1
ディシェンブル家は公爵の爵位を賜る名家のひとつ。
ひとりの本妻、3人の愛人がそれぞれ女児と男児を複数人産み、皆がひとつの屋敷で暮らし、子孫繁栄と安寧には憂いのない恵まれた家門である。
しかし、いくら爵位が高貴とはいえ作りは皆同じ人間。
首都で大流行した謎の病が終息の兆しを見せる頃には、公爵の跡継ぎはひとりとしていなくなってしまった。
皆、病に伏してこの世を去ったのである。
大半の人は軽症で済むと言われていた病も人によっては重く、不運にも公爵家の子どもたちは重体になりそのままこの世を去った。
公爵と、ひとりの愛人はなんとか生き残ったけれど、もはや、おいそれと子作りに励む年齢ではない。
このままでは家門に誰も残らない不運な公爵家に成り下がってしまった。
傍系に譲るか?
養子を取る?
自分の血が流れていない子どもがこの公爵家を牛耳るなんて反吐が出る。
許せない。絶対に許せない。
残された選択は……!
しかし、その選択肢さえ公爵にとっては耐え難いものだった。
(いずれにしても血が穢されることに代わりはない)
ならば、せめて。
公爵は頭を抱え、髪を毟り、ひとつの答えに辿り着いた。
「あの子を……! あの子を連れ戻さないと……!」
愛人も、我が子を失い、絶望の底にいた。
反論するほど生気はなく、公爵の思惑に従うしかなかった。
◇◆
スパリン監獄は男だけの世界である。
罪の軽重を問わず、また刑期の長短を問わず、広大なスパリン地方一帯の犯罪者を収監する監獄。むしろ、ド田舎のスパリン地方にある唯一の監獄でもあり、その牢屋に空きがあることはほとんどない。
三階建ての煉瓦造りの要塞は、常に重い雰囲気が蜷局を巻いている。
塀は3重。
その間隙には見張りも常駐。
扉も容易には開けられない造りと重さになっていて、スパリン監獄がその役目を担い始めた日から脱獄犯はいない。
まもなく16歳になるグリースはその監獄で男として育てられ、また働いていた。
屈強な犯罪者たちを総括するには穏やかすぎるきらいがある職員数百人にいつも囲まれている。
グリースの事情を知るものはほんの数名で、女としての被害はまだない。
グリースをはじめとした職員全員は、囚人たちが暴れることを想定して常に体を鍛え、通常勤務をし、眠り、また体を鍛える日々を繰り返している。
「また館長に護身術を習ってたのか?」
右手に短剣を携えたグリースは肩で息をした。
振り返れば、まだまだ幼さの残る歳下の同僚。
スパリン監獄は地方としては賃金も地位も安定した職業である。休みもあり、難しいこともやらない。決められたことを決められたとおりに決められた時間で動き、監視し、施錠し、脅迫にも誘惑にも惑わされなけばいいだけ。
そのため、農業や酪農を継ぐことを避けたい若者たちや、訳ありの中年がこぞって就職しては、鍛錬に耐えかねてすぐに辞めていく。その中でも彼は数年勤務していて、長続きしているほうだった。
グリースは乱暴に汗を拭った。
曇り空よりも少し明るい灰色の髪を短く刈り揃え、女にしては高い身長と、中性的で整った顔は、女という娯楽がないこの監獄では女らしいとして人気があった。
「いつ、なにがあるかわからないから」
そこには性別がバレたときの被害も想定されている。
館長は70歳を過ぎた痩身で、禿げ上がった頭に常に汗をかいている。おどおどとしていて、眦が常に困ったように下がり、自信がなさそうなのに、30年以上もその地位を誰にも奪われなかったのは理由がある。
その理由を本人は好んで披露しようとはしないが。
「な、なにか用事かな?」
「ああ、そうそう。どえらい貴族が首都から来たぜ。馬車なんかキンピカ。ビカビカ。グリースを迎えに来たって言ってる。お前なにしたの?」
館長の問いへの答えは、グリースにとって想定外だった。
グリースは捨てられた。
