20
アマーリヤが部屋に戻ったとき、室内にはグリース以外には誰もいなかった。
開け放たれた窓から外を眺めているグリース。
外を見るにはやや遠すぎる位置にいるグリースに、アマーリヤは当然のごとく歩み寄った。
「飽きたのか?」
問うと、グリースは視線を少しも動かさずに鼻だけで笑った。紛れもなく自嘲だった。
そして、ぽつりと呟く。
「飽きたよ。全部、飽きた」
ほとんど吹いていない風に乗って、呟きが消えていく。
そんな吐露。
伏せがちの目にいつもの強さはない。
ピンときた。
「散歩行くか? オレめっちゃ食ってきたから超元気。超歩ける」
「あんたが歩けたって私が歩けないよ」
グリースは足も怪我をしていた。
軽症だが、歩くなと医師から言われている。
「おぶってやるよ! じゃじゃーん! 上着脱いじまえば、おぶられ心地もいいっしょ?」
飾りだらけの上着を脱いで床に放り投げると、グリースは泣くような顔で笑った。
そして、意外にもグリースは素直にアマーリヤに背負われた。
軽い。
細い。
あんなに強いのに、こんなに弱いグリース。
アマーリヤは空を見上げた。
「今日の天気は曇り。空はグリースの髪と一緒の色」
「わざわざ言ってくれなくても、見てるよ」
「風はなし。じめっとしてる」
「……そうだね」
「問題! オレは飯を何杯おかわりしたでしょうか!」
「3」
「ぶぶー! 7杯!」
「食いすぎだろ」
笑ってくれた。
それからずっとくだらない話を振り続けた。
どんな話題だったか、思い出せと言われても二度と思い出せないくらい見えたもの思い付いたものをすべて口にした。
項垂れて、アマーリヤの肩に額を乗せるグリースに頬を寄せる。
小さなグリースの頭。
包帯が巻かれた小さなグリース。
このままでいたかった。
あわよくばこちらに顔を向けてくれれば、もっといい。
しかし、額の傷が気になった。
「傷によくねぇよ」
「……だな」
グリースが横を向いた。
髪の毛がアマーリヤの頬を撫で去っていく。
反対を向いてしまった。
(あーあ)
また空を見上げる。
「雨が降りそうだ」
「だな」
アマーリヤは花畑の真ん中に立って、少し待った。
待ったが、話してくれない。
結局、じれったくなって単刀直入に質問をぶつけた。
「落ち込んでんの?」
間があった。
「……わからん」
「なんで? なんかあった?」
「……あった、んだと思う。多分」
「多分ってどういう意味だよ」
「私が傷付いたんじゃない。
私が傷付けた。
わざと傷付けた。こう言えば、絶対に悲しむだろうとわかっていて、わざとそのとおり言った」
「団長?」
「そう」
「謝らなくちゃって思ってるわけ?」
「……いや。婚約破棄してもらうためには必要なことだったと思ってる」
「じゃあどうしようもねぇよなぁ。よし、オレが慰めてやるよ!」
「どうやって?」
「飲みに行こうぜ!」
「……この状況で?」
「確かに。無理か。遊びに行く──のも無理か。グリースはどんな絶景にも興味なさそうだしなぁ」
「景色はねぇ。別にねぇ」
「だよなぁ。つうかさ、そういうときって食って飲んで喋って寝るしかなくね? とりあえず飯食おうよ。最近なんか全然食ってねえし」
「食欲ない」
「嘘つけ。店じゃあんな食うくせに。あれじゃね? オレがいねぇからじゃね? ぜってぇオレと喋りながらだったら食えるよ! ベッドのうえで大人しく食ってっから食えねえんだよ。一眠りしたら食堂行って、めちゃくちゃ食おうぜ!」
「……あー、一理あるか?」
「おっしゃ、決まり。部屋に戻って昼寝だぁー! オレも眠い!」
「あんたが寝たいだけじゃんか」
アマーリヤはどかどかと走った。
グリースに笑ってほしい。
◇
「婚約を解消してもいいんだぞ」
窓を眺めていたモラダに声を掛けたのは、父と兄だった。
国王陛下と王太子殿下は、今は肩書を捨て、父と兄として声を掛けてくれたらしかった。
眼下にはアマーリヤにおぶられるグリース。
ふたりは庭をうろうろと徘徊して、時々笑って、ぐるぐると回って、アマーリヤにやめろとグリースが制している。
「あの子を調べた。お前が考えたとおり、あの子は夫人からでも愛人から産まれたのでもない。公爵と娼婦の子だ。その頃の娼婦──あの子の母親は公爵を太客として扱い、他の客とは夜を共にしておらず、父親は間違いなく公爵であるらしい。
そして公爵は母親を殺し、あの子をスパリン監獄に捨てた。
どうやらうまく生き延びたようだが……もはや純潔はないやもしれぬ。それも相手は得体が知れない。数も多いかもしれない。それこそ娼婦のように。あるいは悪事に手を染めた可能性もあるし、人を傷付けた過去があるかもしれない。
公爵令嬢としての器はないだろう。それに──」
父も窓の外を見る。
モラダには見せてくれない破顔。
「あの子の傍にいるのは、本当にお前なのか」
モラダはなにも言い返せなかった。
拳に爪が食い込んで、血が滴ってしまいそうだった。
でも、首肯すらできなかった。
「言われたのです。あなたは、私の条件だけが好きなのだと。あなたは私のことをなにひとつ知らない。上辺だけを気に入っているにすぎない。婚約破棄してくれと、先ほど彼女に言われました」
「なら──」
「でもそのときグリースは俺の目を見ませんでした」
「……つまり」
「彼女はちゃんと人の目を見て話す人です。目を合わさなかったのは、わざと俺を遠ざけるためです。きっと。」
「想い人がいるからではないのか」
「それなら彼女ははっきり言うはずです。アマーリヤと共に生きていくと、彼を想っていると言うはずです。そういう人です、彼女は」
父と兄が顔を見合わせた気配があった。
苦し紛れの妄言だと思われているのだろう。
「そんな扱いをした公爵に復讐しているのかもしれません。前に言っていました。両親と兄弟に囲まれて生きていたかったと……! だからきっと──!」
「モラダ」
父がモラダの肩に手を置いた。
向き直らせ、両肩に手を置く。
「お前の心の通りに動け。好きなら好きと伝えろ。諦められないなら諦めなくてもいい。どうせ独身を貫く予定だったんだ、好きな女ができただけでも大きな成長だ。
ただ、覚悟はしておけ。
あの子と夫婦になるなら、必ずどこかからか情報が漏れる。あの子の出生、育ち方、教養のなさを必ずお前への攻撃に使う奴が現れる。あの子は馬鹿にされ、笑われ、社交界では相手にされないだろう。
だがそれでもお前が諦めぬと言うのなら、お前はあの子を全身全霊をもって守ってやらなければならない!
逃げ出すことは許さん!
放り出すことも、ほかに女を作ることも、絶対に許さない。わたしが死んだあとにそんな体たらくであったなら、お前の兄がお前を処刑する。私に代わって、この国の王としてだ。
お前にその覚悟があるのか!?」
モラダは口を噤んだ。
そして考えた。
無論、何度も考えたが、いつも同じ結果に辿り着く。
「あります」
(きっと自分は──)
さらに続けた。
「誰が馬鹿にしたのかわからなかったら、全員ぶっ飛ばしてやります」
言うと、父は息子の両目をしっかりと見据え、力強く頷いた。




