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つまりは、跡取りが誰もいなくなってしまったから、手っ取り早くグリースをどこぞの貴族の男と結婚させ、公爵位を男に継がせつつ、子ども産んでほしいという話だった。
(へえ。そんな病気が流行していたのか)
監獄は閉鎖空間だ。
ましてやスパリン監獄はド田舎のド田舎で、首都からは馬車を走らせて数カ月の距離がある。都会で流行した病の知らせやが病そのものが届かないのも無理はなかった。
まだ公爵がなにかを熱心に語っている。
家庭教師をつけるだとか、髪を伸ばせだとか、服を仕立てるだとか、ウィッグを購入するだとか、社交界に出るだとか、口裏を合わせるだとか。
しかしグリースは聞き流して、ずっと風景を眺めていた。
部屋にある荷物はほとんどが監獄からの貸与品で、私物はない。今着ているこの服も、支給された監獄職員のための制服である。
ああ。
母親に勝手に産み堕とされた挙句、夜にはひとりで過ごし、まともな教育も躾もなく、ただ食べるものには困らずに生きていたあの数年が一番気楽だった。監獄で生きるよりも、もちろん。貴族として生きるよりも、もちろん。
父親に求められていなくたって、母親が自分の誕生を喜んだのが金の無心ができるただのネタに過ぎなかったからって、誰にも慈しまれたことがなくたって、別に監獄での暮らしは嫌ではなかった。しかし母との二人暮らしは気楽で悪くなかった。少なくとも目を抉られることを恐れて体を鍛える日はなかった。
これからは窮屈な思いをするだろう。
想像を絶するほどに。
ああ、嫌だな。
「おい、聞いてるのか!?」
「うるさいな。別にこっちは逃げたって構わないんだ。どっちが上の立場か、わかってないのはそっちじゃないのか? あんたの勝手に付き合ってやってんだ。少しは黙ってろよ」
顔を真っ赤にして押し黙る公爵が視界の端にいる。
ゆっくりと流れていく風景。
座席に足を乗せると、公爵が目を見開いて口をあんぐりとしたのがわかった。
どうせこれから人前で取り繕う人生が始まる。
自分の本性を知っている人間の前では、好き勝手させてもらおうじゃないか。
◇◆
ところで、公爵家での生活はというと、監獄育ちが非常に役に立った。
決められたことを決められたとおりに、決められた時間に実施する。
起きて、身支度を整えて、家庭教師に習ったことを言われたとおりに実践するだけで公爵が鳩が豆鉄砲を食らったように驚き、これはいい拾い物をしたとにやけるのだから儲けものである。
だだっ広い屋敷には、違和感を抱くほど人が少なかった。
公爵、グリース、そして顔を見せない愛人と、それらに仕えるものたち。
主の一族が少ないものだから、働くものもやはり少ない。
ダンスや作法の練習時以外には男物の服を着付けているせいで、使用人たちのグリースへの対応も定まらず、馬鹿にもされず、また尊敬すらもされない。
「どこに行くんだ?」
出掛けようとすると公爵が目の色を変えて追ってきた。
「別に逃げやしないさ。──今はね。」
「男の格好でどこに行くか聞いてるんだ!」
「変装してるだけ。公爵令嬢とバレないようにね。社交界とやらは会話が重要視されると聞いたから、話のネタを拾ってくるだけだよ」
「女の格好で護衛をつければいいだろう!? 今、人を呼ぶから──」
「出掛けるだけだ。放っておいてくれ」
公爵の制止を振り切って、グリースは単独で街に出た。
目的地や目的はなかった。
暇だから見て回り、飽きたら戻るつもりである。
しかし目論見が外れたのは、様子を窺っていると貴族が入るような店は貴族らしい服装をしているか、店長と顔見知りでなくてはならない。もちろん顔見知りということは常連であり、つまりは貴族そのものである。今のグリースは入れそうもない。
(なるほどね)
広場の噴水の塀に腰掛け、出店で買った串焼きとサンドイッチとジュースをそれぞれ腹に収めていく。監獄では食べられない濃い味の軽食だ。
貴族の女たちは帽子が大きい。生花を帽子に飾るのが流行っているようだ。服の色は花に合わせて淡いものが目立つ。
一方、男たちの服の色は濃く、ハンカチやカフスボタンの色を女と合わせている。髭は剃っている若者がほとんど。逆に老齢は髭あり。
馬車は派手、と。
こういう街での噂好きはどういう店だろうか。
老若男女が通い、饒舌になるところ──食事処か。それも酒が提供される場所。
安くて料理の種類が豊富な店がいいだろう。
探してみて、そこで──。
「あぁー……かったりぃー……」
どかりと音を立てて少し離れたところに腰掛けた男は、若くて上等な服を着ていた。金に近い黄色の髪は整えられ、形のいい額と眉が顕になっている。
男は前髪をあげてセットすることのほうが多いようだ。
男は膝に肘を置き、これみよがしに項垂れている。
そのまま沈黙。
あれは独り言だったのだろう。
近くに側仕えもいないし、連れもいない。
グリースはなにも聞かなかったことにして、めぼしい食事処を探そうと立ち上がった。
「お前、騎士団で働いたことあるか?」
右足を前に出したそのとき、また男が独り言を呟いた。
(……独り言、だよね?)