3人も愛人を囲った公爵たる父は、それでも満足せず数多の娼婦を抱き、そのひとりに宿ったグリースは父の制止も聞かぬ間に産み堕とされた。
血を重んじる彼は、平民以下の女の腹を食い破ったグリースをあろうことか物心ついてから監獄に送り付けた。
母親からの口止め料の無心にも耐えかねたのだろう。
せめて産まれてすぐに追いやってくれれば、人生とはこういうものとして考えて生きていけたのに、平民の割には裕福だった幼少の生活を覚えているから、初めはなかなか辛いものがあった。
グリースと館長は見合って、すぐに歩き出した。
今さらなんの用だと殴ってやりたいが、そうはさせてくれないだろう。
規律を重んじる館長には敵わない。
◇◆
ああ、そう。
こういう顔だった。
8年か、9年前の遠い記憶に霞む父の顔。
公爵家の血が流れていない母親を目の前で拐われて以来、その顔を見ていなかったが、自分の頭は完全に忘れたわけではなかったようだ。
きっと母親は殺されている。
3つ目と2つ目の塀の境目で待たされていた馬車に近付いても、公爵は降りては来なかった。
御者が客台をノックして、小窓から見下してくる公爵の目。
はっきりと思い出すその双眸。
「早く通さぬか! 私を誰だと思っている? グリースを迎えに来たと言っているではないか!」
直々の来訪は不本意だったらしい。
目の前にいるのが実の娘だということにも気付いていない。
「いや、もはや通さなくともよい。グリースを連れて来い」
嘆息つきながら館長に命じる。
館長はグリースと公爵とを見合った。
まさか実子の顔さえわからないとは俄には信じられないといった表情をしている。
グリースは礼儀を尽くしてやる必要性さえ見出だせず、ズボンのポケットに両手を突っ込んでみせた。
「おいクソ親父。だから来てやってんじゃないか」
言うと、公爵は「は?」と眉根を寄せたあと、ようやく目を見開いた。
「これが私の娘だと!? まるで男ではないか!」
「こんな場所で髪伸ばしてドレスなんて着ていられるわけないじゃないか。孕まされて殺されるに決まってる。頭使えよ」
公爵の目がひん剥く。
「こ、いつ……! さすが下賎の女の腹から産まれただけはあるな……!」
「あんたが母さんに突っ込んだ結果だろ。アホかよ」
「突っ込ん……!? 信じられん、なんて言葉を……」
「用がないなら帰れよ。なんだよ、迎えに来たって。どういう意味?」
問うと、ようやく公爵は真面目な顔をした。
グリースよりも美しい銀糸の髪と瞳を持つ公爵は、やや眼窩が落ち込んでいる。
(まあ、なにもなければこんなところには来ないか)
グリースは、だが帰るしかないのだろうとも思い始めていた。
この男がここに来るほどの理由があったということは、帰らないとは言わせない措置を講じてくるはずだ。例えば女だとバラすとか。
「詳しくは中で話す。館長、世話になった」
御者がタイミングを見計らって、小さな箱を館長に差し出してくる。
館長が受け取り、蓋を開けると中身はぎっしりと宝石が詰め込まれていた。
これで壁と屋根の修繕ができるだろう。
トイレの整備と、壊れたベッドの購入も。
館長は黙礼を執った。
「お世話になりました。このご恩は一生忘れません。首都にいらっしゃるときには、ぜひお手紙をください。誠意を持って、ご案内します」
グリースが深々と頭を下げると、館長も返礼する。
この9年間、親代わりで育ててくれた好々爺だ。父親とはうってかわって、礼を尽くさねばならない。
うまく事情を隠し、グリースの身を守ってくれていたこともすべて知っている。
公爵家に連れ戻される理由はわからないが、落ち着いたら礼に来なければならないだろう。
「地位のある人を消すときは、わかっているね?」
互いに礼をしているほんの一瞬の間に、囁かれた。
その言葉が館長からの最後の贈り物だった。




