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脂とソースがべったべたと、頬と服と首と髪に付着する。
店員と客の手助けもあって、ようやくアマーリヤを背負えたグリースは、やはり店員と客が教えてくれた騎士団宿舎への道のりをとぼとぼと歩いている。
「ふざけんなよこの男……」
世間を騒がしてるスキャンダルだとか、不倫だとか、街の様子だとか、そういう生きた情報を集めたかったのになにも手に入らなかった。
時間を無駄にしただけだった。
しかも金を払ったのはグリース。
そして重い。
さすがに騎士団だけはあって体も大きく、かつ鍛えているためにかなり重い。ほとんど腰を曲げて地面を眺めながら歩かなくてはならなかった。
(ええと、この大通りに出たらあとは真っすぐか)
とぼとぼ。
なんだか腹が立ってくる。
こんな展開は予想外すぎる。
「もう起きてくれよ。アマーリヤ、起きろ!」
たゆまぬ鼾のクラシック。
舌打ちしても、虚しく消えていくだけ。
こんなとき監獄であれば職員達がわらわらと助けに来てくれるのに、街の人というのはやはり他人だから見て見ぬふりをする。
どっちもどっちだな、というのが正直な感想だった。
華やかなのかもしれないが結束はなく、不便はないかもしれないが、敵が誰かわからない。
ふと視線を上げると、アマーリヤと似た制服の門番が立つ立派な門が見えた。
あそこに違いないだろう。
やっとの思いで辿り着いた。
「この人、引き取ってください」
息も絶え絶えで言うと、門番は顔を見合わせた。
項垂れているアマーリヤの髪を鷲掴みにして上向きにし、またすぐに戻す。
「知ってるか?」
「いや、見覚えがないな……。でも着てるのは間違いなく制服だな。どうする?」
「どうするって言っても、制服を着てるからって信じて中に入れてスパイだったら大目玉だぞ」
「困ったな……。訓練兵かも。詳しい人間を呼ぶからちょっと待っててくれ」
いや、とりあえず受け取ってくれ。
もうその場でアマーリヤを打ち捨ててしまおうかと思ったとき、背後から馬の足音が近付いてきた。数頭いるが、振り返る余力はない。
「……アマーリヤか?」
ぱっと振り仰いだ。馬の腹しか見えなかったが、どうやらアマーリヤを知る男が来てくれたらしい。助かった。
「俺の護衛だ。受け取ってやってくれ」
助かった。
マジで助かった。
門番が慌ててグリースからアマーリヤを引き剥がそうとするも、アマーリヤはグリースの服を掴んで一向に放す気配がない。
「おい、アマーリヤ、着いたぞ! 放せ!」
放さない。
門番がさらにアマーリヤを強く引いたとき──。
アマーリヤがグリースの背中で嘔吐した。
◇◆
最悪だ。
本当に最悪。
髪も服も吐瀉物まみれ。なんなら手も首も。襟から入り込んだ吐瀉物が背中まで流れているのがわかる。
ここは第3騎士団宿舎の浴室である。
惨状を目の当たりにした騎乗した男が案内してくれた。どうやらアマーリヤがくだを巻いていた例の上司ご本人らしいが、ぶっきらぼうなのは間違いない。
「俺の服しかないんだが、使ってくれ。置いておく」
「どうも」
返事も気が抜けてしまう。
廃棄用の籠を貰い、その中にすべての服を投げ入れ、頭から湯を被りまくり、備え付けの高そうな石鹸をこれでもかと使いまくって、ようやく匂いが消えた気がする。
ぶかぶかの団服を着て浴室を出ると、上司が待っていた。
改めて観察した。
黒に見える濃い紫の髪に、瞳はアメジスト色。
色白でアマーリヤよりもやや背が低いかもしれないが、かなりの長身。目つきが鋭く、口も眉も一文字。
厳格そうな性格は団服をきっちりと着付けているところからも伺い知れた。
「部下が失礼した」
「大丈夫です。では、私はこれで失礼します。服は近いうちに返しに来ます」
「いや、送ろう。金も渡す。服も弁償する」
「いりま──」
(金は貰っておくか)
ごそごそと吐瀉まみれのズボンのポケットから勘定の控えを出した。
「今日の勘定分はこれに書いてあります。服は値段がわからないので、適当に見積もってください。服を返しに来たときにお金を貰います。では」
「送る。服も頃合いを見てアマーリヤに向かわせる」
公爵家に?
しかし公爵家の跡取りが次々と死亡したのは噂で回っているはずだ。近い未来、生き残りのグリースが唯一の公爵令嬢として社交界デビューするはずではあるが、そこにグレンがいたらおかしい。
つまり、家に来られては困る。
「不要です。では」
今度は呼び止められるのを待たずに歩を進めた。
勝手にドアを開け、記憶しておいた廊下をすたすたと歩く。
なぜかアマーリヤいわく面倒な上司のモラダも追従してくるのだが。
足の長さが違うからだろう。
グリースは早歩きをしているのに、モラダは至って平静に付いてくる。
「送ると言っている。馬車が苦手なら馬はどうだ? 貴族のご子息だろう、乗馬くらいできるはずだ。名はなんという?」
偽名を名乗った。もちろんファミリーネームは伏せた。
「なぜ家門を名乗らない? 貴族ではないのか?」
「名乗ったらアマーリヤが家に来るってわかってるのに、名乗る馬鹿はいませんよ」
「名乗って家が知られるということは貴族であるのは間違いなさそうだ。しかし、ならばいっそう詫びをせねばならない。」
「いらない。しつこい」
いくら王族とはいえ、過分な礼は鬱陶しい。
広大な敷地を抜け、門に辿り着く。
「開けてくださ──」
「開けるな。命令だ」
しかしモラダが命じたせいで門番は門を開けてくれなかった。
「最悪だ」
思わず口から漏れてしまう。
「最悪? 今、俺に最悪と言ったのか?」
「帰してください」
日が暮れかけている。
さすがにクソ親父の堪忍袋の緒が限界だろう。奴の躾に従うわけではないが、怒鳴り声が面倒くさい。
太陽の高さを気にしたことをモラダは気付いたらしかった。
グリースは太陽を見続けているふりをして門を観察した。
鉄格子が縦に並んだ質素な作り。中央には門の見開きを中心とした国章が象られている。門の先端には鉄槍。鉄槍は古く、黒くて円くなってる。隙間がないくらい、がっちりと閉じられた鉄扉。
国章までは2メートル弱。
閂は内側から施錠できるようになっていて、門番側からは施錠設備がない。
閂は片扉に引っ掛かったままだ。
スパリン監獄では考えられない。
門番のいない内側からの突破を想定されていない。
「あの服はかなり上等なものだ。侯爵か、あるいは──」
グリースはもうなにも言うまいと決めていた。
瞬時に動いた。
閂を足掛けにして垂直に飛び上がり、次に国章を足蹴にする。
隠し持っていたナイフを門の隙間に突き立てれば、最後の足場になってくれた。
あとは鉄槍を握り締め、ぐるりと体を回転させればグリースはもはや門の頂上にいた。
間髪入れずに門を蹴りつける。
着地。
衝撃を逃して前転、立ち上がりざまにそのまま駆け出した。
「おい!」
追ってはこられまい。
門番は任務を全うしなければならないし、モラダは馬もない。馬を用意している間にグリースは先に行くし、駆け足で追いかけてきたとしてもグリースには捕まらない自信があった。
スパリン監獄での脱獄訓練時、グリースはいつも脱獄囚役だった。
それはその身体能力を買われていたからだ。