首だけで振り返ると、独り言とは思えないほど視線はグリースに向けられていて、目と目がかち合う。
黄色の髪は日によく焼けた褐色の肌に映えている。瞳の色は髪と同じく黄色だが、やや色素が薄い。
「話し掛けてる、のか?」
「他に誰がいんだよ」
もちろん噴水の周りを歩く人は多々いるが、立ち止まっているのはグリースと男だけだった。
「もうさ、ムカつくんだよ。やってらんねえの」
「あんたが騎士団? ……騎士のわりには剣なくね?」
言うと、男は気に食わなそうに下唇を突き出した。
「いいんだよ。うまく使えねえし、オレ」
「それは騎士……なのか? 怪しすぎる……」
「やたらめったら壊しちまうだけ!! 怪しくねえよ! とにかく! ちょうど昼飯時だし、飯食わねえ? オレ、いいとこ知ってんだよ。安くて大量! 騎士団御用達のデカ盛り店!」
にかっと笑う男はどこか大型犬を彷彿とさせた。
(やたらに歩くより情報収集には最適だな。店も。──この男も)
「まあ、いいけど」
「よっしゃ! オレの愚痴を聞いてくれるか!? ありがてぇ! 一杯奢ってやる!」
◇◆
「でさあ! なんでオレより強い上司の護衛をしなきゃなんねえの!? 襲撃されたらオレのほうが足手まといになるっつうのにさ! 買い物にも視察にも巡視にも!! なんでオレ!?」
(うるせぇーーー……)
グリースは判断を誤ったことを認めざるを得なかった。
彼は話をしたくてグリースを誘ったのではなく、話を聞かせたくてグリースを誘ったのだ。
ずっと喋りっぱなし。
2時間は経っただろう。
グリースが元々食べられるほうだから飽きはしないが、飲みっぱなしの男はもうへべれけになりつつある。
男は名をアマーリヤと名乗った。
「それはアマーリヤに期待をしてるからじゃないか?」
「違うんだよ! どっちかっつうと劣等生なのオレ! 期待されるような奴じゃねえのよ! なのに休日返上で護衛だぜ? わかる?」
(わかんねえよ)
またアマーリヤが酒をおかわりしようとして、止めた。
「もう止めとけ。ぶっ倒れるぞ」
「嫌だ! なぁグレン! 騎士団を辞めてぇんだ、いい就職先知らねえか?」
グレンとはグリースが咄嗟に名乗った偽名である。
空っぽになったジョッキを奪い取ってテーブルに置く。代わりにピーマンの肉詰めを口に突っ込んでやると、むしゃむしゃと咀嚼を始めた。
「ところで上司は誰なんだ」
「んぁ? モラダっていう堅物人間だよ。王族なの。第三王子」
周囲を窺った。
王族の不敬を問われかねない発言だった。嗜める。
また酒を注文しようとしたので、別の料理を口に突っ込んでやった。
「これ美味しいなぁ」
いきなりヘラヘラと笑うアマーリヤ。
なんだかどっと疲れる気がして、グリースは嘆息ついた。
「もう帰るぞ」
「えぇ!? 嫌だ! もっと喋ろう!」
「もう充分聞いた」
「じゃあ、また今度! 今度また飲もう!」
「はいはい。」
「約束だからな!?」
「はいはい。勘定を──」
店員を呼ぼうとしたところで、ガタンッと大きな音がした。
驚いて見ると、なんとアマーリヤがテーブルに突っ伏して寝入っている。
鼾までかいて、しかもまだ料理が残る皿に顔を突っ込んで髪も顔もべとべとだ。
「あらぁ。その制服、第3騎士団の子だよ。早く連れ帰ってあげないと、第3騎士団は門限が早くて厳しいから『過保護団』って言われてるの」
店員の女性に指摘される。
(連れ帰る? 誰が?)
店内の客からの視線が痛い。
「マジ?」
うんざりした。




