は騎士に必要な体に恵まれ、剣の才能もあり、本能的な回避能力もあり、体術にも優れている。
しかし、なにせ芽が出ない。剣の才能はあるのにうまく体の動きと馴染ませられずに、洗練されていない。味方を傷付けてしまったり、物を破壊する場面が多くある。
だから本人は剣を持ちたがらない。
劣等感もあるのだろうが、騎士たるもの常に帯剣すべきなのに日常のほとんどを剣なしで動いている。
騎士団の中でも一際目立つ体なのに、一際目立たない。
認知されておらず、もう何年も騎士団に在籍しているのに、仲間に顔と名前すら覚えてもらえていない。
弱すぎるのだ。
騎士としての目的がないから。
家にいてもやることがないから。四男で家を継ぐこともないから。妻を娶るのも億劫だから。のらり、くらり。
なにかを守るための騎士道はなく、心のどこかで全てを面倒だと感じており、いわゆるやる気がない。あの状況では現場に出すことすら危ういだろう。死にかけて、生きようともがくのではなく、もういいかと容易く死んでしまいそうだった。
だから傍において、フォローしつつ、実力をさらに上げて自信を付けてもらいたかったのだが。
このまま結婚してしまったら、自分の持つ力に気付かずに騎士団を辞めてしまうのではないだろうか。
婚約者に、アマーリヤに騎士団を辞めないよう進言してほしいと頼むか。そのためには、誰のエスコートをしたのかを知らなければなるまい。
しかし、アマーリヤの体の影に令嬢は隠れてしまっていた。
アマーリヤの所々に光るサファイアと同じ色のドレスの裾が見えるだけだ。
(随分と早く帰るな……?)
理由はどうであれ、今、話し掛けるのは不躾だろう。もしかしたら令嬢の体調が悪くなったのかもしれないし、明日にでも相手が誰なのかを聞くことにしよう。
モラダはアマーリヤと令嬢が馬車に乗るのを見届けることなく、見回りを再開させた。
◇
「おい、モラダ!」
肩で息をする兄──つまりは王太子が慌てて駆け寄ってきたのはそれからすぐだった。
次期王とは思えない焦りようである。
膝に手をついて息を整えるのを待って、モラダは問うた。
「なにがあったんですか、王太子殿下」
「礼節を重んじてる場合じゃない! 陛下が、見つけたぞ!」
「……なにを?」
「結婚相手!」
「……誰の?」
「お前以外に誰がいるんだ!」
「冗談言わないでくれ」
「本当だって! 私も実際に見た! モラダが言ってた理想の令嬢が現れたんだよ、さっき! デビュタントで! 髪は落ち着いた灰色で、短め、背が高くて、すらりとしてて、ドレスも派手でなく、アクセサリーはほとんどつけていない! モラダが嫌いな媚を売るでもない! しかも目が三白眼の切れ長! 完璧だろ!?」
「……冗談言うな」
「グリース・ディシェンブル公爵令嬢だ! 家柄もぴったりだって言って、速攻で調べさせたら婚約者もなし、この機会を逃すものかって父も母も躍起になって、パーティーの最中だっていうのに公爵家に婚姻申し出の手紙を書き終えたところだ! 今頃、馬に乗って手紙が運ばれてるに違いない!」
兄は穏やかな人柄だ。
言うことは言う。しかし悪意を持って人を騙すことはなく、真正面から過ちを正そうとする真っ直ぐな人だ。
幼少期から見ているため、その人柄について誤りはないと誰よりも知っている。
「冗談……じゃないのか」
確かに過たず理想を語ったのだが、まさかそんな人はいないと思っていたせいで、実際に現れたとなると俄には信じがたい。
ディシェンブル公爵家──。
確か、流行り病で、貴族の中ではかなり多くの跡継ぎを失ってしまった悲劇の家門だ。まだ令嬢がいたとは知らなんだ。
「……俺が、結婚?」
現実味を帯びると、なんだかむず痒い。




